かぐや姫殺人事件

沙波

プロローグ

 大学の冬休みは短い。

 年末年始の期間が冬休みにあてがわれているだけだと言っても過言ではないだろう。

 生徒たちは休みの期間に帰省したり、旅行に行ったり。しかし、休み明けに待っている期末テストやレポートの提出のことを考えると、夏と春休みに比べると、開放感はそこまでないだろうと思う。

 S大学で民俗学を学んでいる雪上理来はその冬休みの期間である今、何をしているかというと、ゼミでお世話になっている小笠原教授の研究室の片づけと掃除を手伝っている真っ最中だった。

「いやー、悪いね」

 小笠原教授は屈めていた上半身を伸ばし、周囲を見渡して頭を掻いた。

 窓の外では北風が吹き、凍える寒さだというのに研究室で片づけをする、雪上と小笠原教授、そして、作務衣姿のこの男――雪上と同じゼミに所属する九曜三之助の三人は長袖をまくり、汗をかいている。

 九曜は年齢で言えば、雪上よりも二十歳ほど年上であるが、同じ三回生である。

 彼は数年前に流行した世界的なウイルスのの影響で、職を失い、それならばと発想を切り替え、大学に入学しなおした強者だ。社会情勢は以前の状況に戻りつつあるが、九曜は依然として学生をやめる気はないらしい。

 と、言っても次の春で四回生になる。いつまでも学生でいられる訳ではないので、そろそろ次を考えなければならない。早い人は就活をもう、ほぼ終えている。

 雪上もそろそろ本腰を入れなければならないのはわかっているのだが、九曜とともに、大学に入学した一回生のころから各地に伝わる民話や伝承をフィールドワークで集め、研究していくという活動をひょんなことからはじめ、それが割と雪上自身に合っていたらしく、今となっては楽しんでる自分もいたので、就職活動を進める中で自分が今後どうしたいのか。深い森の闇に迷い込んだ気分になってしまい、大学をあと一年と少しで卒業する感覚がよくわからなかった。

「教授。つかぬことを伺いますが、研究室はいつから掃除していなかったのですか?」

 手を止めずに、マスクに作務衣の腕を捲った九曜はふっと小笠原教授の方を振り返る。

 こめかみに汗が流れた。

 それほど暑いのにマスクを手放せないのは、つもり積もった埃が異常な量だから。

「うーん、いつだったかな」

 小笠原教授は苦笑いを浮かべ、誤魔化していた。

 この様子だと、今まで一度も、したことがなかったのではないかと思う。雪上はマスクの奥で大きなため息を吐いた。

「あっ……これは随分と古そうですね」

 九曜の言葉に、雪上はチラリとそちらに視線を向ける。

 彼が手に持っていたのは、本というよりもノートくらいの大きさの資料だった。大さはA5サイズぐらいの二、三センチぐらいの厚みの、装丁も何もない冊子だった。

「見てもいいですか?」

 教授の返事を待たずに、九曜は珍しくキラキラとした表情で、ページをめくる。

 背後から教授が、そのさらに後ろから雪上が覗き込んだ。

「わあ……」

 冊子に印字されている文字は旧字体で、雪上にとってかなり読みにくい活字が羅列している。表紙の文字は横書きに書かれているのだが、右から左に言葉が進む。雪上が読めたのは、『文化』と『報告書』の文字だけだった。

「ああ、その資料。確か、この研究室を前に使っていた教授から譲り受けた資料だったと思う」

 小笠原教授は顎をさすり、首を傾げる。

 九曜はパラパラとページをめくり、はっとしたようにあるページで動きを止めた。

 雪上の位置からはかなり遠目で、何について書かれているのか判別ができなかった。

「良ければ、しばらくの間、貸してあげるよ。今日だって手伝ってくれているのだし」

 小笠原教授はそう言って、自身の作業に立ち戻った。

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えさせていただきまして」

 九曜はにやにやと、気持ちの悪い笑みを浮かべるので、

「何が書いてあるんです?」

 雪上は、呆れ顔で問いかける。

「地域の観光資源について、公的機関が調査し、まとめた文書らしい」

 雪上は小笠原教授がいなくなった分、九曜に近寄り、冊子のページを覗き込む。

 かろうじて読めたのは【寒蝉】の文字だけだった。

「それ、観光地なんですか?」

 白黒の掲載されていたお寺の写真は見たことない場所だ。

「正しく言えば観光地候補だな。でもここに記された場所については、観光地化する必要はないと結果が書かれている」

 九曜はそう言って、ページの一部分をさした。

 確かにそこには【必要なし】と、はっきりとした文字が見える。

「ふーん。どんな場所なんですか?」

「昔の伝承が残るお寺、かな」

「伝承?」

 九曜は、頷き冊子に記された内容を簡単に説明してくれた。

「昔々、寒蝉という和尚がいたらしい。彼は勤勉で、信仰に厚い人物だったが、殿様の不況を買って、斬首されてしまう。流れた血で川は真っ赤に染まった。また和尚の首を城へ運ぶ途中、休憩で立ち寄った建物が火災に遭い、全焼してしまったそうだ。そのため、寒蝉和尚の祟りだと、そんな騒ぎになり、見かねた殿様は寒蝉和尚はもと居た寺に丁重に葬るように命じた――とまあ、こんな話だ」

「へえ、随分と身も蓋もない話ですね。その葬られた寺というのは何という寺の名前です?」

「寒蝉寺」

「はあ」

 そのままじゃないかと言うツッコミはさておき、雪上はさらに注意深く、その冊子を覗き込む。

「今でも地元の住民たちは何か悪いことが起こると、寒蝉和尚の祟りだと言うらしい。――と言っても、“今でも“が指す“今“は、この冊子ができた頃からであるから、この本が書かれた――えっと、昭和五年」

「昭和五年?」

 今から百年くらい前のことだ。

「この冊子がまとめられたのが、昭和五年。と、いうことは、実際に調査を行なっているのはもっと前のことだろう。もしかしたら、大正時代という可能性もある」

「大正ですか」

 九曜は後ろのページをめくって、出版された年月が書かれたページを開いて見せた。大きく印字された数字はいくら旧字体だからと言って、見間違うものではない。

「この時代には祟りという言葉が、普通に使われていたのだな」

 九曜は感慨深そうに頷く。

 雪上は、この時点で次に九曜が何をしようとするのかなんとなく察しがついた。

 つまり、もう嫌な予感しかなかった。

 

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