二七.友への手紙

 かつらとのランデブーの翌日。たかしは文具店で封筒と便箋を買ってから借りている部屋のある「隅田川すみだがわ館」に戻った。収容所で友人になった捕虜仲間に手紙を出そうと思ったのだ。

 ところが、隆の部屋の前には背広姿のいかつい中年男が待っていた。隆を見ると前に立ちはだかる。思わず隆は身構えた。

「六号室の京極きょうごく隆さんですね。私、刑事の新田にった金三きんぞうと言います」

 新田は警察手帳を差し示す。

「先日お隣がヒロポン中毒で暴れた件で、お訊きしたいことがありまして」

 隆はひとまず警戒を解き、新田の話を聞くことにした。

「入院している彼から話を少し聞くことができたんですが、闇市の売人からヒロポンを買っていたそうなんです。どうやら軍で使われていたのを横流ししているようで、我々も進駐軍の指示で流出元を探してるんですよ。何かご存知ありませんかね」

「いえ、お隣とはおつきあいはありませんでしたし、ヒロポンを買ったこともないので」

 隆が正直に答えると、新田は品定めをするように隆を見つめた。

「確かにヒロポンは打ってないようですな。もしお隣に不審な人物が来たり、闇市でヒロポンの売人を見かけたら、ぜひ交番に知らせて下さい」

「分かりました。ご苦労様です」

 隆は立ち去る新田を見送ると、ドアの鍵を開けて室内に入り、裸電球をつけた。三畳しかない部屋には布団と一人用の文机が窓際にあり、文机の隣には着替えが入ったリュックが置いてある。壁も殺風景で、ハンガーにコートがかかっているだけだ。

 隆は仕事用のカバンから夕食用のコッペパンと便箋、鉛筆を取り出すと文机の前に座る。コッペパンをかじりながら隆は手紙を書き始めた。


浜高はまたか勝人まさと君へ

前略

 先日は久しぶりに会えて楽しかった。君もお店でがんばっているだろうか。あの時は落ち着いて話せなかったので、改めて今の私の暮らしを紹介したい。

 残念ながら二年半の年月は私から全てを奪ってしまった。家族も、家も、仕事場も東京大空襲で失われ、捕虜収容所から帰還の連絡が行くまで私も死亡したことになっていたそうだ。

 現在私は両国りょうごくの貸間に住み、電車で小岩こいわの印刷工場に通っている。倹約して月に一度映画を見に行くのが最近の楽しみだ。昨日は馴染みの定食屋で働く横澤よこざわかつらさんと二人で『安城家あんじょうけの舞踏会』を見に行った。こういうのをランデブーというのだろうか。

 横澤さんは二十一歳で、弟を育てながら隅田川の厩橋うまやばし近くのバラックで暮らしている。私とは四歳違いだ。知り合ったきっかけは店で酔いつぶれた私を介抱してくれたこと。母以外の女性に打算なく優しくされたのは初めてだったから本当に嬉しかった。彼女自身は亡くなった兄の面影をだぶらせただけだと言っていたが。

 店から横澤さんの家までは十五分くらいかかるから、私が遠回りして色々話しながら送っていく。仕事場での出来事や弟の話など、中身はたわいもないが、話している横顔を見ているだけで気持ちが温かくなる。時々恥じらうときの表情が実に可愛らしい。

 横澤さんと映画を見た後、今は田んぼになってしまった不忍池しのばずのいけのほとりで、弁当を食べながら色々話した。兄を亡くしてからどんなに苦労してきたか、それでも弟を一人前に育てたいと頑張っていること。その話を聞いているうちに、私は横澤さんを助けたい、できれば結婚したいという気持ちを抑えられくなってしまい、「また一緒に映画が見たいし、君のことも助けたい」と言ってしまった。嬉しいことに横澤さんも「私も、京極さんともっと一緒にいたいです」と答えてくれた。

 もしこの次ランデブーすることがあったら横澤さんを「かつらさん」と呼びたいし、私のことも「隆さん」と呼んで欲しい。そしてもし結婚することができたら、家族で君を訪ねたいんだ。全てを亡くしたと思っていた私に新しい家族ができるという期待で本当に胸が高まっている。

 少し書きすぎてしまった。また進展があったら手紙を書く。それまで互いに息災で過ごせますように。

草々

昭和二十二年九月二十九日 京極隆』


 鉛筆を置くと、隆は窓の外を見た。ガラス窓に自分の顔が映り込んでいる。ふと、昨日出会った男の声が脳裏に響いた。

『待て、亡霊め!』

 隆はまぶたを閉じ、声を脳裏から追い払おうとする。

廣本ひろもと伍長、なぜあんな所に」

 隆は嫌な記憶を消すために、昨日のかつらの表情を思いだそうとした。『康史郞には内緒ですよ』と言った時の表情だ。だが、胸はますます苦しくなる。

「かつらさん、君には話せない。許してくれ」

 隆はうめくようにつぶやいた。

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