【完結】沈黙の祭(作品230829)

菊池昭仁

沈黙の祭

第1話

 重く圧し掛かる鉛色の空と、水銀のようにうねる海。

 冬の日本海には激しい横殴りの雪が降っていた。

 今年、初めての雪だった。


 俺は独り埠頭に立ち、普段は吸わないタバコに火を点けた。

 吐いたタバコの煙が、強風に吹き飛ばされて消えて行った。

 そのタバコは親父が好きだったセブンスターだった。


 「親父は馬鹿だよ・・・」


 親父が死んだ。

 誰にも看取られることなく、たったひとりで死んだ。

 

 

 言ってやりたいことはたくさんあった。

 それなのに、やさしく微笑む親父の顔しか思い出せない。

 子供の頃、よく父親に遊んでもらった。


 「これはな? タナゴという魚だ。

 熱帯魚みたいにキレイな魚だろう?」


 よく近所の農業用水に魚釣りにも出掛けた。


 「あれがオリオン座だ。

 ほら、あそこに3つ並んでいる星がオリオン・ベルトだ」


 と、天体望遠鏡を持って天体観察にも行った。


 「なかなかいい球筋じゃないか? 健太郎はいいピッチャーになれるぞ」


 一緒にキャッチボールもした。


 そう言って俺に物事を教え、励ましてくれた親父。

 俺も、そして妹の瞳も親父に叱られたことは一度もなかった。

 いつも俺たち兄妹に親父は優しかった。

 

 だが、親父とおふくろはよく言い合いをしていた。

 喧嘩の原因はいつもおふくろだった。


 

 「そんなところで寝ていたら駄目でしょう? 早くお風呂に入って寝たら?」

 「仕事で疲れてクタクタなんだ! 放っておいてくれ!」

 「風邪をひくからお風呂に入って早く休んだらって言っているのよ!」

 「うるさい! 俺がどんな気持ちで毎日働いていると思っているんだ!」

 「私は心配して言っているの!」


 いつもこんな調子だった。

 俺も瞳も両親が好きだったので、その両親が喧嘩をしているのが悲しく、辛かった。




 俺が高校の世界史の教師になり、妹の瞳が銀行に就職した頃、それを見計らうかのように両親は離婚した。

 俺が高校生になると、親父はよく家を空けるようになった。

 親父には何人か愛人がいたらしい。


 ある程度のカネと家を母親に残し、親父は家を出ていった。


 酒とギャンブルに女。それは昭和のロクデナシ人間の見本のような親父だった。


 後で知ったことだが、親父は公共事業の談合に関わっていたらしく、いつも色んな服装をして出掛けて行った。

 ある時は派手なエルメスのスカーフのようなネクタイにダブルのスーツ、そしてまたある時はスカジャンを着て髪をオールバックにし、ヤクザのチンピラのような恰好をして出て行くこともあった。

 幼かった俺はおふくろに尋ねたことがある。



 「ママー、パパのお仕事ってなあに?」

 「学校を建てたり、橋や道路を造るお仕事よ」

 「パパはすごいんだね?」

 「そうね? パパは凄いパパなのよ」


 俺はそんな親父を尊敬していた。

 小学校の時には、「尊敬する人物」に「お父さん」と書いたものだ。


 その父親が、海沿いの道の駅の駐車場のクルマの中で死んでいた。

 自殺だった。



 医大の遺体安置室で親父の遺体と対面した。


 「お父さんに間違いありませんか?」

 「・・・はい」

 

 俺はイヤな夢を見ているのかと思った。

 その死顔は酷く哀しそうで、寂しそうだった。


 「衣服は処分しましたが、所持品はこの段ボールに入れてあります。

 おクルマは警察の駐車場に保管していますので、後日、引き取りに来て下さい」

 「ご迷惑をお掛けしました」

 「こんな大変んな時に申し訳ありませんが、何点かの書類にご記入をお願いします」

 「わかりました」


 

 死因は大量の睡眠薬の服用と、飲酒による急性アルコール中毒死だった。

 クルマには何本ものウイスキーとブランディの瓶が転がっていたらしい。



 俺は家に帰ると、おふくろと瞳に父親の死を伝えた。


 「親父だったよ」


 俺とおふくろは泣かず、妹の瞳だけが何も言わずに泣いていた。


 「そう、大変だったわね? ご苦労様」


 母は力なくそう言った。



 (どうせ死ぬなら桜が咲く、春まで待てばよかったのに・・・)


