九.かつらと梓と葵
あわてて布団を畳んだかつらは、外から取り込んできた自分のシャツとスカートを
「すみませんが着物を直す間、これを着ていただけませんか。洗濯したてです」
「ありがとうございます」
葵は頭を下げると目隠しの布の後ろに入った。かつらは
「康ちゃん、お茶の支度をしてちょうだい」
「分かったよ」
「それなら俺は外の様子を見てこよう」
男性は席を外した方がいいと察したのか、
かつらの服に着替えた葵は、着ていた銘仙をかつらに渡すと板間に正座した。かつらは柳行李から裁縫箱を取り出すと話し出す。
「わたしと
「そうだったのですね。横澤さんこそ、弟さんとお二人で家を守っていらっしゃるんですもの。尊敬いたします」
「褒められることではないわ。ただ必死に生きてきただけよ」
「お姉様の女学生時代のこと、もっと教えていただけますか」
葵は初めて微笑む。その笑顔は髪型こそ違うものの、かつらに梓を思い出させた。
「梓さんは、工場での勤労奉仕の時も長い髪をきれいにまとめて三角巾を被り、とても素敵でした。
かつらの話を聞いた葵の顔がゆがんだ。膝に置かれた手がスカートをつかんでいる。
「梓お姉様は、二十年五月の空襲で亡くなられました」
「そんな」
かつらの手から銘仙が滑り落ちた。
一方、外の台所に入った康史郎は、ヤカンを七輪にかけてお湯を沸かし始める。そこに大口が顔を出した。
「とりあえず怪しい人はいなかったぞ。お茶が出来たら一緒に運ぼう」
康史郎は湯飲みを拭きながら話しかける。
「でも、おじさんが姉さんを知ってたなんて驚いたよ」
「ああ。働き者の素敵な姉さんだな」
かつらを褒められた康史郎は気分が良くなった。
「姉さんは裁縫も上手で、昼は縫製工場で働いてるんだ。おじさんにも家族がいるんだよね」
康史郎に尋ねられた大口は照れたように話し出した。
「妻のハナエは、俺が留守の間も元女給たちと一緒に家と店を守ってくれた。娘の
「でも、おじさんはみんなと無事会えたんだから良かったよ。うちはいろいろあって姉さんと二人暮らしだからさ」
「湯飲みが四つあるのはそのせいか」
大口はお盆に置かれた湯飲みを見ながらつぶやく。康史郎はやかんのお湯を急須に注ぎながら話し出した。
「この家を建てたときには、兄さんが二人いたんだけどすぐ亡くなった。だから俺は早く一人前になって、姉さんに楽をさせてやりたいんだ」
「感心な心がけだ」
大口はうなずく。
「ありがとう。お茶が出来たから運んでいいか聞いてくるよ」
康史郎は台所を飛び出した。
ひとまず落ち着きを取り戻すと、かつらは銘仙を拾い上げて葵の向かいに座った。
「あの時は東京大空襲で家も焼けてしまったので、今は亡くなった上の弟と防空壕で暮らしていました。もうどこにも避難する気になれなくて、防空壕の中でB29の飛んでいく音を聞いていたんです。山の手がたいそう被害を受けたと聞いていましたが、まさか梓さんが亡くなられていたなんて。本当にお悔やみ申し上げます」
かつらはそっと手を合わせた。葵が静かに話し出す。
「お姉様はお
「そうだったのですね。あり合わせの糸ですみませんけど、少しお待ちください」
かつらは裁縫箱から取り出した赤い糸を針に通す。そこに玄関ドアの向こうから康史郎の声がかかった。
「姉さん、お茶運んで大丈夫?」
「ええ。大口さんにも入ってもらって」
答えるかつらに葵が話しかけた。
「皆さんが来ましたら、わたくしの事情を話させてください」
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