第12話「想いは夜に溶けて」
***
夕暮れになるとオリアンヌはあっさりと手を振って上機嫌に城を離れてしまう。
アルベールもともに帰るかと思ったが、駄々っ子のようにアルベールが手を離そうとしない。
このまま夜になってしまうのではとドギマギしていると、アルベールがむすっとして手を引いて歩き出す。
以前よりは重たいドレスに慣れてきたが、長年の身軽な恰好に比べれば動きにくいとやっぱり足がもたついた。
(この道は……)
城に隠れて、ずいぶんと離れた場所にひっそりと建つ北の塔。
忘れ去られた苔が根をはる塔に向かっていると気づき、かつての惑わした心が顔を出して湧き上がってくる。
閉じ込められた姫君に手を差し出す王子様と錯覚し、幸せを期待した人。
だけど現実は偽りを語る人へと捻じ曲げてしまい、幸せに酔うどころか痛みを知った。
カロルと過ごした日々は幸せと呼んでいいものなのか。
彼に恋をして、笑顔で暮らすはずだったと偽りに幸せを見出せたのか。
痛みを知ってなお、アルベールを好きだと想う気持ちが幸せなのか。
私の想いが大切な人を歪めていると思えばおもうほど、深海に溺れて息も出来なかった。
「レティシア」
心震わす音色が私を奏でる。
以前は見張りが立っていた北の塔も、いまや本当に誰の目にもとまらぬ捨てられた場所になった。
決められた範囲から出ることも出来ず、兵士に見張られ、食事を届けるだけの下使い。
カロルがいなければ私は獣のようになっていたかもしれない。
私が私として笑っていられたのはカロルがたくさんの色を教えてくれたからだと瞳に涙を溜めた。
「どうしてここに?」
涙をぬぐって問うと、アルベールは私の肩を押して塔の壁に隙間なく寄せる。
圧迫される距離に困惑していると、アルベールの指が身体の線をなぞって腰をつかむ。
急速な接近に逃げようとすると、首に噛みつかれて熱い息が肌を湿らせた。
「ずいぶんと気持ちを拗らせていたようだ。なんでも許せてしまうほどにかわいい」
「待って……。こんな、おかしい……」
好きだからと触れたくなるのは私だけの感情だ。
偽りに動かされるとこうも大胆になるのかと私は揺らぐ視界の中で必死に抵抗する。
こんなのは魔法による距離感のバグだと突き放そうとした。
「兵士なんて気絶させてどうにでも出来た。でもそんなのは不誠実だから」
ぎゅっと抱きしめられればもう何も考えられない。
身体が硬直して、汗がにじみ出て髪が湿っていく。
こんな風に近くなって、ときめきと苦さが絡み合うのはアルベールだけだ。
他の人だと思うとぞっとするわりに、これも私の願望がそうさせているかと思うと自分がおぞましかった。
「アルベール様は私に悲しむ時間をくれました」
言葉だけでは霞んだまま、枯れた花を見つめる日々。
カロルが来ないのははじめてだと、報せもないまま敷地から出ることも出来ずに待ち焦がれた。
死を知っても、死を見たことのない私には実感が伴わない。
ただカロルの言葉を思い出し、これまでの日々を何と呼ぶのかも知らずに夢に浸った。
色のなくなった世界で空を広げ、銀色のきらめいたのはアルベールを見てのこと。
アルベールのまなざしに”幸せを知りたい”と願って、魔法で無理やり引き寄せた。
魔法がなければ触れることもなかったと、今はゼロになった指先に熱が帯びる。
(こわい。魔法が解けたときにあなたがどんなふうに私を見るか。失望されるのがこわい)
期待にこたえられるだけの人間ではないから。
好きだとささやかれて甘さに浸る分、冷めて時間を奪うことが恐ろしい。
愛してもらえるだけの私ではないから、どうか愛してるなんて言わないで。
――なんて言い訳ばかり。
「好き。アルベール様が好きです。頑張ってみてもいいですか? 好きになってとは言いませんから、せめて今だけは……」
今だけは恋人でいさせてと、好きであることが自然なように。
何の疑問も抱かせないほどに好きを受け止められる私でありたい。
――私が望む自信に向き合う勇気がないなんて、それも言い訳なのだろうか?
「ほんと、君はずるいな」
罪深い、とアルベールは呆れたように笑って震える私の唇にフタをした。
私のキライな私をスキにならないで……。
――それもまたうそ?
どうして私はこうもメソメソしているのだろう?
そんな想いは夜に溶けて、北の塔を後ろに魔法のかかった瞳を見つめていた。
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