 俺はそう思った。



第2話

 親父の遺骨は近所の寺に納骨した。

 遺品は千円札が2枚と小銭の入った財布、オメガの時計とモンブランの万年筆、それから4冊の通帳が残されていた。

 通帳残高は全部で540万円以上が残っていたが、通帳印はアパートに残され、盗まれないようにと別々にされていて、財布にカード類はなかった。


 洗面用具と若干の着替えがあるのみで、クルマには毛布と枕があるだけだった。

 どうやら車中泊を続けていたらしい。

 カネがないわけではなかったのにだ。




 親父のアパートに行ってみると、殆ど物がなかった。

 死ぬ前に処分したようで、テレビも冷蔵庫もパソコンも何もなかった。

 そしてきれいに掃除がされていた。

 親父らしいと思った。


 三島由紀夫と芥川龍之介、太宰治の小説が5冊と通帳印、キャッシュカードと数冊のノートが残されているだけだった。

 親父の段取りの良さに溜息が出た。


 西日しか入らない、カビ臭い6帖二間の古い木造アパートで、俺はパラパラとそのノートをめくった。

 それは日記のような雑記帳だった。

 その日一日にあった出来事や感想、買物をしたレシートなどが貼られていた。


 そしていちばん最後のページには、




      「ありがとうございました。            

      みなさんお世話になりました」



 と、書かれてあった。

 勝手に死んで、今更、ふざけるなと俺は思った。

 日焼けした畳に涙がポタポタと落ちた。




 2018年1月28日 


 家を出た。

 私は自分に罰を与えなければならない。

 好き勝手に生きて来た私が、迷惑をかけた家族と暮らすわけにはいかない。

 子供たちは立派に育ってくれた。

 女房のおかげだ。


 美恵子とも別れた。

 これからはひとりで生きて行くと決めた。

 この家賃32,000円のボロアパートが、今の俺には丁度いい。



 2018年2月8日


 餃子を作った。

 餃子の皮が30枚、全部包んで焼いた。

 冷凍では味が落ちるので、ひとりで全部食べた。

 子供たちが小さい頃、よくみんなで餃子を作ったものだ。

 俺たちが包み、直子が焼いた。

 直子のようにうまくは焼けなかった。

 フライパンが悪いのだろうか?



 2018年3月28日


 ひとりで花見に出かける。

 たくさんの家族連れが弁当を広げていた。

 俺もあんな風に家族と花見に行ったものだと辛くなり、その場を離れた。

 コンビニでチューハイを2本買い、荒川の河川敷で飲んだ。

 春の陽射しが気持ちいい。

 人生は川を下っていくようなものだ、俺は流れに逆らいすぎたらしい。




 親父がどんな生活をしていたのかが分かった。

 分かったが、それは理解したということでも、同意したことでもない。



 「だったら戻ってくればよかったじゃないか!」


 俺はそれらを持って家に帰った。




第3話

 担任をしているクラスの生徒が殴り合いの喧嘩をした。

 私は最初に殴り掛かったという斎藤信吾と面談をした。



 「めずらしいな? お前が田中を殴るなんて」

 「アイツが母をバカにしたからです」


 彼の家は母子家庭で、母親はクラブを経営していた。

 信吾はクラスメイトたちとは馴染めず、休み時間になるといつも本ばかり読んでいる生徒だった。

 一方の生徒、田中はクラスのリーダー的存在で、父親は地元の信用金庫の支店長をしており、息子に過度の期待を掛けていた。

 先日の三者面談の際も、



 「大泉先生、息子にはどうしても医者になってもらいたいんです。

 私は元々医学部志望だったんですが、受験に失敗して今では信金のしがない行員です。

 だからどうしても息子は医者にしたい。 

 よろしくお願いします」

 「先生、医者なんて俺には無理だよね? 言ってやってよ、コイツには医学部は無理だって」

 「成績的にはがんばれば私立の医学部なら可能性はありますが、本人が希望していないとなるとどうなんでしょうか?」

 「この子はまだ高校生です。世の中の仕組みを良く分かってはいません。

 子供の将来は親が導いてあげるべきだと私は思いますがね?」

 「親父、俺は早稲田か慶応に入れば何でもいいよ。

 大学に入ったら遊びたいし、ブランドの大学なら就職もラクだしな?」

 「大学は出ればいいというもんじゃない。お父さんがどれだけ苦労したと思っているんだ。

 高崎経済だから地元の信金にしか入れなかったんだぞ」


 俺はうんざりしていた。

 自分の叶えられなかった夢を子供に託す父親、子供は親のリベンジの道具ではないのだ。



 そんな田中にいつもは大人しい信吾が殴り掛かった。

 その場にいた生徒たちの話ではこうだった。



 「田中が信吾に「お前の母ちゃん、飲み屋をやってんだろう? いくらでヤラせてんだ?」ってからかったんです、悪いのは田中です」


 親も親なら子供も同じだ。

 田中も親と同じような人生を生きて行くのだろう。

 だが俺は違う、あんな父親に俺は絶対にならない、なりたくはない。



 「信吾、お母さんのことを侮辱されたそうだな?

