第31話「殻を破れ、ズルい人に会うために」
(こわい、こわいこわいこわい!)
逃げても男たちは執拗に追いかけてくる。
かつて起こった魔女狩りはこんな風にいつ襲われるかと怯える日々だったのだろう。
どうしようもない恐怖に走って、捕らえられて殺された。
その絶望を思うと、王妃の考えも否定しきれないと勝手に涙があふれだす。
「いっ!?」
黒髪が引っ張られ、思いきり砂浜に投げられる。
ゆるくなっていた靴が脱げて、ドレスも裾が裂けて酷いありさまだ。
「縛るぞ!」
あぁ、なんて私は弱いのだろう。
震えるばかりで、人のやさしさに甘えて生きてきた。
アルベールが好きだと言ってくれたのが奇跡と思えるくらい、目の前の現実は冷たく突き刺さる。
こんな形でアルベールと離れたくない。まだ想いを伝え続けたい。
アルベールに渡したい花が決まっていないのに、二度と会えないのはいやだ!
(会いたい! アルベール様に会いたい!)
「ぜっ……たいイヤだ! 私は帰らない! アルベール様に会いたいの!」
重たいドレスごと足を振り上げて、男の腹を蹴りつける。
怯んだ隙に脱げた靴を拾ってもう一人の男の顔面に投げつけると、歯を食いしばって走り出した。
塔に軟禁されてシクシク泣いているだけの弱い王女でいたくない。
罪深さに悲観してアルベールから逃げていた臆病者はもうやめたい。
私は私を好きだと言ってくれる人に愛を返したいし、ちゃんと幸せを認めたい。
追いかけてくる人たちは怖いけど、会いたい気持ちをあきらめて何もしないのは”暗黒王女”のすることだ。
太陽の欠片もなくなって、男たちが持っていたランタンの明かりしか見えない。
月明かりだけでは心もとなく、後ろから追いかけてくる男たちの音を頼りに走るしかなかった。
コルネリアの炎には近づいてはダメだとひたすら遠くへ遠くへと駆ける。
どんどん男たちと距離が縮まって、浜に打ち寄せる波音さえかき消された。
「もう大丈夫だ、レティシア」
一瞬、世界の音がすべて消えた。
真っ暗なはずなのに、ふしぎと私の目にはきらめく銀の川が見えた。
夜に溶けた空の色が鋭くなって、風が抜けきった瞬間、鉄臭い匂いが背後からした。
湿っているだけだった砂がぬるくなって、余計に足元をすくう。
それでも私の足は止まらなかった。
この確信は何度も惹かれた空と星だと泣きっ面に振り返る。
コルネリアの放った炎があたりを照らし、銀色の粒が情熱的にきらめいて目が離せない。
「レティシア」
この人は本当にずるいと、黒髪ごと抱きしめられて広い胸に顔が埋まってしまう。
バラのような、ネモフィラのような、いろんな花の香りに包まれて鉄臭さなんてわからなくなった。
「アルベール様」
カサカサの唇は擦り切れて痛い。
鼻水が出そうになるたびにすすって、焼けそうな喉を唾で潤そうとする。
生理的な反応に動かされていると、アルベールの手が頬を包んで顎を持ち上げる。
「んっ……」
汗なのか、涙なのか、わけのわからない酸っぱい味がした。
焼けてどうしようもなかった喉どころか、口の中が熱くてたまらない。
先ほどまであんなに強がって走っていたのに。
この腕に抱かれてしまえば簡単に泣き虫弱虫の女の子が顔を出す。
「どうしてここに?」
「それ、今必要?」
「――いいえ」
言いわけより先に、欲しがりなままに口づける。
いつもより荒れた彼は少し苦くて、コーヒーのようだった。
ビターな中に、さしずめ私は角砂糖といったところだろう。
苦さと甘さが混ざり合って、ほんの少しの罪悪感が胸を突き刺すも、すぐに溶けていった。
「そろそろ無視するのはやめてほしいんだけど」
ハッと途切れていた呼吸が肺を膨らませ、対応しきれずに咳き込む。
完全にアルベールしか見えていなかったと耳まで赤くすると、アルベールが腰に手を回して動きを塞いでしまう。
あまりに近いと焦って肩を押すも、アルベールの力には敵わずおとなしく埋まるしかなかった。
「王女様のためにもこの国からはなれた方がいいと思うよ」
「あんたは信用できない。王妃はもっと信じられないな」
「信頼関係なんて求めてない。アタシはレティシアのために言ってるんだ。……王女の立ち位置を失くせばこうして襲われるんだ」
先ほどまでの出来事に肩がビクッと跳ね、汗を握る。
あの男たちにとっては私はただの魔女でしかなく、王女という認識もない。
コルネリアが魔法で戦い、アルベールが駆けつけてくれたからなんとかなっただけであり、数が多ければ魔女と言えど勝つのは至難の業だ。
ましてやろくに魔法の使えない私は一匹のアリを踏みつけるほどに弱かった。
(それでも私は……)
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