マグカップ感
杉村雪良
マグカップ感
別れた彼が置いていったマグカップが割れてくれなくて困っている。
白地に黄色とオレンジの星の柄が印刷された、贈り主と同じく派手で薄っぺらなカップだ。印刷も安っぽくて全然おしゃれではないし、妙に大きくて使いづらい。
捨ててしまえばよいのだが、なんとなく捨てられない。気に入っていないとはいえ、まだ使えるものを捨ててしまうというのが、どうしてもできないのだ。
彼とつきあっていたころは、使いやすいと思い込んでいた。大きくて何でも入るとか、重くて安定感がある、などと感じていたのだ。
いや、もしかしたら当時も本心では使いづらいと思っていたのにそれを認めたくなくて、無理やりそんな風に思い込もうとしていたのかもしれない。
初めてこのマグカップを使った時のことを思い出す。紅茶を縁まで入れてしまい重くなりすぎて持ち上げられなくなったことを、そしてそれを見た彼がふふん、と笑ったことを思い出す。
きっと誰に言っても、そんなもの早く捨てろと言うだろう。それはわかっている。だけど、ただの工業生産品であるこのマグカップ自体には何の罪もなく、新品の時から全く変わらないそのまっさらな図体を見ていると、どうしても捨てる気になれない。 例えば、口に合わないスナック菓子を途中で捨てられないのと同じだ。
もしも割れたり欠けたりしてくれたら、ようやく捨てることができるだろう。
そう思ってみると、はやく割れてくれないかな、という気持ちになってくる。割れてしまえば、それはもう捨てるべきものになる。大手を振って捨てられるのだ。
しかしそうは言っても、マグカップというものは普通に使っていて割れるようなものではない。毎朝ジュースを飲んで、帰宅したときに紅茶を飲んで、鼻炎の薬を飲むときに水を飲んで、思えば一日に何度も使っているマグカップなのに、割れるどころかひびが入る気配さえない。
しみじみと手に持ったマグカップを見る。分厚くて、取っ手は無骨で、食器というよりは丸太か何かのように感じてくる。丸太をくり抜いて白く塗り、取手をつけたのではないだろうか。
元彼が持ってきてから二年半が経っている。これから何年かかっても、割れないのではないかという気がしてくる。
仕事では理不尽なことばかり起こる。
その日、クライアントが送ってきたデータをテスト環境にアップロードして、それをクライアントの確認を得てから本番環境に反映した。すると、二時間も経たないうちに電話が鳴った。クライアントの所に、客先からクレームの嵐が舞い込んだと言うのだ。
確認してみると、そもそもクライアントの送ってきたデータが間違っていた。元のデータが間違っていたのでは、私にはわかるはずもない。クライアントも確認しOKを出したのだ。こちらのチームリーダーだってOKした。それなのに、いつの間にか私の確認不足という話になっていて、私一人がクライアントの客先に出向いて謝ることになった。 午後一杯かかって、5件の客先で頭を下げた。
ワンルームマンションに帰宅して靴を脱ぎ、重い体を引きずってキッチンに行くと、シンクに置いてある派手なマグカップが目に入った。その途端、私の手がマグカップに伸びる。口を上から鷲掴みにして、思い切り振りかぶる。チームリーダーとクライアントの顔が思い浮かぶ。そのまま床に叩きつけるつもりだったが、すんでのところで思いとどまる。こんなことでこのマグを壊すのは、なんだか違う。
私はマグカップをゆっくりとシンクの横の水切り台に置く。
小学五年生の時に使っていた 猫のキャラクターの絵が描かれた茶碗は、ある日うっかりテーブルの上で倒してしまっただけで口が欠けた。中学の卒業記念にもらったガラスの写真立ては、帰宅して机に飾ろうとした時、机の縁にわずかに当てただけで割れた。
それなのに元彼がくれたマグカップは、なかなか割れない。
テーブルに置く時に少し強めに置いてみるが、そんなことではやはり割れない。
シンクに置く時に、不安定な皿の上に置く。そのうちにバランスを失って皿の上からシンクの底に転がるが、やはり割れない。
洗剤で洗った後、もう一度水切り台の上に音が鳴るくらい強い力で置いてみる。やはり割れない。
