九.かつらと梓と葵

 あわてて布団を畳んだかつらは、外から取り込んできた自分のシャツとスカートをあおいに渡した。

「すみませんが着物を直す間、これを着ていただけませんか。洗濯したてです」

「ありがとうございます」

 葵は頭を下げると目隠しの布の後ろに入った。かつらは康史郎こうしろうに呼びかける。

「康ちゃん、お茶の支度をしてちょうだい」

「分かったよ」

「それなら俺は外の様子を見てこよう」

 男性は席を外した方がいいと察したのか、大口おおぐちも立ち上がった。


 かつらの服に着替えた葵は、着ていた銘仙をかつらに渡すと板間に正座した。かつらは柳行李から裁縫箱を取り出すと話し出す。

「わたしとあずささんとは墨田すみだ女学校時代の同級生で、とても仲良くしていただきました。今は働きながら弟の康史郎と暮らしています。そういえば、梓さんは同じ学校に入った葵さんのことも、ピアノがお上手だと褒めていらっしゃいました。この銘仙は梓さんがご自宅で着ていらしたのを覚えていますわ」

「そうだったのですね。横澤さんこそ、弟さんとお二人で家を守っていらっしゃるんですもの。尊敬いたします」

「褒められることではないわ。ただ必死に生きてきただけよ」

「お姉様の女学生時代のこと、もっと教えていただけますか」

 葵は初めて微笑む。その笑顔は髪型こそ違うものの、かつらに梓を思い出させた。

「梓さんは、工場での勤労奉仕の時も長い髪をきれいにまとめて三角巾を被り、とても素敵でした。向出むかいではじめ様とのお見合いのお話が来た時も、すぐにお互い気に入られたそうです。向出様にいただいたというはら節子せつこのブロマイドをこっそり学校に持ってきて、わたし達に見せられました。向出様の出征前に結婚されるということで女学校を四年で卒業されましたから、それ以来お目にかかる機会はありませんでした。今もお元気でいらっしゃるかしら」

 かつらの話を聞いた葵の顔がゆがんだ。膝に置かれた手がスカートをつかんでいる。

「梓お姉様は、二十年五月の空襲で亡くなられました」

「そんな」

 かつらの手から銘仙が滑り落ちた。


 一方、外の台所に入った康史郎は、ヤカンを七輪にかけてお湯を沸かし始める。そこに大口が顔を出した。

「とりあえず怪しい人はいなかったぞ。お茶が出来たら一緒に運ぼう」

 康史郎は湯飲みを拭きながら話しかける。

「でも、おじさんが姉さんを知ってたなんて驚いたよ」

「ああ。働き者の素敵な姉さんだな」

 かつらを褒められた康史郎は気分が良くなった。

「姉さんは裁縫も上手で、昼は縫製工場で働いてるんだ。おじさんにも家族がいるんだよね」

 康史郎に尋ねられた大口は照れたように話し出した。

「妻のハナエは、俺が留守の間も元女給たちと一緒に家と店を守ってくれた。娘ののぞみは出征中に生まれたんだが、写真と違って痩せこけて帰ってきたから怖がってな。未だに『お父さん』と呼んでくれないんだ」

「でも、おじさんはみんなと無事会えたんだから良かったよ。うちはいろいろあって姉さんと二人暮らしだからさ」

「湯飲みが四つあるのはそのせいか」

 大口はお盆に置かれた湯飲みを見ながらつぶやく。康史郎はやかんのお湯を急須に注ぎながら話し出した。

「この家を建てたときには、兄さんが二人いたんだけどすぐ亡くなった。だから俺は早く一人前になって、姉さんに楽をさせてやりたいんだ」

「感心な心がけだ」

 大口はうなずく。

「ありがとう。お茶が出来たから運んでいいか聞いてくるよ」

 康史郎は台所を飛び出した。


 ひとまず落ち着きを取り戻すと、かつらは銘仙を拾い上げて葵の向かいに座った。

「あの時は東京大空襲で家も焼けてしまったので、今は亡くなった上の弟と防空壕で暮らしていました。もうどこにも避難する気になれなくて、防空壕の中でB29の飛んでいく音を聞いていたんです。山の手がたいそう被害を受けたと聞いていましたが、まさか梓さんが亡くなられていたなんて。本当にお悔やみ申し上げます」

 かつらはそっと手を合わせた。葵が静かに話し出す。

「お姉様はお義兄にい様の子どもを妊娠されてました。臨月近くでしたので疎開も出来ずご自宅で亡くなられたのです。残念ながらお義兄様も戦死され、向出家とのご縁も切れてしまいました。この銘仙はお姉様がお嫁入りの時に譲っていただいたものです」

「そうだったのですね。あり合わせの糸ですみませんけど、少しお待ちください」

 かつらは裁縫箱から取り出した赤い糸を針に通す。そこに玄関ドアの向こうから康史郎の声がかかった。

「姉さん、お茶運んで大丈夫?」

「ええ。大口さんにも入ってもらって」

 答えるかつらに葵が話しかけた。

「皆さんが来ましたら、わたくしの事情を話させてください」

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