第9話
お互いの唇はすぐに離れた。
未優はあたしの頬に触れていた手をおろした。あたしを見つめた未優の口元はかすかに笑っていた。
あたしは混乱していた。
キスするのが証拠。それって、なんの証拠?
わけがわかんなくなって、ただ聞いた。
「い、今のって、どういう……」
「わたし、男の人より、かわいい女の子が好きだから。だから彼氏はいらない」
未優はきれいな顔をかしげて、にっこりと笑った。
なんだか懐かしい感じがした。まるでずっと忘れていたものを、思い出させるような笑みだった。
あたしは……男だったときのあたしは。
未優のことが好きだった。
いや、好きなんていうのもおこがましい。遠くから彼女を見て、ただ憧れていた。
まだ子供だったから、具体的にどうしたいっていうのはなかった。ふたりで話したい。一緒に遊びたい。とかそのぐらい。
未優をかわいい、好きだっていう男子はいっぱいいた。
あたしなんかが好きっていうのも申し訳なくなるぐらいに。いわゆる手の届かない高嶺の花ってやつだ。
彼女は一人でいることが多かった。クラスの中心になって目立つようなタイプじゃなかったけども、そういう子からも一目置かれていた。
そこらの平凡な男子には、声をかけるどころか、近寄ることすらできない不思議な雰囲気があった。
本を読んでいる動作ひとつとってもおしとやかで、繊細で、儚げで……。
けどあたしが女になってからは変わった。あたし自身が変わった。
自分の容姿をそれなりに自覚しはじめて、周りからも持ち上げられて、自信がついたのかもしれない。
気づけば未優とも、気後れなく話せるようになっていた。
でもそれは異性としてじゃなくて、同じ女の子として、友だちとしてだ。
ずっと好意はあったけど、それがはっきり恋愛感情なのかはよくわからない。
彼女はもちろん普通に、男子が好きなんだろうなって。それはないだろうなと思って、頭から消していた。
けどいま、未優は。
女の子が好きだって。彼氏はいらないって。
つまり恋愛対象は女の子ってこと?
それって、あたしと一緒ってこと?
ドクンドクンと脈が強くなる。心臓がバクバクする。
あたしにキスして、かわいい女の子が好きって……つまり今のって、未優なりの告白?
あたしに対する告白ってこと?
ってことは、ここで返事をすれば……?
「……あたしも、みゆのこと……好き」
気づけば口にしていた。
まっすぐ顔を見てられなくなって、少しだけ目線を落として、続ける。
「ほんとは昔から、ずっと好きだったけど……俺、普通だったし。未優は俺のことなんて眼中にないだろうなって……。今は仲良しだけど、女同士だし……って思ってて、あきらめてて……」
顔色をうかがうように目線だけ上げた。
未優はまっすぐあたしを見ていた。優しい声で言った。
「みさき、わたしのこと好きなんだ?」
「うん……好き。大好き」
今度はちゃんと目を見つめて言った。はっきりと。
未優は微笑んだ。どきりとして、目が釘付けになる。
美しい。きれいだ。天使だ。女神だ。
この表情、もう返事を聞くまでもない。
わたしも、みさきのこと、好き。
でゴールイン。おめでとう。
まさかの逆転勝利。NTRなんてなかったんだ。ちょっとケンカっぽくなってたのも、雨降って地固まるみたいな、つまり終わりよければすべてよし。
未優はあごに指先を当てながら小さく首をかしげた。
「う~ん……でも、みさきはないかなぁ」
……は?
「な、な、なにがないって? そりゃあイチモツはついてないけど……」
「あのさ、さっきから『俺』ってなに? もしかして、またあたしは男だったとかいってる? この期に及んで。ふざけてるでしょ?」
「ふ、ふざけてないって。つい出ちゃうんだって! マジで、真剣だからこそ!」
昔からどれだけ好きだったかアピールをしたはずが裏目に出た。もうこれって、闇に葬ったほうがいいのかな。
あたし以外誰も信じないし、あたし自身よくわかんなくなってきたし。
「はぁ〜〜〜」
そして未優さんこれみよがしにため息。
「だめ。失格」
「え?」
「みさきがわたしのこと好きで好きでたまらないのはわかったけど。そういうノリはきらい。面白くないし、不愉快」
「で、でも、ネットだと女なのに俺って言ってる人いっぱいいるじゃん!」
「男だったけど突然女になったとかって言ってる人はいないでしょ。真面目に」
いやいや、みんなリアルで表立って言わないだけで、とつぜん男から女になっちゃった系の人ってわりといるんだと思うけどね。マンガとかアニメだといっぱいいるし。時間を止められる男だって九割ヤラセだけど一割はガチみたいだし。
呆れ顔の未優が指先を突きつけてくる。
「いっとくけど、それだけじゃないからね? みさき、いつも格好だらしないし、股広げて座るし。食べ方汚いし。パンツ見られても恥じらいないし。おっきいあくびするし。くしゃみするし。うちでトイレ入るときちゃんとドア閉めないのはなんなの?」
すべて事実である。反論しようにも反論のしようがない。
え、これってあたし、もしかして振られる流れ?
キスされて舞い上がって勘違いしてとちった?
いやでも違う。そんなはずはない。間違いなく脈アリのはずだ。フラグは立ってたはずなんだ。
これは最後の切り札だったのだが、いたしかたない。
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