第41話

「ふぅ……」


 ため息ともなんともつかない声を漏らしながら、あたしはお風呂場の蛇口をひねる。

  

 お風呂が湧きました♪ の声であたしの上からおりた未優は、「先に入っていいよ。みさきだけに」と意味のわからないことを言った。

 いやどうぞどうぞお先に、とあたしが譲ろうとしても聞かなかった。


 吹き出したシャワーの温度を手で確かめる。

 やがて湯気が上がって、鏡に映った上半身が曇りだした。嫌な汗をかいたせいか、肌が少しべとついている。はやく洗い流したかった。


 最初に髪を濡らして、頭を洗った。髪が長いと、毎度毎度面倒。ほんとはもっと短くしたい。


 泡を流して毛先の水滴を絞っていると、背後でばたん、とドアの音がした。

 あたしは振り返った。湯気の中に人影が見えた。未優だった。全裸の。


「ってオイィィイイ!」


 オイィィイイ! ってやつ、こういうときにリアルで出る。

 未優は手にしたタオルで胸元を覆うと、口をとがらせた。

 

「ちょっと、あんまり見ないでよ」

 

 いやいやおかしいおかしい。

 それは夜道でコートをバッてやった人が「見ないで!」って言ってるようなものだ。

 あたしは目を背けながら言う。

 

「な、なな、なにやってんの!?」

「お風呂一緒に入ろ?」

「いやもう入ってるから! 入ってから聞くな!」

「先に聞いたらどうせ嫌って言うじゃん」

 

 かたくなに一番風呂をすすめてきたときから怪しいとは思っていた。ちょっとしたのぞきとか軽いイタズラぐらいは覚悟していたけど、まさか乗り込んでくるとは。


「ほら、背中流してあげるから」

「いやいや結構です! 自分でできますから!」

「なんで嫌がるの? わたしのこと好きなんでしょ? 好きな人に洗ってもらえるのに嬉しくないの?」


 ずるい言い回しをする。

 断ったらまた口だけの嘘つき呼ばわりされそう。


 いや、でも待った。

 好きな人に洗ってもらえるんだから、ラッキーじゃん。ハッピーじゃん。

 なにもそんな邪険にすることはないはずだ。

 

 首を小さくかしげる未優と目が合う。

 お風呂場のライトが肌を白く照らしている。本当に一糸まとわぬ姿だ。なんかエロいとかそういうのを通り越して緊張してくる。つい目をあさってのほうにそむけてしまう。


 べつに嫌ってわけじゃないんだけど、まだ心の準備ができてないっていうか、なんか恥ずかしいっていうか……やっぱり恥ずかしい。


「なにをそんな慌ててるの? なにが恥ずかしいの?」

 

 未優はずっと不思議がっている。

 女同士だから恥ずかしくないって、全然そんなことない。恥ずかしいもんは恥ずかしい。


「前も一緒に入ったことあるじゃん」

「そ、それは、ずっと前の話でしょ」

「そのときもみさき恥ずかしがってずーっと背中向けてた」

 

 そのときはあたし目線では女の子になりたての時期だったので、いろいろとヤバかった。今でもヤバいけど。


「未優は恥ずかしくないの?」

「んー……みさきが恥ずかしがってるから、あんまり恥ずかしくないかな?」


 愚問だった。もしそうなら、いきなり人の入浴中に突貫してこない。

 未優によれば、相手を恥ずかしがらせれば勝ち。自分は恥ずかしくない。

 つまり守りに入るからよくない。あたしは攻めに転じることにした。


「じ、じゃあ、あたしが未優の背中流してあげる!」

 

 あたしはすばやく未優の背後に回り込んだ。

 鏡に未優の体のラインが映る。あたしは隠れる。


「だめ! わたしがやるの!」

「いやいやここはあたしが!」 


 お互い背後を取ろうとわちゃわちゃする。

 足をドタバタさせながらぐるぐる回っていると、未優の手がいきなりあたしの胸を鷲掴みにしてきた。


「ひぁああ!」

「おとなしくしなさい」


 あたしは未優の手を払うと、胸を抱えてうずくまる。

 触られた……わしづかみされた……。


「はい、座って!」


 両肩を掴まれ、椅子に座らされる。あたしは小さく丸まる。

 

