二〇.横澤家の修復

 九月二十一日、土曜日。横澤よこざわ家には約束通り十四時に作業着姿の京極きょうごくたかしがやって来た。工場の仕事を午前中で終えたかつらと、中学校から帰った康史郞こうしろう戸祭とまつり征一せいいちが出迎える。

「後で父ちゃんがいなり寿司を作ってくるって言ってました」

「いつもすみません。早めにお茶を用意しなくちゃね」

 征一の申し出にかつらは笑顔で答える。今日は動きやすいもんぺ姿だ。

 康史郞と征一が脚立を使って屋根に登る。隆が持ってきた油紙を隙間に敷いてから屋根に上げておいたトタンを並べ、重しの石を乗せるという段取りだ。

「京極さん、油紙ちょうだい」

 康史郞の呼びかけに答えた隆が、下から油紙を渡すため脚立に足をかけた。かつらは横で脚立を支えている。

「落ちないよう気をつけてね」

 かつらは康史郞に声をかけながら、羊太郎ようたろう勇二郎ゆうじろうがいた頃に帰ったような気分を感じていた。


 屋根の修理が終わると、康史郞が八馬やまからもらってきたガラス窓に合わせて窓を修復する作業に入った。山本やまもと家に貸してもらった工具箱の出番である。

「ガラスに窓枠が残ってて助かったよ。この周りに壊れた窓の板を継いで寸法を合わせよう。康史郞君、鉛筆を貸してくれないか」

「鉛筆ですか」

「本当は墨壺を使うべきなんだが、さすがにそこまでは使いこなせなくてね」

 隆は窓を塞いでいた油紙に合わせて鉛筆で線を引くと油紙を取り外し、板の割れた断面を水平にするため糸鋸を取りだした。

「横澤さん、申し訳ないけど作業台として、あの木箱を貸してもらえないかな」

 隆が指差したのは、棚代わりになっている木箱だ。

「分かりました」

 かつらは上に載っている位牌と写真、下に置かれた梅干しの壺とブリキ缶を床に置くと、木箱を隆に渡した。

「ありがとう、気をつけて取り扱うよ。康史郞君、支え役をやってほしいんだけどいいかな」

「もちろん」

 康史郞は勇んで隆の脇に立つ。

「わたしは台所でお茶の準備をしてきますから、征一君も一休みしてね」

 かつらはそう言い残すと台所に向かう。征一はカバンを肩にかけると立ち上がった。

「じゃ僕、父ちゃんの様子を見てくるよ」


 横澤家の室内には作業を続ける隆と康史郞が残った。隆は時折手ぬぐいで額の汗を拭いながら糸鋸を挽いている。

「京極さん、ノコギリうまいね」

 康史郞は板を支えながら感心している。

「軍では工兵だったから、大工仕事も色々やったんだ」

「工兵ってことは、京極さんは工業学校出なんだ。すごいな」

蔵前くらまえにある工業高校の機械科を出て、家の近くの町工場に勤めてた。残念だが空襲で工場もなくなってしまったけどな」

「へえ。家からすぐそこじゃないか。校舎が焼けちゃったんで今は仮校舎で授業してるんだってさ。そういえば、京極さんの家ってどの辺だったの」

 隆はその質問には答えず、あと少しで挽き切る板に集中している。無事挽き終わると手ぬぐいを取り出しながら答えた。

業平橋なりひらばしの近くだ。今は別の建物が建っている」

 取り付ける板を全部用意すると、蝶番ちょうつがいの残った窓枠に合わせて継ぎ合わせる。隆はポケットから油紙の包みを取りだした。

「板をつなぐための釘を少し買ってきたんだ。代金は私持ちだから気にしないでくれ」

 ちょうどそこへドアが開き、かつらの声がかかった。

「お茶とりんごを切ったので、二人とも一休みしましょう」


「姉さん、りんごなんていつ買ってたの」

 ちゃぶ台を囲みながら康史郞が尋ねる。

「工場から帰るときに闇市に寄ってきたの。山本さんや工場長さんへのお礼分も取ってあるから、わたしたちは一個だけよ」

「そっか。今回色々お世話になった人がいるからね」

「もちろん京極さんもです。どうぞ」

 かつらがりんごの載った皿を差し出す。

「ありがとう、横澤さん」

 りんごを食べる隆の顔から、ようやく緊張がとれたようにかつらには見えた。


 ようやく全ての作業が終わった頃には、時計は十六時半を指していた。いなり寿司を持ってきた戸祭と征一もりんごを持って帰っていき、横澤家にはかつらと康史郞、隆が残っている。

「すごいわね。これで雨漏りもなくなるし、窓にガラスがついたし。前よりも住みやすくなったわ」

 かつらは新しい窓のガラスをなでている。

「京極さんは蔵前の工業高校を出て工兵をしていたから、こういうのは得意なんだって」

 自慢げに言う康史郞の話を聞きながら、隆はいなり寿司を手に取った。

「私は機械科だったから、大工仕事を本格的にやったのは捕虜になってからだけどな」

 かつらが尋ねる。

「そういえば、京極さんは南方で戦ってた、と言ってましたね」

「ああ。昭和十九年に米軍の捕虜になり、収容所へ送られたんだ。今年の春に解放されてようやく日本へ帰れたが、故郷は焼け野原、待っている家族もいなかった。正直絶望したよ」

「長い間、本当に大変だったんですね」

 ねぎらいの言葉をかけるかつらの表情は、思いがけない話に驚いているように康史郎には見えた。

「他に行く当てもなかった私は、高校時代に馴染みがあった両国りょうごくに足を運んだ。そして雨宿りに入った『まつり』で酒を飲み過ぎて横澤さんに介抱されたんだ」

(それじゃあの背中の傷は、戦場で捕虜になったときにできたのかな)

 康史郞は銭湯で見た隆の傷跡に思いをはせていた。


 食事を終え、かつらは隆を見送るために厩橋うまやばしまで一緒に歩いていた。

「今日は本当にありがとうございました」

「家がまた壊されないかが心配だ。何かあったら『まつり』の親父さんに早めに言った方がいい」

「ええ」

「ところで、借りた服のことなんだけど、来週の日曜日、返しに行ってもいいかな」

「銭湯に夕方行くまでは家にいますから、大丈夫ですよ」

 その返事を聞くと、隆はかつらに顔を向けた。

「実は、映画館で予告編を見て、気になっていた映画が来週公開されるんだ。それに横澤さんと康史郞君を誘いたい」

「本当ですか」

 かつらは思わず声を上げた。

「もちろん、チケット代は私が持つ。給料日まで節約しなくちゃいけないから、来週は『まつり』に行くのも控えるつもりだ」

「あ、あの、嬉しいです。よろしくお願いします」

 かつらは降ってわいたような申し出に気持ちがうまく言葉に出せなかった。

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