 気持ちはわかるが、手を出しては駄目だ。 暴力では何も解決はしない」


 

 信吾は黙っていた。

 俺には信吾の気持ちが分かるし、俺も同じことをしたはずだ。

 だが、それは教師としては容認出来るものではない。



 「信吾、お父さんは好きか?」

 「嫌いです、俺たち家族を捨てたヤツだから」

 「殴られたりしたのか?」

 「そんなことはしません、でも母と妹、そして僕を捨てて出て行ったんです。

 あんなヤツ、父親じゃありません」


 私はこの時、この高校生に親近感を覚えた。



 「俺もそうだよ、信吾と同じだ。

 俺も親父に捨てられて、親父が大嫌いだった」

 「先生も?」

 「ああ、俺もお前と同じだ。

 でもな? そんな父親でもいるだけでいいと思う、今はだけどな?」

 「どうしてですか?」

 「親子だからだよ。

 俺はまだ独身だから父親の気持ちは良くわからない。

 だから正確には仮説だけどな?」

 「僕は父を許せません」

 「別にいいんじゃないか? それならそれで。

 俺もそうやって生きて来たから」

 「先生、僕、田中には謝りませんよ」

 「悪いのは田中だからな? それにオマエも殴られた、それでいいんじゃないか?

 まあ言いたい奴には言わせておけばいい、相手にするな」

 「はい・・・」


 カウンセリングルームの天井に、中庭の池の光が反射して揺れていた。 



第4話

 遺書はなかった。

 親父らしいと思った。

 親父は写真を撮るのは好きだったが、自分が撮られるのは嫌いだった。



 「写真は過去だ、俺は思い出になるような生き方はしていない。

 だから俺の写真は無い方がいい」



 親父は自分が忘れられていくことを望んでいたのかもしれない。

 遺影にするような写真はなかった。


 親父の写っている写真は、親父の不倫が発覚した時にすべて母が切り刻んでしまった。

 だが、それで良かったのかもしれない。

 写真があれば、父親を失った悲しみを実感していたかもしれないからだ。




 警察の担当者から解剖結果が知らされた。


 「解剖により、父上は膵臓ガンだったことがわかりました」

 「膵臓ガン?」


 親父は末期の膵臓ガンだったらしい。 

 俺は親父の雑記帳を開いて読んだ。




 2018年4月10日


 雨が降っていた。

 明日はハイエナたちの集りである。

 政治屋、土建屋、役人。


 カネ、カネ、カネ。


 明るいお天道様の下をにこやかに大手を振って歩く、本当の極悪人たち。

 汚い仕事は俺たち日陰者にやらせて平然としている。

 それがこの国、日本の素顔だ。


 今日もまた、酒が不味い。




 2018年5月5日


 子供の日。

 健太郎と瞳は元気にしているだろうか?


 会いたい。




 2018年5月25日


 スーパーに買い出しに出掛ける。

 三日分の食材を買った。


 麺類はパスタと蕎麦。

 卵1パックと豚バラを買った。


 キャベツ、ピーマン、セロリ。

 缶ビールとウイスキーは重要だ。(笑)


 仲睦まじい夫婦連れ。

 俺は直子を不幸にしてしまった。


 横っ腹がしくしく痛む。





 俺は親父のノートを途中で閉じた。

 俺は親父をずっと避けていた。


 20歳になった時、親父から飲みに誘われた。



 「居酒屋でも行くか?」

 「行かない」

 「みんなでカラオケでも行くか? 成人したお祝いに?」

 「行かない」



 成人してから一度も親父と一緒に酒を飲んだことはなかった。

 というより、あまり親父と顔を合わせなかった。


 大学を出て、地元の高校の歴史の教員採用試験に合格した時もそうだった。



 「採用試験に合格したんだってな? おめでとう。

 健太郎ならいい先生になるよ。

 お祝いしなくちゃな?」

 「いいよ、別に」

 「じゃあ、記念に時計を買ってやるから見に行こう」

 「あるからいらないよ」

 「じゃあ、スーツとか」

 「俺に構わないでくれよ!」

 「そうか・・・」


 親父は寂しそうだった。

 親父は母に10万円を渡していた。



 「俺からじゃ受け取らないだろうから、お前から渡してやってくれ」


 親父はそう言っていたらしい。

 俺と親父の距離は、どんどん離れて行った。


 小学生の頃は親父とよく遊んで貰った。

 しし座流星群が観測出来るということで、夜中の2時に吾妻山にクルマで出掛け、毛布に親父とくるまって流星を見た。

 きれいな星空だった。

 たくさんの星が輝いていた。



 「どうだ? 見えるか?」

 「流星ってたくさん見えるんでしょう?

