第42話
あたしの部屋のベッドは一人用だ。お高そうな木製フレームの上に、ふかふかのマットレスが敷いてある。親戚から譲ってもらったもので、結構いい値段がするらしい。
けれどあたしにとってはあんまりいいベッドじゃない。
寝相が悪くてたまに落ちるから。
ベッドを変えるんじゃなくて落ちないように矯正しろ。とママンからのお達しである。
「今日、ほんとに泊まるんだ?」
あたしは部屋に入ってきた未優に、念のため最終確認をする。
パジャマに着替えた未優は、さっきまで洗面所で歯磨きをしていた。着替えや歯ブラシなどのお泊り用品一式は、朝来たときにカバンに入れてうちに持ち込んでいた。
あたしが了承を出すまでもなく、もともとそのつもりだったみたいだけど……今ならまだギリギリひきかえせる。
未優はあたしが乗っているベッドの端に腰を下ろした。
「なに? ヤなの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「暗闇の中を帰れって?」
「いえ、めっそうもない」
愚問中の愚問であった。
泊まるのはいいのだけど、寝床がない。いや他に寝室はある。あるのだけど……。
「あの、ママンの部屋にもっといいベッドあるけど……」
「ひとりで寝るのこわーい」
だそうです。
その急なぶりっ子のほうがあたしには怖い。
「みさきは拒否権とかないからね? 負けたんだから」
「負けた? なんのことです?」
「さっきお風呂でもう降参するからゆるしてって」
「言ってませんが?」
「言った」
チートスキル・時間跳躍。
語ってない部分はなかったことにできるという異能力だ。無理やり自分の記憶を改竄したとも言える。
「じゃあ、続きする?」
「降参するからゆるして」
さらなるチートスキル時間逆行の使い手だと……?
あたしは早々に抵抗をあきらめた。
「そうやって遅くまでゲームやってるとよくないよ?」
未優はあたしの肩に顔を寄せてくる。
でも今日はまだデイリーやってない。いろいろあってやってる暇なかったから。
「ね~え~」
間延びした声であたしの腕を引っ張ってくる。
ゲームではなく自分の相手をしてほしいらしい。かまってちゃんだ。
にやけそうになっていると、未優はあたしの手からスマホを引っこ抜いた。かたわらの棚に置いてしまう。
「あ、まだ終わってないのに」
「おしまーい」
ぱっと部屋の明かりが落ちる。
未優がリモコンを操作したらしい。けれど完全な暗闇ではない。天井には小さく黄色い明かりが残っている。
「あたし明かりついてると寝れないんだよなー」
「わたし真っ暗だと寝れないんだよなー」
口々に言っていると、未優は先に布団の中に滑り込んだ。
もう寝るつもりらしいけど、時間にするとまだ早い。あたしはまだ眠くない。
「ほら、おいで」
薄闇で未優が手招きしてくる。
いやおいでって言われても……。
やっぱりここで二人眠るには狭い気がする。枕も一つしかないし。
なんて迷いながらも、布団の中へ。とりあえず仰向けになってみる。
知ってる天井だけど、この状況は知らない。
これで寝る。寝る。寝る。ねるねるねるね。
いや眠れるか。
肩が触れて体温感じるしめっちゃいい匂いが漂ってくるし心拍数上がってきたし。
なんてやっているうちに隣から腕が伸びてきて、あたしの胴体に巻き付いてきた。
「つかまえたー。はい、ぎゅー」
あたしを抱き枕のようにして、横から抱きついてくる。
しばらく胸元に頬ずりしたあと、顔を見上げてきた。
「ねえ、未優のこと好き?」
自分のことを名前で呼ぶ。いきなりフルパワーでデレている。
そのぶん圧も強い。あたしは間髪入れずに答える。
「す、好きだよもちろん?」
「どれぐらい? 世界でいちばん? 宇宙一?」
「ん、んー……宇宙一かも」
「今ちょっと引いたでしょ?」
デレ未優は案外鋭い。
いや引いたというか、ギャップに驚いているというか。
未優はあたしの腕を抱きしめながら言う。
「瑠佳ちゃんはまさかわたしたちがこんなことしてると思ってないだろうね。バレたら嫌われちゃうかな? せっかく好きっていってくれたのにねえ?」
というわりに勝ち誇ったうれしそうな顔。
んー負けず嫌いな子。
「余裕の勝利宣言……」
「余裕じゃないよ? わたし、けっこう緊張してるよ?」
「えぇ? 全然見えない」
「ほら、わからない?」
さらにぎゅうっと腕をしめつけてくる。