「よしよし、おとなしくできていい子ですね~」


 子供扱いはやめてほしい。

 後ろから伸びてきた未優の手がソープボトルの頭を雑に叩く。いや出し過ぎでは。


「ひっ!」


 液体を背中に垂らされた。体がこわばる。


「わ、わざとやってるでしょそれ!」

「だってみさきはさっき負けたよね?」

「は?」 

「わたしが演じた瑠佳ちゃんに襲われて拒めなかったんだから、おしおき」

「だ、だから瑠佳はあんなことしないっていうの!」


 未優によるとさっきのは目覚めてしまった瑠佳を想定して、のことらしい。

 でもあたしにしてみたらただの未優だ。いじわるドS未優。


「どう? きもちいーい?」

「洗うのにその聞き方おかしいでしょ」


 あたしの背中にボディソープをなじませながら聞いてくる。気持ちいいというか、こそばゆい。

 

「ん~お肌すべすべで気持ちいい~」

「……あの、ちょっと?」

 

 背中にやんわらかい感触が当たっている。

 これは完全に背中によりかかられてますね。アウトでは?


「あむ」

「ひっ……」


 首筋に柔らかい痛みが走る。

 鏡にはあたしの首と肩の間に食らいついている未優の顔が映った。あたしは慌ててヴァンパイア未優を振りほどくと、指で十字架を作る。


「吸血鬼は退散! 浄化!」

「なにいってるの。みさきはわたしの眷属でしょ」

「誰が下僕か」

 

 いつにもまして未優の様子が変だ。もう隠そうともしない。

 あたしの指十字架を指ごと食べようとしてきたので引っ込める。手強い。

 未優は再び背中洗いに戻った。


「あの、もう背中は、いいんじゃないですかね」


 しばらくしてあたしはそう進言する。 

 持ち時間長すぎ。もうピッカピカのはずだ。


「そう? じゃあつぎ前洗いますね~」

「ち、ちょっ!」


 脇の下をぬるっと手が滑ってきた。両手が勢いよく体の膨らんでいる部分まで届いて、覆う。

 

「あ、固くなってる」


 いきなり先端をつまんできた指をふりほどいた。もういい加減、とあたしはくるりと体を反転させた。膝立ちになった未優と正面で向き合う。

 

「お、やる?」


 未優は両手を上げて構えてみせた。

 あたしが睨みつけても全然悪びれる様子がない。あたしだってやられっぱなしで黙ってられない。これ以上好きにさせてたまるか。 


「それそれぃ! とりゃとりゃ!」


 おっぱい攻防戦が始まる。

 お互い腕を伸ばしては叩き落とし、払いのける。


 やがて手のひら同士の取っ組み合いになった。単純な腕力で言ったらあたしのほうが強い。

 かなわないとあきらめたのか、未優の手から力が抜けた。防衛ラインを突破したあたしの右手が、ターゲットに届いた。


 手のひらが柔らかい肌に沈み込む。

 未優の抵抗はなかった。あたしの手を振り払おうともしなかった。

 あたしもあたしで王手をかけたはいいものの、どうしていいかわからず固まる。


「あっ……」


 強い刺激が走って、声が漏れていた。

 あたしが止まっていた隙に、未優の右手があたしの胸を押しつぶしていた。


 あたしは負けじと右手に力を込める。たぷたぷの膨らみに指が食い込む。

 同時にあたしの胸も握り込まれて形がたわむ。力を入れた分返ってくる。諸刃の剣だ。

 

 あたしたちはお互い腕を伸ばしたまま、なぜか無言で見つめ合っていた。ついさっきまでじゃれてふざけていたはずなのに、真面目な顔つきになっていた。

 

 乱暴だった未優の手つきが、しだいに優しくなる。あたしの手もそれを真似る。

 滑らかに湿った指が敏感な箇所をつまんでくすぐりはじめた。あたしの指先もそれを真似る。


 また声が出そうになったけど、出したら負けだと思った。きっと未優も同じことを考えているような気がした。

 たぶんごまかしはきかない。未優の瞳は微動だにしない。あたしの表情の変化を片時も逃すまいとしている。


 あたしをいじくる指先に緩急がつきはじめる。

 優しくなでて、こすって、強く潰して。複雑になるにつれ、あたしの指は真似できなくなる。

 

 必死の声を押し留めていたけど、体はびくびくと小刻みに震えていた。一枚もニ枚も向こうが上。頭の中では、もしかして未優ってこういうことするの初めてじゃない? とか謎に嫉妬みたいな気分になった。

 

「んっ……」


 先に吐息を漏らしたのはあたしだった。しまった、と我に返ると、表情のなかった未優の口元がニンマリと歪んだ。

 

「はい、またみさきの負け~」

 

 かあっと顔面が火を吹く。やっぱり思ったとおりだった。

 なにか言い返さないと、と口を開きかけると、未優の顔が近づいてきて、唇で塞がれた。

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