 良く見えないな」

 「ほら、今、光った!」

 「どこに?」

 「ほらあそこ!」


 親父はその方向を指差した。


 「見えた見えた!

 パパ、また光ったよ! ほら、あそこにも!」

 「綺麗だなー」

 「うん、きれいだね?」



 かつて俺と親父は親友だった。 




第5話

 「先生!」

 「どうした? 信吾」


 学校の廊下で信吾に呼び止められた。



 「先日はありがとうございました」

 「俺は何もしていないよ。

 お前は悪くない、だが田中のことはもう忘れてやれ。

 世の中には嫌な奴はたくさんいる、これからお前もたくさんの嫌な奴と遭遇するだろう。

 そして許せないような憎い奴も出てくるかもしれない。

 いや、出てくるはずだ。

 だが、憎むな、憎まず忘れることだ。そうすれば憎しみの連鎖はなくなる。

 嫌な感情もいい感情も、相手には伝わるからな?」

 「大泉先生、一寸いいですか?」

 「これから授業だから、放課後、カウンセリングルームに来い、そこで聞くから」

 「すみません、忙しいのに」

 「生徒の話を聞くのも、教師の大事な仕事だからな? 遠慮はいらん」




 放課後、信吾の話を聞いた。



 「アメリカでJAZZの勉強をしたいんです」

 「トランペットか? ブラバンでやってるもんな?」

 「はい、ジュリアード音楽院に行くことに決めました」

 「あのニューヨークのか?」

 「そうです、まずは語学留学をしながらですけど、本場で勉強してみたいんです、本当のJAZZを」

 「いいんじゃないか? 俺は賛成だよ。

 お母さんは何だって?」

 「母は再婚する予定なので、喜んで賛成してくれました」

 「そうか? 学費はどうするんだ?」

 「父に話したら、援助してくれることになりました」

 「それは本当のお父さんの方か?」

 「もちろんですよ、私は母の再婚相手が嫌いですから」

 「よかったじゃないか? 親父さんと仲直りが出来て」

 「先生のおかげです」

 「お父さんは元気そうだったか?」

 「何だか少し小さくなったような気がしました」

 「それは親父さんが小さくなったんじゃなくて、信吾がでかくなったからだよ」


 信吾はうれしそうに笑った。


 俺は死んだ父親のことを思い出していた。

 俺は親父と会おうともしなかった。

 俺も親父と再会していたら、信吾の親子のように仲良くなれたのだろうか?