普通のマグカップより頑丈にできているのかもしれない。製法が違うのか素材が違うのかそんなことはわからないが、とにかく壊れにくいマグカップのようだ。
放っておいてベッドに入る。クライアントの怒声を頭から押し出すように映画のことやテニスのことを考えようとするが、どうも胃がきりきりと痛むような気がする。何を考えても楽しくない。眠くもならない。
ベッドから起き上がってスリッパを履く。トイレに行った後、キッチンで水を飲む。当たり前のように、マグカップを使っている自分に気づく。
わざと割るつもりはない。でももし偶然これが割れてくれたら、明日は買い物に行って代わりのマグカップを買って、ついでに新しいスカートも買おう。
先ほど、強めに台に置いたが何ともなかった。並みのマグカップより頑丈だと思ったが、そんなことがあるのだろうか。所詮、マグカップはマグカップだ。陶器だか磁器だか知らないが、他のものより特別丈夫にできているなんていうことはないだろう。
思いっきり強く、キッチン台に置く。ドンっと音が響くだけで、何も起こらない。
もう一度試したくて水を飲む。喉が渇いているわけではない。水を飲みたくてマグカップを使うのであって、壊すために持ち上げるのではない。
水を飲み干すと、少し振りかぶってキッチン台の角にぶつかるように振り下ろす。これは、マグカップを台に乗せようとして誤ってぶつけてしまったに過ぎない。
かなりの強さでぶつけたのに、割れない。これくらいの力でぶつけたら、普通の陶磁器は割れるはずだ。このところ食器を割った経験がないので、勘が狂ったのだろうか。
食パンをオーブンに入れて焼く。私は食パンは生では食べることができない。フカフカ、カスカスして、食べ物だと思えない。焼いたものでないと喉を通らない。
子供のころ使っていた食器のことを考えていると、チン、と古風な音がしてトーストが焼きあがる。冷蔵庫からバターを出してトーストにざっざっと塗る。多めに塗ると、どうしてもはみ出してしまい手にバターがつく。決してわざと手に塗ったのではない。バターが好きなので多めに塗った結果に過ぎない。トーストをかじる。マグカップに水を入れて、一口で飲み干す。手がたまたまバターで滑りやすくなっているので、ついうっかりマグカップを落としてしまう。
薄っぺらで派手なマグカップが音を立てて床に落ちる。「ああー」と声を上げて拾い上げる。割れていない。ひっくり返して確かめるが、どこにもひびも入っていない。そんなことがあるのだろうか。
手がバターまみれなので、手に持ったマグカップをついうっかり壁にぶつけてしまう。思ったよりも大きな音が夜中に響く。もう一度「ああー」と声を出す。マグカップは、やはり割れていない。壁を見ると、当たった部分の壁紙が少し破れていて、壁材がへこんでいる。とすると、壁よりもマグカップのほうが強いらしい。別にマグカップを割ろうとしたわけではなく、たまたま手が滑って壁に当たってしまっただけなのだが、これはいくら何でもおかしいのではないだろうか。
戸棚に置物として飾ってあった白磁の一輪挿しをキッチンまで持ってくる。小さなフラスコの形をしていて、つやつやに光っている。一昨年セレクトショップで見つけた。見た瞬間に気に入ったが、いい値段だったのですぐには買う決心がつかなかった。しばらくワインを安いものに変えることで自分に折り合いをつけて買った。
バターで手が滑るので、一輪挿しをついうっかり床に落としてしまう。
一輪挿しは、高い音を立てて二つに割れる。当然の結末に私は胸をなでおろす。この高さから割れ物を落とせば割れるのが当たり前なのだ。
別れた彼のマグカップを床にもう一度、ついうっかり落としてみる。やはり転がるだけで、割れない。
使わなくなったワイングラスを、収納の奥の箱から出してキッチンに置く。雑貨屋で見つけて買って以来、ほとんど使わないまま片づけてそれっきりになっていたものだ。背が高くておしゃれだと思ったのだが、高すぎて使いづらかったのだ。
その小さな一輪挿しをキッチンの床についうっかり落してみる。がちゃんと渇いた音がして、粉々になる。
どうしてマグカップだけが割れないのか。
