第44話
「はい、お手」
「わん」
「おすわり」
「わんわん」
みさきはわたしの手を握って、その場にしゃがんだ。キラキラした目で上目遣いをする。かわいい。
本当に犬の頭を撫でるみたいに、頭をわしゃわしゃしてやる。
「おーよしよし、ちゃんと命令聞けていい子だねぇ」
「くぅんくぅん~……って誰がペット犬じゃ!」
みさきはわたしの手を振り払って立ち上がった。
従順な犬顔を不敵な笑みに変えてくる。
「ふっ、せいぜい飼い犬に手を噛まれないように気をつけなよ」
「噛みたいなら噛んでいいよ」
わたしはためらいなくみさきの前に手を差し出す。
どんなふうにするのか、どんな顔でするのか見てみたい。
みさきはわたしの手を見て、目を見て、くっ……みたいな顔で後ずさる。逃げるようにしてキャッチボールの距離に戻った。
やらないらしい。口だけすぎる。
「ほら、ちゃんとここに投げてね」
みさきは掲げたグローブをバシバシ叩く。
わたしはボールを振りかぶると、またあさっての草むらに向かって投げつけた。
お笑いのコントとかで見る繰り返しってやつ。面白さがよくわからなかったけど、自分でやるとちょっと面白い。
「んも~~~!」
みさきは牛みたいな声を上げて、草むらのほうに走っていった。
ちょっといじわるかもしれないけど、あれはあれで楽しそうだしまあいっか。
最初はぜんぜん乗り気じゃなかったけど、気づけばわたしは声を出して笑っていた。楽しくなっていた。みさきがいれば、なんだって楽しい。
ボールは思ったより深いところに転がっていってしまったらしい。草むらの奥は雑木林になっている。みさきの姿はその中に消えていった。
ちょっと心配になって、わたしは芝生を歩いて近づいていく。
その途中、お馬さんをかたどった背の低いオブジェが二つ、向き合って埋まっているのが目に入る。
わたしは足を止めて、すっかり塗装の剥げた馬を見下ろした。
ずいぶんくたびれていたけど、急に懐かしさがこみ上げてきた。
みさきと初めて出会ったのは、この公園だった。彼女はお馬さんに座ってひとりで泣いていたわたしの前に、どこからともなく現れた。
本当に何の前触れもなく。
たまに思う時がある。
子供の時のわたしは、変に大人びていて、きっと今よりもひねくれていた。
早くから壁にぶつかって、自分の限界を知って。
現実は甘くないって、なんでも知ったふうな顔をしていた。
不確かなものが嫌いで、奇跡とか幸運とか、信じなくなっていた。神様なんていないって、ボロクソに言ってた。
だって困ったときも苦しいときも、助けてなんてくれない。そんなだから、願い事なんて叶えてくれるはずもない。オーディションに受かりますようにって、わざわざ大きな神社に行って家族でお参りしても何も効果なかった。
それからというもの神社に行くときは、みんなと一緒に手を叩いてお辞儀をして、頭の中で「ばーか」って言うようになった。
そんなわたしに、神様はムカついたのかもしれない。そんなに言うなら、見せてやるよって。怒った神様がわたしのもとに、彼女を遣わした。
死にかけだったわたしを助けに来た、スーパー美少女。
かわいくてかっこよくてかわいくて。
わたしにとって、超がつくほど完璧な美少女だ。そのくせバカをやったりドジをやったりする。たまに「こいつ大丈夫か?」ってなる。
けれど、みんなから愛される。
嘘みたいに、わたしの理想を集めたような。
まるでそれは、わたしがなりたかったわたし、みたいな。
「みさき?」
わたしは急に不安になって、名前を呼ぶ。
彼女が姿を消した茂みには、人の姿は見当たらなかった。気配すらない。みさきが戻って来る様子はなかった。待てども待てども、物音すらしない。
それどころか、公園は不気味なほどに静まりかえっていた。
あたりを見回しても、人っ子一人いない。いつの間にか、わたししかいなくなってる。まるでわたしだけ、突然世界にひとり取り残されたみたいだった。
「みさき!」
わたしは怖くなって、彼女の名前を叫んでいた。
神が遣わしたスーパー美少女は、役目を果たした彼女は。わたしを助けたあと、いなくなってしまうのかもしれない。
奇跡みたいなことはあるって、わたしが信じたから。
これでわかっただろ? って神様も満足して、彼女をわたしの前から、引き上げてしまったのかもしれない。なんでそんな嫌がらせするのかって?
