トイレ、トイレ。

クライングフリーマン

トイレ、トイレ。

 先日、行ったら久しぶりに目を開けていた。母は「トイレ、トイレ。」と盛んに言っている。

 私は看護師を呼び、体から繋がる袋がパンパンでないことを確認して貰った上で、看護師さんにトイレに行けないことを伝えて貰った。

 納得していないので、「おまる使える体力がない、って先生が言っていた」と「伝家の宝刀」を使いました。やはり、「先生様」は偉大なのだ。

 とにかく、「尿意が分かる」ことと「伝えることの出来る声と発音」の存在を知った。

「寝たきり」を(怠け心で)早めた介護士達には想像出来ないだろう。

 収穫はありました。ひょっとしたら、(介護)施設のことを思い出していたのかも知れない。

 施設の介護士達は、「倒れたら危険だから」と、母のトイレ誘導を拒否し始めた。

 私には、部分介助で何とかなるのに、全介助が面倒だから,オムツ交換の方が楽だから、という、下級介護士達の我が儘としか思えなかった。

 どんな思惑や取引があったのかは分からないが、それまで味方する意見を言っていた、ケアマネジャーは、施設側に寄り添うようになった。

 話し合いの席で、訪問看護師に「オムツ交換しか出来ない」と言質を取った上で、ケアマネジャーは私を孤立させ、言うことを聞かせようとした。

「2人介助だと、点数が足りなくなるから、仕方がない。」と、説諭するから、「はみ出た分は実費でも構わない」と言ったら、「親のカネを勝手に使うのか?」と反論してきた。

 要は、「トイレ誘導させない」という施設の方針に追随したのだ。

「親のカネを勝手に使うのか?」キーパーソンとして、やりくりしている私に、あまりにも失礼な言葉だ。

 私は、第三者に相談の上、ケアマネジャーを解雇・交替させた。味方した訪問看護の会社とも契約解除し、他の訪問介護会社に切り替えた。

「トイレ誘導可能」なことは、すぐに実証された。

 だが、悲劇は第二幕を迎えた。

 一時的な「誤嚥」を起こし、収まった次の日、施設から流行病の陽性が出たから隔離処理で面会停止、更に、訪問介護を施設が新たに採用した訪問看護会社にするから、「事後承諾」するように言ってきた。私は、猛烈に反対した。案の定、私が採用した訪問看護会社に無断で進めようとしていた。

 新しいケアマネジャーと共に、隔離処理の間だけ、その会社に委託し、従来の訪問看護会社と連携するように提言した。

 母は、隔離後、すっかり衰えて、食事を拒むようになった。誤嚥が恐かったのかも知れない。10日後(本当は、厚労省が7日に変更していたのに)陰性になったけれど、点滴をせざるを得ない状態になり、酸素の機会も繋ぐようになったが、「今夜がヤマ」と言われた時、私は、究極の選択をした。

 高熱に苦しむ母を見殺しには出来ない。救急車を呼び、救急病院で「急性肺炎」だったと知らされ、回復はしたが、もう「食事不可能」になった。

「食事を拒む」から「食事不可能」に変わったのだ。

 点滴は、やがて外されたものの、「経鼻栄養チューブ(通称鼻チューブ)」の治療が始まった。救急病院から紹介され、転院した「療養型病院」に入院して、早くも1年半。

 母は、たまにしか目を開けず、言葉も話さない。

 でも、認知症はあまり進んでおらず、自分の意思を伝えることは可能だ。

 だが、動かせるのは首から上と、腕がほんの少し。

 尿意(生理現象)を感じることは、まだ出来る。でも、トイレ誘導どころか、おまるも使えない。

 尿意に関わらず、管を通してビニール袋に尿を溜めることしか出来ない。

 母がトイレに行けないのは、「悪意の結果」ではない。また、施設よりは「虐待」の可能性が低い。

 ありのままに受け入れることがベストなのだ。僅かな面会時間でも、私は通う。

 介護保険は、介護病床でないので、もう有名無実。でも、まだ介護生活は終らない。

 気晴らしに始めた「モノカキ」。でも、耳鳴りの向こうから聞こえる。

 私の「応援団」の声援が。

 私の修羅の道行きはまだ続く。母の延命を願って。

 ―完―


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トイレ、トイレ。 クライングフリーマン @dansan01

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