 そして一緒に酒でも飲んで、色んな話をしたのかもしれない。


 昔話や釣りの話、音楽や三島由紀夫、芥川文学についてだとか、親父の若い頃の話や恋愛話。

 時間の経つのも忘れて、馴染みのスナックで親父とカラオケでもしていたかもしれない。


 だがそれはもう叶わない。

 俺は親不孝な息子だ。

 上辺の親父しか知らなかった。親父の苦悩など、知ろうともしなかった。

 しかし、後悔のない親子の別れなどあるはずがない。


 「俺は十分親孝行をした」


 なんてことはあり得ないからだ。

 どんなに親の喜ぶことをしたところで、それは永遠に未完成のままだ。


 「なんでもっと親孝行をしなかったんだ!」


 と嘆き、自分を責めるはずだ。

 信吾は俺に言った。



 「僕たち家族を捨てた父親になんか、会いたいとは思いませんでした。

 でも、会ってよかったです。

 春になったら父とジュリアードに見学にいくことになりました」


 うれしそうにそう話す信吾に、私は軽い羨望を感じていた。

 俺の父親はもうこの世には存在しない。


 俺は親父に何もしてやれなかった、駄目な親不孝な息子だった。



第6話

 「何を考えているの?」

 「親父のこと」

 「そう・・・」

 「律子はお父さんのことが大好きだもんな?」

 「娘の私にはやさしいからね?」

 「いいお父さんだもんな? 律子のお父さんは」

 「ケンはお父さんが嫌いなの?」

 「あんな奴、自分の親父なんかじゃないと思っていた。

 でも今は、よくわからない」

 「大変だったよね? お父さん」

 「俺が殺したも同じだよ」

 「自分を責めちゃダメよ。人の心の中は覗けないもの。

 お父さんにはそうせざるを得ない、別の何かがあったんだと思う。

 亡くなった人のことを思い出してあげることがいちばんのご供養なんですって」

 「思い出してあげることが供養?」

 「この前の法事でお坊さんがそう言ってた」



 律子は同じ高校の英語教師だった。

 付き合い始めて2年、お互いに結婚を意識していた。





 家に帰り、親父のノートを読み返した。




 2018年6月10日


 長雨が続いていた。

 梅雨といえばあじさいとカタツムリ、それを想えば雨も悪くはない。

 晴れの日のあじさいよりも、涙雨のあじさいの方が美しいものだ。

 桜にもグレーの空が似合う。

 俺の人生も雨と曇り。それもまた良し。




 2018年7月7日

 

 七夕。

 織姫と彦星は1年に一度でも会えるのだから幸せだ。

 俺はもう家族には会えない。

 自業自得だ。


 みんなはどうしているだろうか?

 しあわせに暮らしているだろうか?

 もしも不幸だったらそれは俺のせいだ。

 せめて金だけは残してやりたい。





 2018年7月15日


 お笑い番組とグルメ番組、そしてくだらないニュース番組。

 テレビは日本人を愚弄している。


 いつから日本はこんな愚かな国になったのだろう。

 国民はどんどん考える力を失い、その隙にネクタイを締めた奴らが好き放題にやっている。


 政治家、官僚、資本家たちは私腹を肥やすのに精を出している。

 どうせ死ぬのに愚かな連中だ。


 地獄の業火に焼かれるがいい。

 その手先の俺も同じ。





 親父は不幸だった。

 誰にも悩みを打ち明けられずに苦悩の中で生きていた。


 家族を食わせるために汚れ仕事をしていた親父。

 それがどんな世界だったのかはわからないが、やりたかった仕事ではなかったことは間違いない。

 親父は家族を守るために悪魔に魂を売ったのだろうか?

 家族のため。女房、俺たち子供たちのために自分の人生を犠牲にしていたというのか?

 俺はまた、続きを読み始めた。





 2018年8月10日


 今日で56歳。

 信長の時代は「人間50年、下天の内を比ぶれば」と、50歳が寿命だった。

 俺はまだ生き恥を晒している。


 俺は家族のために家族を犠牲にした愚か者だ。

 俺は一体何をしているのだ。

 情けない。




 親父、そんなことは言わないでくれ。

 俺は親父の苦悩を知らなかった。




第7話

 律子と愛し合った後、私はベッドでCDを掛けた。


 「なんていう曲? 暗い嵐の海みたいな曲ね?」

 「ベートーベンのピアノソナタ第17番第3楽章「テンペスト」だよ。

 チャイコフスキーやシベリウスもこのシェイクスピアの作品にインスパイアされて曲を作った。

 テンペストは「嵐」という意味なんだが、シェイクスピアの最後の作品でもある」

 「どんな物語?」

 「ナポリの王、アロンゾーとミラノ大公アントーニオたちを乗せた船が大嵐の海で難破し、島に漂着する。

 するとそこにはアントーニオがかつて島流しにした兄、プロスペローとその娘、ミランダが生活していた。

 親子は魔法を学び、自分の家来の妖精、エアリエルに命じて大嵐を起こし、弟のアントーニオに復讐するために仕掛けた罠だった。 

 ナポリ王アロンゾーたちと離れてしまった王子、ファーディナントはミランダと出会い恋に落ちる。

 実はそれはミランダの父、プロスペローの策略だった。

 プロスペローに難題を課されたファーディナントはそれらをクリアし、娘のミランダとの結婚を許される。

 アントーニオは自分がナポリ王になることを目論み、プロスペローを唆し、島に棲む怪物、キャリバンはナポリ王の執事と道化師を味方にし、プロスペローを殺そうとするがエアリエルによって阻止されてしまう。

 だがプロスペローは弟のアントーニオを悔い改めさせることで過去の罪を許し、ファーディナントとミランダはナポリで結婚式を挙げるという話だ」

 「どうしてプロスペローはアントーニオを許したの?

 大公だった自分と娘ミランダを島流しにしたのに」

 「娘のミランダへの愛情と、王子のファーディナントが気に入ったのと、復讐が虚しくなったんじゃないかな?」

 「プロスペローって、いいパパなのね?」

 「そうだろうな」


 私は律子の髪を撫で、キスをした。

 死んだ父親はプロスペローだったのか? それともアントーニオだったのだろうか?





