第29話「乳母・カロル」


おずおずと問うと、女は納得して口元のスカーフを外してはにかんだ。


短い赤髪に、左耳に流すように編み込みを入れている。


「アタシはコルネリア。魔女のお仲間さ」


「……その髪は魔法で?」


「あー……いちおう地毛かな」


魔女の証、濡れ羽色とはまるで異なる色だ。


「この国では黒髪が魔女扱いなんだろ? 力の強い魔女ほど黒髪に近いから目立つだけ」


「他の……色をもつ魔女がいるのですか?」


「そりゃあわんさかと。赤髪もいれば青い髪だっている」


それは北の塔に暮らしていた私には想像も出来ぬほどの広い世界。


結界に閉ざされた魔女の国、エステティア王国に入ってくる情報が歪んでいてもおかしくない。


黒髪に近ければ強いとなれば、私も王妃も極めて黒い色を持つ魔女になる。


潮を浴びてきしむ髪を指で梳こうと、手荒に引っ張った。


「その辺は置いておいて。さぁ、レティシア。国へ帰ろうじゃないか」


八重歯をニッとさせて私の擦り傷だらけの手を強引に引っ張る。


縄に縛られて血がにじむ手首が痛んで、ぎゅっと顔を寄せて唇を強く結んだ。


立ち上がるとコルネリアはすぐさま手を離し、焦ってこめかみを指で押す。


「薬は船に置いてある! ごめん、そこまで我慢して!」


「あ、あの!」


裏返る声に口元をおさえ、じわじわと熱が顔を侵食していく感覚に鳥肌がたつ。


それでもここではっきりさせなければ取り返しがつかないと、地面にしっかりと足を根付かせてコルネリアと向き合った。


「国に帰るってなんですか!? 私、アルベール様のところへ帰りたいんです!」


「……そうか。サンドラが”役立たずだからいらない”って言ったんだ」


コルネリアにとっては何の尖りもない軽い言葉、だが私には何本も針が押し込められるほどの強烈な暴力だ。


たとえ血が繋がっていたとしても、王妃にとってはただの駒でしかなく、興味もなかったから北の塔に押し込めただけ。


私が成長しても姿を見ることはなく、母とも知らぬままに育った。


ロドルフとリゼットの母として、王を惑わせ、王妃の座に着く冷酷な人だ。


結局魔法もろくに扱えず、唯一の《恋の魔法》さえ使わないときたら、ただ煙たいだけの存在。


カロルにさえ、正体を隠された無知な暗黒王女が誕生した。


敬愛した人を思い出し、弱虫な私は簡単に涙をボロボロ流す。


「カロル……」


「カロル? あーっと、リネアの友だち……だったか?」


追い打ちをたてるようにどんどん嫌な言葉が波となり襲ってくる。


「たしかフィエルテ公爵家……に入り込んだんじゃなかった?」


アルベールはカロルを乳母だと言っていた。


たくさんの愛情をそそぎ、花を愛でる楽しさを教え、やさしい空のように育てた。


私が北の塔に入れられるやすぐにフィエルテ公爵家から去り、それ以降関わりは残しつつ塔に通う日々。


いとおしいカロル、私に《恋の魔法》だけ教えて、枯れた花を残していなくなった。


死が私とカロルを引き裂いたと絶望していたときに、アルベールがきて私に泣く時間をくれた。


私の恋は魔法からはじまり、涙を許されて、想いを募らせて、花に微笑んだ。


想像は出来たはずなのに、考えようとしなかった。


カロルが魔女とわかったときから、王妃とつながりがあると明白だったのに。


考えようとしなかったのは、心のどこかでカロルを疑ってしまったからかもしれない。


あれほどの愛情を受けながらも疑惑を抱くのはあまりに残酷だと、罪にさいなまれた。


血の匂いが嗅覚を狂わせる。


激しく打ち寄せる波音を耳にしながら、私はコルネリアの手を強く握った。


「カロルはなぜ、フィエルテ公爵家に入り込んだのですか?」


「あんたはこの国で生まれたからその感情がないんだろうね。でもな、アタシたちは魔女だ。この国で嫌われ者の魔女さ」


それはゾッとするほどに拒絶をあらわにする目だった。


にこやかに笑うコルネリアが血管を浮き上がらせるほどに不愉快極まりないと怒りを燃やす。


「たくさん殺された。目の前で仲間を殺されたら腹が立たないわけねぇ。そうなればリネアの行動も筋が通ってるだろ」


「……でも、だからって王を惑わすなんて」


「根幹をねらうのは当たり前だろう」


「でもそんなの人として」


「こう思ってほしい、ああ思ってほしい。都合よく、見たいものとして見るのも当然だ」


「でも……」


「でも、でも。あんたはそれしか言えないんかい」


「……」


もっともらしいことを言おうとして、全部が駄々っ子になる。


こんな繊細で、どうしようもない問題を前に生きる世界の狭かった私が何を言えるのか。


少なくとも私はこれ以上、アルベールにかかわらない方がよいのだと察した。


カロルが何を思ったはわからないが、王妃と同じ目的でフィエルテ公爵家に入り込んだのはあきらかだ。


私に《恋の魔法》を仕込んだのもカロル、アルベールを育て私のもとへ繋げたのもカロル。


あまりに出来すぎた流れだ。


アルベールははじめから私に流れるようにカロルが道を作った。


この恋心も、作られた道をたどってあっさりと惑わされ生まれたものかもしれない。


いやでもつじつまが合うと、私は頭を抱えてガリッと下唇を傷つけた。


誰かこの青ざめた顔をあたためて。


そうしてほしい相手を思い浮かべて、それだけはダメだと悟り、静かに涙を流して岩場を降りた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る