六四.純喫茶のお披露目
十二月十三日、土曜日の午後。純喫茶への新装開店を明日に控えた「
店の中央のテーブルには白い布がかけられ、造花の入った花瓶が置かれている。階段の手前には午前中に運送屋が運んできた
「すっかり純喫茶って感じね」
「店長はお客さまをお迎えに行っておりますので、少々お待ちください。葵さんは育美さんと上で支度中です」
厨房でコーヒーを淹れている
「メニューをご覧下さいませ。本日のお代はサービスさせていただきます」
割烹着姿の
「お飲み物はコーヒー、紅茶、ミルクがございます。お飲み物にはクッキーを付けられます。季節のフルーツ盛り合わせはリンゴとみかんとなっております」
「では紅茶とクッキーのセットを一つ」
「俺はコーヒーとクッキーのセットで」
かつらと康史郎が注文をしていると、ドアが開いて新しい客が入ってきた。カイとリュウだ。カイは綿のシャツと作業ズボンの上からいつもの米軍服を羽織り、リュウははんてんを羽織って風呂敷包みを持っている。
「いらっしゃいませ」
厨房のハナエの隣にいる
「あれ、今日は学生服じゃないのか」
驚いている康史郎にリュウが答えた。はんてんの下にはかつらが繕って丈を伸ばしたもんぺとブラウスを着ているので普通に女の子に見える。
「昨日お姉さんがはんてんを直して持ってきてくれたから、こんどは学生服をアニキが着られるように直してもらうんだ」
「リュウさんが着てたはんてんに私やリュウさんの防空頭巾の布を継ぎ足しただけだけど、役に立って良かったわ」
かつらはリュウから風呂敷包みを受け取ると言った。カイがかつらに話しかける。
「俺も今日はヒロさんの服を借りてきたよ。ヒロさんが帰ってくるまでには直せるんだろ」
「そうね、リュウさんの新しいスカートももう少しでできるし、来週の日曜までにがんばって直すわね」
「ありがとう」
リュウはそう言うと康史郎の隣の椅子に座った。
「今日は無料だし、折角だからコーヒーとフルーツの盛り合わせを頼もうかな」
リュウの隣でメニューを見ながら悩んでいるカイに、向かいで紅茶を飲む倉上義巳が呼びかけた。
「あのくず屋さんか。こないだは世話になったな」
「俺たち本当はくず屋じゃない。闇市で雑貨屋の留守番をしてるんだ」
そう主張するカイにナカが尋ねた。
「闇市ね。おとっさん馴染みの『まつり』は店じまいするそうだけど、あんたらはどうするんだい」
「ヒロさんが帰ってきてから相談するつもりだけど、リアカーで屋台の店を開こうと思うんだ。それより倉庫の在庫がそろそろなくなりそうだから、まず品物の仕入れ先を見つけないと」
「うちは
義巳が胸を叩くが、カイは義巳を見つめて頼んだ。
「おじさん、俺たちお金がそんなにないんだ。俺がおじさんのお店の手伝いをするから、代わりに商品をもらうことはできないかな。店番は妹に任せるからさ」
「あんた、いくつなんだい」
ナカが尋ねると、カイは背筋を伸ばして答えた。
「来月で十七だ」
「そうか、わしと同じでチビか」
倉上はにやりと笑うと言った。
「商売人は人から見下ろされる方がやりやすい。その代わり、仕事は身の丈より少し大きくやる。それが店を大きくする秘訣ってやつさ。名刺をやるからいつでも店に来い」
「ありがとうございます」
カイは頭を下げる。その時、二階から声がした。
「遅くなりまして申し訳ございません」
赤い銘仙姿の芝原葵が、楽譜を抱えて下りてきたのだ。後ろからは
「きれい」
思わずリュウが声を漏らす。葵はピアノの前に立つと一礼した。
「皆様には大変お世話になりました。まずはピアノの慣らしを兼ねて、ベートーベンの月光ソナタを弾かせていただきます」
「論くんと望にはミルクを出すからおとなしくしててね」
ハナエがアベック席に二人を座らせる。育美も厨房に入ってリンゴをむき始めた。
葵はピアノの蓋を上げると椅子に腰掛け、月光ソナタを奏で始める。かつらは芝原家の客間での演奏を思い出していた。
(梓さんも、空の上でこのピアノを聞いているかしら)
その時、突然ドアが開いた。室内に女性の声が響き渡る。
「葵さん、ここにいらしたのですか」
葵の母、
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