 2018年9月8日


 残暑はまだ続いている。

 9月から11月にかけて、よく家族でキャンプに出掛けたものだ。

 火を熾し、カレーを作ったりBBQをした。

 子供たちの楽しそうな笑顔を見て、直子と私も幸せだった。


 俺はどこで道を間違えたのだろう?




 2018年9月28日


 少しずつ風が冷たくなり、空が高く感じる。

 電力会社の社員寮を受注。

 コイツらがいちばんタチが悪い。

 半官半民のような企業なので、タカリ放題なのだ。

 親のコネで入ったというボンクラ担当係長を接待する。

 酒を飲ませ女を抱かせ、お車代として5万円を渡した。

 代議士には帯封をはずした現金を段ボール3つに詰め込み、秘書のSへ渡す。


 「ご苦労さん」


 と、段ボールから30万円ほどを掴み出し、俺にくれた。

 どうせコイツらもここから100は抜くだろう。

 汚いカネを受け取ってしまった。

 いや、カネに汚いもへったくれもない。

 汚いのはどういう理由で受け取ったカネかということだ。

 虚しい。


 


 2018年10月11日


 結婚記念日

 直子の口座へ3万円を送金した。

 昔はケーキと花束を買って、家族全員で祝った。





 テンペスト第4幕第1場にはこんなセリフがある。



       我々は夢と同じ物で出来ている。

       我々の儚い命は眠りと共に終わるのだ。



 外は寒冷前線の通過により一段と雨足が強くなり、風向きが変わった。


 明日は晴れるだろうか?



第8話

 「お兄ちゃん、ご飯出来たよー」



 食卓には鍋が用意されていた。


 「旨そうだな? 今日は鍋か?」

 「寒いからね? お鍋で暖まろうよ」

 「瞳が銀行の帰りにスーパーでお鍋の材料を買って来てくれたのよ」


 そこには親父が好きだった、ホタテとタコも入れてあった。

 寄せ鍋にはタコはあまり入れないが、それは親父の好物だった。



 「タコも買ったのか?」

 「なんだかつい、買っちゃった。

 パパが好きだったから」


 お袋は寂しそうに微笑んでいた。



 「親父、タコ、好きだったよな?」


 親父の顔が目に浮かんだ。

 鍋をすると親父はよく俺たちに言っていた。


 「いいか? 鍋には絶対にタコだ。

 噛めば噛むほど味もいいし、この食感もいいからな?」

 「うん」

 「パパ、タコさんを入れるとたこ焼きみたいだね?」

 「明石焼きとかだとお出汁で食べるのよ」

 「おでんにタコを入れるところもあるしな?」



 うれしそうに親父はビールを飲み、タコを食べていた。

 離れてしまった親父と家族にも、そんな時はあった。


 鍋を囲むということは、家族の幸福の象徴だ。

 親父は誰かと一緒に鍋を食べていたのだろうか?

 俺は棚からグラスを取出し、いつも親父が座っていた席にビールを供えた。





 2018年11月11日


 洗面所で血を吐いた。

 食欲もなく、倦怠感と微熱が続いていたので病院へ行った。


 1週間の検査入院。

 入院の手続きの際、同意書にサインをしてくれる人もいないことに気付く。

 ひとりで入院の準備をした。




 2018年11月12日


 入院初日。

 生まれて初めて入院をした。

 朝から検査の連続。

 CTも初めてやったが閉所恐怖症の俺には辛い。

 意外にも病院の食事はまあまあだった。


 雰囲気から察して、手術は避けられないようだ。


 怖い。


 これもまた自業自得だ。





 2018年11月13日


 手術はしなくてよくなった。

 というよりももう出来ないらしい。

 手遅れだった。


 人はいずれ死ぬ。だが自分が死ぬなどとは思いもしなかった。


 死にたくない、死ぬのが怖い。


 家族で鍋を食べた夢を見た。

 食べようとして目が覚めた。







 そんな親父に会おうともしなかった俺は人でなしの息子だ。

 どんなに親父は心細かったことだろう。

 どんなに不安だったことだろう。


 そんなことも知らずに俺は親父を見舞おうともしなかった。

 自業自得だと親父は言うがそうじゃない、親父は俺たち家族を守ろうとしてくれたのだ。

 それを俺は理解しようともしなかった。


 親父たち夫婦のことはよくわからないが、少なくとも親父は俺と瞳を大事にしてくれた。

 俺たちは寂しかったんだと思う。嫉妬していたんだと思う。

 大好きな親父を他の女に盗られたと思ったのだ。


 お袋がかわいそうだと思ったのは確かだが、それ以上に自分が捨てられたと思った。

 尊敬していた大好きだった父親に捨てられたと、俺は父を恨んでいた。


 親父の苦しみを理解しようともせずに。 



第9話

 台所で洗い物をしている母に、


 「何かツマミになるような物、ある?」


 と訊いた時、 母は泣いていた。


 「何か作ってあげようか? 唐揚げでもいい?」


 母はすぐに涙を拭い、冷蔵庫を開け、材料を探し始めた。



 「親父のこと、思い出していたの?」

 「なんだかようやく実感が湧いてきてね。

 あの時は泣けなかったのに・・・」

 「親父と結婚して良かった?」

 「今はね。いい思い出しか浮かばないのよ、不思議よね?