心臓の鼓動を聞け、というのだろう。こっちとしては胸の感触のほうに気がそれる。
「どきどきしてるでしょ?」
「う、うーん……そうだねぇ」
正直よくわからないというのが本音だ。
しだいに目が慣れてきて、顔の表情までわかるようになる。あたしの顔をじっとのぞき込んでいた未優は、目が合うなり急に顔を伏せた。
「……あの、さっき、うれしかったから」
「なにが?」
「瑠佳ちゃんの前で、わたしのこと好きって、ちゃんと言ってくれたこと。みさきのことだから、テキトーにお茶濁すのかなって思ったけど」
そこはさすがにね。あたしも決めるときは決めるってね。
正直迷ったけどね。
「……本当はあのとき、みさきのこと取られちゃうかもって、気が気じゃなかった」
「そ、そうなんだ」
「みさきにわたしが一番って言わせて、安心したかった」
未優の声音がだんだんと平坦に、小さくなっていく。
しまいには沈黙になった。言葉が出なくなる。また未優の空気に飲まれていると思った。
「……うそ」
未優は顔を上げて、あたしを見た。
「今のは、三番目ぐらいの未優」
「は?」
「わたしのなかには、いろんな未優がいるから」
またよくわからないことを言い出した。でも未優は真面目だった。だからあたしは口を挟まずに聞いた。
「ずっと別の人を演じているような感覚があって。だから、今言ったのも、ほんとのわたしじゃないのかもしれない」
ただの照れ隠しとかごまかしなのかと思ったけど、違った。それだけ言うと、未優はまたうつむいて押し黙った。この先を言うかどうか迷っているみたいだった。
あたしはただ黙って待った。
言いたくなければ、言わなくていい。話したいならば、聞くつもりだった。
やがて未優は、ゆっくりと口を開いた。
「……そんなだからわたし、大人になる前に死ぬんだと思ってた。毎日、嫌なことばっかりで。明日も、その次の日も。ずうっと楽しくないことばかり。それを全部頭の中でリストアップしていって。その時々でいろんな未優を使い分けて、乗り越えるの。こんなのが続いて、来週の今ごろ、生きてるかなー。1ヶ月後はどうかな。1年後はさすがに無理っぽいな。5年後? いやいや無理無理って」
未優は笑った。でも笑みはすぐに消えた。
「でも今はそんなこと、思わない。気づいたらそんなこと、考えなくなってた」
「それは、なんで?」
「みさきと出会ったから」
未優が顔を上げた。
まっすぐな瞳に射抜かれて、どきりとした。
「だから、みさきはちゃんと責任取ってね」
「なんの?」
「わたしを生かした責任」
そう言って未優は笑った。
冗談なのか本気なのか、あいかわらず読めなかった。いちおう聞いてみる。
「ってことは、今の未優は、一番目?」
「んー……みさきは、どう思う?」
彼女は一人でいくつも別の未優を演じている。その言葉に従うならば、この未優は、あたしとははじめましての人なのかもしれない。
そしたらあたしは、本当の未優に会ったことがあるんだろうか?
もしかしたら本物の彼女……一番目の未優は、心のずっと奥深くに隠れてしまって、もう表には出てこないのかもしれない。
なんて。
未優本人にもわからないのに、そんなことあたしにわかるわけがない。
けれどただ一つ、言えるのは。
「どの未優だって、未優は未優だよ。一番目も二番目も、本物も偽物もない。全部があたしの好きな未優だ」
未優は薄闇の中であたしを見つめていた。やがてぐっと唇を結んで、かすすかに震わせて、泣きそうな顔をした。でもあたしがまばたきをした次の瞬間には、また笑っていた。
「わたし、口で言われただけじゃ満足できないの。わかってるよね?」
何番目かの、わがままな未優だった。
でも彼女の声は、少しだけ揺れていた。まるで本当は心配で不安でたまらないのを、必死に強がっているような、そんな響きがした。
愛おしさがこみ上げてくる。
だから今は、彼女の言う通りにしてあげたくなった。彼女に言われるがままに。彼女の言いなりに。
無言で彼女の体を抱きすくめる。
伏せた頭を、胸の中に迎え入れた。背中を撫でて、髪に触れて、子供をあやすように頭を指先でぽんぽん叩いた。
「……ありがと」
胸の中でくぐもった声がした。
見下ろすと、小さく丸まった彼女は恥ずかしそうに顔を上げた。あたしはその唇に、優しくキスをした。
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