第9話 義を貫く
「山賊……」
「ああ」
一向に己の手を掴もうとしない呉葉に、千秋はしびれを切らして無理やり彼女の体を抱きかかえた。
「ちょっ……!」
「あんたが立ち上がろうとしないからだ」
千秋はぶっきらぼうにそう言って、森林を後にしようとする。
「待って! その前に経呉をっ」
「あとで俺の仲間が連れてくる。それに、血で汚れるのは嫌だろ」
「……嫌なわけないでしょう」
低く発せられた呉葉の否定に、千秋はかすかに息を呑む。
「私の愛しい子を汚物のように言うのはやめて」
「…………悪かった」
千秋はばつが悪い面持ちになって小さく謝罪し、経呉の元へと身を翻した。そのまま呉葉を下ろした途端、呉葉はすぐに膝を折り、愛息子の亡骸をその胸に抱く。
「経呉!!」
小さな慟哭が、閑静とした森のなかで冴え渡る。
眼前で背を丸めて哀咽する呉葉に声をかけることなく、千秋はただ黙って彼女の悲嘆の音を己が心に刻みつけていた。
「兄貴」
ふと、後方から呼声がして千秋はおもむろに振り返る。
「
自身と同じ褐色肌に、
千秋を兄と呼ぶかの男は、千秋の実弟にして山賊〈
「守屋のじいさんたちと村の皆は?」
「すまねえ。オレたちが村に着いた時にはもう……。今は、まだ息のあるやつを手当てしてる」
「……そうか」
重苦しく相槌を打ち、千秋は呉葉に視線を戻して「こちらも間に合わなかった」と告げる。
千萩も守るべき親子を視界に収めるや否や、顔を曇らせた。
「くそ、
守屋夫妻の依頼を受けて、日頃から呉葉と経呉を秘かに見守っていた千秋たちだったが、今日に限って隣山を拠点をとしている山賊――熊坂一派との抗争があった。
千秋率いる〈猪千〉は少数精鋭の組織だったため、呉葉たちを見張っていた仲間の一人が千秋たちに知らせて現地に駆けつけさせるのに時間を要した。
結果、護衛対象である一人を失うというあるまじき事態になってしまった。
「今さらたらればを語っても仕方が無い」
悔恨する弟を宥めつつ、千秋は両手を強く握りしめながら言う。
「今の俺たちが為すべきことは、託されたものを二度と奪わせないことだ」
「ああ。そうだな」
兄弟で頷き合うと、千秋は片膝を折って呉葉の肩にそっと手を置く。
「そろそろ行こう」
言われて、呉葉は小さく首肯し、経呉を抱えて立ち上がった。
*****
その後、呉葉は希奈佐山の山中にある〈猪千〉の拠点に身を寄せた。
居場所がばれてしまった以上、また三原家の新たな追手が村に差し向けられる可能性がある。これ以上、村民たちを巻き込まないためにも呉葉は千秋たちについていくことを決意した。何より彼らも呉葉を手の届く範囲に留まらせ、直接護衛したい思いがあった。
猪飼兄弟に護衛され、連れてこられたのは古びた廃寺だった。
十数人の賊人が住まうには少し手狭な広さだったが、何人かの仲間は山中に点在している小さな山小屋に住み、敵となる別の賊や信野の大名などの動向索敵をしているという。
「……どうして」
陽が沈み、半月が昇って無数の星々とともに静謐な光を放っている。
火の粉が舞い、闇夜を煌々と照らす
「信野を治めている大名や武士たちがあなたたちを?」
我が子を黄泉の国へと送りだす母の顔は、
隣に立っていた千秋は呉葉を一瞥した後、燃え盛る火炎をその目に映して答えた。
「自分で言うのも何だが、俺たちは義賊だ。今、信野を領地としている大名はとんだ馬鹿殿でな。民には重税を課して搾取する一方で、血税で私腹を肥やし、ふんぞり返りながら悪政を尽くす。強欲を満たすためだけに他者を踏みつけにするような奴が頂点にのさばっている」
徐々に怒気や厭悪を孕ませながら、千秋は滔々と話を続ける。
「奴の独裁が続いて十年。飢餓や病で多くの者が死に絶え、壊滅した村も少なくはない。この〈猪千〉は、今は無き村の生き残りや大名に義憤する者で結成された。だから俺たちは、秘かに徴税された物資を盗み取ってそれを元の場所に帰したり、武器庫から武器を奪取して兵力を削いだりしている」
だから、俺たちはお尋ね者になっているというわけだ。
この希奈佐村は唯一、廃村にならずに耐え忍んでいる村だと彼は語った。
また、千秋たちの父はかつてその大名に仕えており、悪政を留めるよう諫言したが当然主君は聞く耳を持たなかった。ついには徴税帳簿を改ざんし、税収を下げようとしたことが露呈してしまい、家が取り潰され、兄弟は路頭に迷うようになってしまったという。
そこで、希奈佐村に流れ着いた幼い自分たちを守屋夫妻が助け、一時的に保護してくれたのだと。
「優一さんたちと、そんな関係が……」
「ああ。だからこれは、じいさんたちに対する恩返しでもある。でも――」
千秋は歯噛みして呻くように呟いた。
「あの人たちを助けられなかった」
深い悔恨に苛まれ、顔を歪める千秋に、呉葉は自責の念にとらわれずにはいられなかった。
――何もかも、私のせいね。
愛する人、大切な人々を多く失ってしまった。
自分と関わった全ての人が不幸になる。きっと、千秋たちも例外ではないはずだ。
――もう、私は死んだほうがいいのでは……。
ふと、希死念慮が脳裏を過った。
――私がいなくなれば、皆に危害が及ばなくて済む。
これ以上、自分自身も悲しまずに済む。
それに、愛する者たちとあの世で会えるかもしれない。
「まさか、この期に及んで死のうなんて考えていないだろうな」
死に誘われようとした自分を掬い上げてくれたのは、凛として芯の通った低声。
呉葉は瞠目し、隣を見やる。
橙の炎に照らされて、より精悍な美しさが引き立つ猪の青年がこちらを真っ直ぐに見つめていた。
「ここであんたが死ねば、あんたを守るために体を張った人たちの努力が全て無駄になる。あんたを生かすために捧げた命を冒涜することになるんだぞ」
それだけは絶対に許さない。
猪が牙を剥いた瞬間。
それは、数多の手によって守られ、慈しまれてきた命を投げ出そうとした時だった。
千秋の一喝に、自分がいかに浅慮で愚かだったかを思い知らされる。
情けなくて、恥ずかしくて、呉葉は唇を引き結んで俯いた。
両の目から静かに、涙が零れ落ちる。
――力が欲しい。
不意に、そんな願いが芽生えた。
――これ以上、犠牲を出さずに大切な人たちを守れるだけの力が。
災厄を自ら払い除け、自他を悲しませることのない力が。
他者から受けた恩に報いられるだけの力が。
悪を制裁し、復讐できる力が――欲しい。
「千秋さん」
呉葉は顔を持ち上げ、千秋に向き直る。
そして、涙ながらに懇願した。
「私を……〈猪千〉に入れてください」
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