 でもそれはあの人の人柄なのかもしれない。

 どうして離婚したのかもよく覚えていないの」

 「俺も同じよ。 あんなに好き勝手だった親父なのに、笑っている時の親父の顔しか思い出せないんだ」

 「ヘンな人だったもんね、お父さん」

 「俺は親父に何もしてあげられなかった。

 いつも避けてばかりで、話そうともしなかった」

 「それはお母さんも同じよ。

 妻として失格。 だから浮気されたのね?」

 「いや、親父は優しかったんだよ、放っておけない人だったんじゃないのかな?」

 「そうかもね? あの人、お人好しだから」


 

 俺は揚げたての唐揚げを食べながら、母とふたりでビールを飲んだ。



 「お袋の唐揚げは最高だよ、旨いなこれ?」

 「お母さんの唐揚げはケンタッキーフライドチキンより美味しいんだから」

 「本当だ、旨いよ。ケンタッキーよりも」


 母はビールを一口飲むと言った。



 「言わなかったけど、死ぬ1週間前、お父さんから電話が来たのよ」

 「親父から?」

 「苦労させたなって、イヤな思いをさせてすまなかったって言っていたわ。

 子供たちを頼むって・・・」

 「そうだったんだ?

 俺はね、後悔しているんだ。

 どうして親父と話さなかったのかって。

 酒でも飲んで話していたら、親父も死ななくて済んだんじゃないかって」

 「それはお母さんも同じよ。

 裏切られたと思ったし、顔も見たくない、二度と会いたくないと思った。

 お父さんをひとりで死なせたのは私よ」

 「ひとりで死ぬってどんな気持ちだったんだろう?」

 「すごく勇気がいると思うわ、死ぬ勇気が・・・」

 「怖かっただろうね? 親父・・・」

 「そうね? おそらく」

 「自分を頼りにしてくれる人がいたら、死のうなんて思わないよね?

 それが親父にはなかった・・・」

 「病院では死にたくなかったんでしょうね?

 アパートだと大家さんに迷惑だと思ったから、部屋を片付けたんだと思う」

 「人のしあわせは、死ぬ時にどれだけ多くの人に看取られるかだよね?」

 「そうね? そんなふうにお母さんも死にたいわね・・・」


 いつの間にか俺もお袋も泣いていた。







 親父の日記を持って、クルマで海辺にやって来た。

 コンビニで買った缶コーヒーを開ける。




 2018年12月3日


 食欲がない、酒が食事代わりだ。


 終活を始める。

 不要なものを処分する。

 年賀状や手紙、書類、本やCD、もう着ることもない夏服など、意外と多い。


 壊れたパソコンにプリンター、そして家族の写真・・・。

 自分の死を伝えたい人はいない。


 雪が足跡を消すように、自分の記憶も存在も消して、俺は死んでゆくのだ。

 何もなかったように。





 2018年12月8日


 死んだら幽体離脱をして、会いたい人の元へ行けるのだろうか?

 脅かさないようにして家族に会いたい。

 直子、健太郎、瞳。


 死ぬ前に一度会いたかった。






 俺は親父の日記を握りしめ、声をあげて泣いた。


 日本海の春の海は、そんな俺を労わるかのように穏やかで、親父のようにやさしかった。


 


最終話

 2018年12月20日


 医学の進歩により、人間は簡単には死ななくなった。

 人生100年は長いのか? それとも短いのか?


