二一.秘密の仕事依頼

「姉さん、何かあったの」

 バラックに戻ってきたかつらを見た康史郎こうしろうが不思議そうに尋ねた。かつらはそそくさとちゃぶ台を片付けながら説明する。

京極きょうごくさんが来週の日曜日、私と康ちゃんを映画に誘いたいんですって。もちろんチケット代も持つそうよ」

「そりゃすごいや。でも、俺は釣りに行くからいいよ」

「康ちゃん、折角京極さんが誘ってくださったのよ」

 かつらは康史郞に向き直った。

「だからだよ。折角誘ってくれたんだから、あの映画みたいに二人でランデブーしてくればいいじゃない」

「ランデブーって……」

 康史郞はかつらから聞いた映画『素晴らしき日曜日』の話を覚えていたようだ。かつらは康史郎から顔を隠すようにしてつぶやく。

「わたしは京極さんとおつきあいしてるわけじゃないのよ」

「うまくいけばそうなるかもしれないじゃないか。それとも姉さんは京極さんが嫌いなの? 」

 かつらは康史郞の問いには触れず、「わかったわ」とだけ答えた。


 九月二十二日、月曜日。康史郞が中学校から帰ると、八馬やま横澤よこざわ家の前で待っていた。征一せいいちは貸本屋に寄るため一緒に来ていない。

「こないだできなかった仕事の話をしたいんだが、時間はあるか」

「大丈夫だよ。ちょっと待ってて」

 康史郞はバラックのドアを開けると、学生帽と肩掛けカバンを室内に置いた。八馬は玄関の靴を見ている。

「そうだ。ヤマさんがくれたガラスを窓にはめたんだ。こっちに来てよ」

 康史郞は外に出ると、八馬に新しい窓を見せた。古いドアにはまっていた磨りガラスが中央に入っている。

「そいつは良かった。誰が細工したんだい」

「姉貴のお店の常連さんが手伝ってくれたんだ」

「ふうん。姉貴の恋人じゃないのか」

 八馬はトタンを乗せ直した屋根を見上げると話し出した。

「こんどの日曜日、正午に学生帽とカバンを持って俺の店に来てくれ。商品をお得意さんに届けて欲しいんだ」

「配達の手伝いだね。ところで、店ってどこにあるの」

両国りょうごく駅の近くだ。これから案内するから一緒に来い」

 八馬は厩橋うまやばしに向かって歩き出す。康史郎はあわててドアに南京錠をかけ、後を追った。


「坊主、今日もそのズックか」

 両国駅の闇市へ向かいながら、八馬は古いズック靴を履いて歩く康史郞に話しかけた。

「俺は横澤康史郞だって」

 康史郞は軽く愚痴ったが、八馬はさらに尋ねる。

「もしかして、新しいのは盗まれたのか」

「どうしてそんなこと聞くんだい」

「さっき玄関に片方しか靴がなかったからな」

 康史郞の顔色が曇る。

「実は、新しいズックを片方なくしちまったんだ。俺のせいだから、姉貴に買い直してくれとも言えないし」

「そうか。残念だったな」

 八馬はそっぽを向いてニヤリと笑うと足を速めた。


 闇市の中にある雑貨店にたどり着くと、八馬は康史郞を店の裏手に案内した。

「まあ座れや」

 八馬に木箱を薦められた康史郞はそのまま腰掛けた。八馬はだしぬけに話を切り出す。

「お前、姉貴のことどう思ってるんだ」

「どうって、俺にとっては親代わりさ。勉強しろってうるさいのは玉にきずだけど、しっかり者だし、結構美人だと思うよ」

 まんざらでもない表情の康史郞を見ると、八馬はアゴをしゃくって話し出した。

「姉貴は昼夜働いてて大変なんだろ。俺の仕事をしばらく手伝ってくれればアルバイト代を出すぞ。くず鉄売りよりもずっといい稼ぎになるし、新しいズックも買える。もちろんお前次第だがな」

「本当? もちろんやるよ」

 康史郞は身を乗り出す。八馬はたたみかけるように説明した。

「それなら早速段取りを説明するぞ。日曜日、正午に厩橋の電停に来い。そしたら、二人組のガキが紙包みを持ってくるから、受け取って都電に乗り、上野広小路駅に向かうんだ。着いたらお前は学生帽を後ろ向きに被って駅で待ってろ。すると無精ひげの三十歳くらいの男がやってくる。『何色のズックを持ってきたか』と聞くから『黄色』と答えろ。『ならもらおう』といったら包みを渡せ。男から代金をもらったら、都電に乗ってここに帰ってこい。そしたら代金から二割を渡す。都電代は今渡しとこう」

 八馬は流れるような動きでポケットから五円札を取り出す。

「分かってるだろうけど、この仕事は姉貴には内緒だぞ」

 八馬は普段ののらりくらりとした態度ではなく、威圧するように康史郞を見つめた。

「分かったよ」

 そう答えると、康史郞は雑貨店を出た。

 八馬の言った仕事の段取りを思い出しながら、康史郞はある一点が引っかかった。

(俺に包みを持ってくる二人組のガキって、もしかして家を壊した奴らなのかな。気になるけどヤマさんにはガラスの借りもあるし、新しいズックだって欲しい。姉さんには悪いけど、ランデブー中に仕事を済ませればいいや)

 ガラスの借りを返すため、そして子どもたちの正体を探るため、康史郞は八馬の仕事を受けることにした。

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