マグカップを眺めてても理由がわからないので、やはり寝ることにする。ベッドに寝転がると、自然とクライアントのことが思い出される。何かあるとすぐに私のせいにして、声を荒らげたり無理難題をふっかけてくるくせに、普段はベンダーに理解があるような、協力的なふりをする。こちらのことを考えているのではなく、そういう自分を演じたいだけなのだ。
別れた彼も同じだった。普段、お前のために、お前のためにと押しつけがましいことばかり言って、いざという時には結局は保身のことを考える人間だった。一緒に出掛けていて私の靴が壊れて派手に転んだ時、私の体や靴の心配をするのでなく映画の時間に間に合うかどうかをまず気にした。
マグカップを渡してきた時もそうだ。こちらの都合や好みなど一切考えず、頼んでもいないのにプレゼントだと言って突然持ってきた。女性には大きすぎるマグカップは、つき合あていた当時こそ嬉しかったが、別れた今となっては邪魔でしかない。
彼がプレゼントをくれたことは他にほとんどなく、誕生日やクリスマスにも何もくれなかった。唐突に買ってきた、数少ないプレゼントであるそのマグカップだけが割れない。
ベッドから体を起こす。彼が置いて行ったマグカップだけが割れない。
なぜかはわからない。
彼が置いて行ったマグカップだけが割れない。
彼が置いて行った他のものは、割れるのだろうか。
時計を見ると夜中と早朝の中間くらいの時間を示している。だが、これを確かめなければ眠れそうもない。
彼が置いて行ったものと言っても、そんなものはほとんどない。出張先で買ってきた地方の土産物などは食べてしまった。夕食の都合も考えずに買ってきた総菜も当然その時に食べてしまった。
部屋を見渡す。それほど長い期間つきあった訳ではないが、それにしても私の部屋に彼の痕跡がない。写真もない。彼が好きだった、車関連のものもない。棚の上を端から確認するが、彼が残したものはない。割れそうなものを探していたが、そんなことよりもまず彼が残したものがない。
食器棚や冷蔵庫の中も確認する。中に入っているものを順に出して、自分が買ったか彼が買ったかを逐一確認する。彼が残していったものはない。
他に探す場所もなく本棚の本や雑誌も全て床に広げる。自分が買ったものばかりだ。
一冊の本が目に入る。しおりが挟まっている。赤い小さなしおりで、カエルのイラストが描かれている。こども病院の名前が書かれている。赤字にカエルとはどんな趣味をしているのか。なぜこども病院がそんなしおりを作るのか、そしてなぜ彼がこれを私によこしたのか。
何もわからない。だが、このしおりは彼が残していったものだということは確かだ。
もう一度、食パンをオーブンにかける。カーテンの隙間から見える窓の外は白み、街の朝の音が聞こえ始めている。
キッチン台においたしおりのカエルは間抜けな顔でこちらを見ている。指を大きく広げて地面につけており、口はだらしなく開き、片目を閉じている。体が大きくて手足がやけに細い。こども病院のキャラクターなのかもしれないが、全くかわいいと思えない。
しおりは紙でできている。他に適当なものがないので仕方がない。これをついうっかり落とすしかない。
もしもこのしおりが割れなかったら、私の部屋にあるもので別れた彼が置いて行ったものは、全て割れないということになる。全て、というのが重要で、割れるか割れないかわからないよりずっといい。
オーブンが、食パンが焼けたことを示す音を立てる。トーストを取り出し、皿に置く。バターを取り出して、たっぷり塗る。ついうっかりバターが手についてしまう。
トーストを食べ終えた後、しおりを手に持つ。念のため踏み台に乗る。もしこれが割れなかったら、全て納得できる。とにかくそういうものなのだ、そういうことなのだ。
私の手にはバターがたっぷりついており、つい手を滑らせてしまう。手から零れ落ちたバターまみれのカエルのしおりは、カーテンの隙間から差し込む朝の光を受けながら、ゆっくりと回転し、床に向かってゆく。
終わり
マグカップ感 杉村雪良 @yukiyoshisugimura
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