 俺の人生はこれでいいのかもしれない。

 人間の寿命は、信長の時代のように50年が妥当なのだ。


 最近までは定年は60歳だった。

 判断力も体力も、それを境に格段に低下して行くからだ。


 男の場合、28で結婚して30で子供が生まれれば、自分が定年になる頃には子供は30歳になる。

 子供も所帯を持ち、孫も出来て紅葉もみじのような手で、爺さんの顔を触ってくれるだろう。

 それで死ぬのが理想だ。

 親の役目はそこで終わる。


 「いいおじいちゃんだったよね?」


 と、ボロが出ないまま惜しまれて死ねるからだ。


 俺の人生はそうはいかなかった。

 だが後悔はない。

 それが俺の人生だからだ。

 テレビのホームドラマなど、所詮まやかしに過ぎない。



 終活が完了した。カード類と通帳は所持し、実印と通帳印、暗証番号のメモはアパートへ置くことにした。

 なるべくみんなに迷惑を掛けないようにしたい。

 俺は自分のクルマで死ぬことを決めた。

 睡眠薬と酒を用意する。

 俺にピッタリの死に様。「酔生夢死」





 2018年12月21日


 大好きな日本海を見て死にたいと思った。

 クルマで最期の旅に出た。


 初日は温泉旅館でのんびりと過ごす。

 帳場の女将と談笑する。

 まさかこれから死のうとする男には見えないだろう。

 それが少し面白かった。


 荒れ狂う眼前に広がる日本海。

 比較的、海水温度が高いのか? 海に雪が降り、海から湯気が上がっていた。



 沈黙の中にいると、死ぬのが怖くなるのでテレビを点けた。

 関西のお笑い芸人の大声でまくし立てる関西弁に苛立ち、チャンネルを変えた。

 布団に入るがなかなか寝付けない。



 

 

 2018年12月22日


 日本海沿いをそのまま南下する。

 まるでシベリアを走っているような冬景色。

 死のドライブには丁度いい。

 これから死のうというのに、安全運転に気を配る自分が可笑しい。


 海沿いの駐車場にクルマを停め、ひとりで酒盛りを始める。

 潮騒と風の音、遠くから聞こえるカモメの鳴き声が寂しい。


 お気に入りのカラヤン、ベルリンフィルを聴く。

 アルビノーニ、弦楽とオルガンのためのアダージョ ト短調


 カラヤンとベルリンフィルは唯一無二だ。





 2018年12月23日


 明日はクリスマスイブ。

 家族に会いたい。


 それがあまりにも身勝手な望みであることはわかっている。

 家族を捨てた俺にはそんな資格はない。


 健太郎、瞳、そして直子。

 今さらだが幸せになって欲しい。


 

 人は自殺すると、神のお決めになった寿命の残りをひとりで臭くて、冷たい闇の中で過ごすことになるらしい。

 本来、85歳の寿命だった者が32歳で自殺した場合、残りの53年間をそこで過ごすことになるというのだ。

 ならば俺はその闇で過ごすのは数日か? それとも数か月か?

 いや、そんなことはないはずだ。

 どんな理由があろうと、自らの命を絶つということは神への冒涜なのだから。


 他人は言う、


 「死ぬことを考えれば、それ以上辛いことなんてないよ」と。


 そんな寝ボケたことを偉そうに言う奴は、死ぬほどの苦しみを味わったことがない奴だ。

 この世には死ぬより辛いことなんて山ほどある。





 2018年12月24日 クリスマス・イブ




        今までありがとうございました。

        私はしあわせでした。


                






 親父から俺に電話が掛かって来たのはその頃だった。



 「元気か?」

 「うん」

 「そうか、なら良かった。

 人生は楽しむためにあるからな? それじゃ元気でな?」



 それだけ言うと親父は電話を切った。

 嫌な予感はしたが、俺は折り返して電話をすることはしなかった。






 春になり、満開を過ぎた桜並木は昨夜の嵐で花は散り、道はピンク色に染まっていた。



 「親父を迎えに行かないか?」

 「そうね?」

 「パパをお家に連れて来てあげようよ」





 墓はなかったので親父の遺骨と位牌は寺に預けたままだった。

 親父の遺骨はずっしりと重かった。

 それは焼かれた骨の重さではなく、ホーロー製の骨壺の重さだろう。

 だが俺はその重さに救われた気がしていた。

 もし親父の遺骨が桐箱に入れられただけの軽さだったら、俺はその場で泣き崩れていたはずだ。




 助手席に遺骨と位牌を乗せ、シートベルトを締めた。


 「お帰りなさい、あなた」

 「パパ、お帰りなさい」


 俺も親父に声を掛けた。


 「親父、家族と一緒に家に帰ろう」


 助手席で親父が笑った気がした。



                    『沈黙の祭』完




 【あとがき】


 タイトルを『沈黙の祭』としたのは、富山県の『おわら風の盆』という無言で踊る、死者のための盆踊りに感銘を受けたからです。

 無言で死者を弔う。

 日本人の死に対する想いがあると思いました。

 この小説は、私と別れた家族の関係が、いつかこうあればいいなあという理想でもありました。


 最後までお読み下さり、ありがとうございました。


                         作者 菊池昭仁




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【完結】沈黙の祭(作品230829) 菊池昭仁 @landfall0810

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