答えは簡単だ。わたしはきっと、神様から嫌われている。
急に目の前が真っ暗になった。
動悸がして、止まらなくなって、わたしは握りこぶしで胸を押さえた。苦しいのにうまく呼吸ができなくて、立っていられなくなって、その場にうずくまりそうになった。
「どうしたの、そんな声出して」
パニックになりかけた次の瞬間、ぱっと視界が明るくひらけた。
振り返ると、彼女はいた。目を見開いたわたしを見て、おかしそうに笑っている。
暗闇に覆われていた世界が、急に色づきを取り戻した。真っ暗だったのは、わたしの心情を表す比喩だけじゃなかった。みさきはわたしの後ろから忍び寄って、手で目隠しをしたらしい。
ほっと気が抜けて、ドキドキが落ち着いてくる。
けれど安心したら、すぐに怒りがこみ上げてきた。わたしはじろりと恨めしげな視線を送る。
「なにやってたの、どこいってたの」
「な、なにそんな怒ってるの? ボール外の溝に落ちちゃってたんだって。 やっと拾ったら電話かかってきて、ちょっと話してた」
みさきはわたしの手にボールを握らせると、取り出したスマホをぶら下げた。
「電話って、誰と?」
「莉音」
「莉音? なんて?」
「今日暇ならカラオケいこー! だって。いやあ、モテる女はつらいね」
「ちょっと貸して」
わたしはすばやくみさきの手からスマホを抜き取る。
そのまま振りかぶって、あさっての方角に向かってぶん投げた。
「そおーい!」
「あああーっ!!」
わたしが投げたのはボールだ。スマホを投げられたと勘違いしたみさきは、悲鳴を上げながら飛行物体を追いかけていった。
みさきのスマホで、莉音とのやり取りをさかのぼる。メッセージでも仲よさげなやり取りしてる。ずいぶん楽しそうに。
莉音とラインしてるなんて、聞いたことないけど。
慌てて戻ってきたみさきが手を伸ばしてくる。
「ちょっとスマホ! 返して!」
「この『莉音ちゃん今日はどんなおぱんちゅはいてるのかな~?』ってなに?」
「いやそれはギャグだから! ギャグ!」
わたしはみさきに向かってスマホをぽいっと放った。みさきはわたわたしながら、落ちる前に受け止める。わたしは彼女を置いて、すたすたと公園の出口へと歩き始めた。みさきが何事か弁解しながらついてくる。
ほら、見たでしょ。
わたしはまだ助かってなんてない。ちょっとなんかあるとすぐへそ曲げるし、不安になるし、病むし、死にそうになる。
わたしにはまだまだ彼女が必要だ。
もう返してって言われても、絶対に返さない。
わたしのこと、これからもずっとずっと……見ててもらうんだから。
だから神様。
どうか、わがままなわたしの言うことを、聞いて。
もうばーかって言わないから。お賽銭だって入れたフリじゃなくて、ちゃんと五円……五百円ぐらい入れてもいい。いい子にするから、お願い。
それでもわたしから、彼女を奪うようなことをするなら……。
そのときは。
よーく切れそうな刃物を持って、お参りに行くからね。
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ここで一区切りになります。
お読みいただきありがとうございました。
このジャンルで思ったよりずっとアクセスがついて驚いてますが、続きをどうするかはしばらく様子を見て決めようかと思います。
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