第4話「忘れられない想い」

そうして時は流れ、ほとんど部屋に軟禁されていた暗黒王女は表舞台に立つ。


エスコートをするのはこの日が初対面となった兄のロドルフだ。

腕に手を添えると、ロドルフは舌打ちをして強く振り払った。


「さわるな。お前が妹だと? 吐き気がする」


王と同じ黄金色の髪、王妃が真似た色。

ロドルフは王妃が最初に産んだ子であり、正式な王位継承者だ。


その後、私が生まれてすぐに北の塔に押しやったそうだ。

いまさら兄と会ったところで私の心はちっとも揺れず、ドレスの前で汗ばむ手を重ねて開かれた扉の先に進んだ。


ざわめく会場からシン……と声が消え、代わりにジロジロと品定めをする視線が突き刺さる。


意外と何も感じないものだとぼんやり歩いていると、視界に極めてまぶしい銀色が飛び込んできた。


「あ……」


雲がかかっていた心を晴らす空色が私に向けられている。

挑発するような硬い笑顔を浮かべ、声を出さずに口が動く。


あれほど微動だにしなかった心が震え、取り繕っていた暗黒王女の仮面がはがれだす。


口元が緩くなって、胸の締め付けが痛くて唇をきゅっと結ぶ。

視界がにじむ前にと目をそらすも、背中にはいつまでも視線が突き刺さっていた。


王と王妃に挨拶を終えると、ロドルフはさっさと人の中に入っていき、残された私のまわりは一定距離で誰もいなくなっていた。


ヒソヒソと聞こえる言葉にいまさら針を刺されている気分になり、吐き気がして急ぎ壁際に逃げる。


優雅な音楽も、笑い声も、まぎれる紫煙にも、五感全てが過敏に反応して口をおさえた。


「水、一口飲むといい」


頭上から降ってきた忘れもしないやさしく包むような声。

聞き慣れたはずの声は以前より生真面目で音が重たくなっていた。


肩がすくんでおそるおそる見上げた先に、空が晴れ渡る。

締めつけるばかりの世界がサァーッと広がっていき、その先に燃えるような情を見た。


身動きがとれないでいると、アルベールは眉をあげてワイングラスに入った水を揺らす。


震える指先でなんとか受け取ろうとするも、あまりに不安定で心もとない。


するとアルベールがワイングラスのふちを私の唇に押し当てて、伺うような視線を向けてきた。


「ゆっくりでいいから。大丈夫」


唇に触れた冷たさに驚いて、口を開いてそのまま液体を喉に流す。

瞳に怯えた小娘が映っていると気づいて、恥ずかしさにワイングラスを受け取って背を向ける。


「あの……ありがとうございます……」


ドクン、ドクンと心臓の音がうるさい。

血の巡りが早くなって、全身火照って、装飾品がやたら重たく感じた。


(やだ……泣きそう。わたし、まだアルベール様のこと……)


なんて未練がましい、と腹が立って唇をガリッと噛んだ。

アルベールの気持ちを無視して《恋の魔法》と聞こえのいい言葉で心を捻じ曲げた。


やさしくて甘くて、ほんのり苦さのあった感情がまた、私の中をかけめぐる。

まさに暗黒王女としての行いをしたといたたまれずに身を縮めた。


「レティシア」


肩に冷たい指先が触れる。

耳には熱いささやきが内側を震わせた。


粘り気の増した声に耳を真っ赤にして、あわてて距離を取る。

こんな色香のある姿ははじめてだと、距離を縮める銀色の貴公子に圧倒された。


(どうして? だって魔法は解いた……。なのにどうしてこの人の目は……)


変わっていないのだろうと疑問にうろたえてしまう。

するとアルベールはいじわるくニヤッと笑い、私からワイングラスを奪うと顔を近づけてくる。


「なんで逃げたの? 俺になにをした?」

「あ……えっと」


かぁっと紅潮した頬を隠そうと両手を顔の前に出す。


おどおどするだけの私にアルベールは目を細め、ワイングラスを下使いに渡すと私の手をとって指をからませてきた。


「別にいいよ。君の境遇を考えればわからなくもない」


だけど、と反対の手が私の顎を掴んで獲物を狩ろうとする獅子の目をして見下ろしてきた。


「逃げるのはダメだ。塔から連れ出すのは俺の特権だと思っていたのに」

「な、なぜ……」

「なぜ?」


そこでアルベールは周りの状況に目を配る。

人の近寄らない暗黒王女の前に唯一出たアルベールにまわりは混乱しきっていた。

中にはめまいを起こして倒れてしまう令嬢がいるほどだ。


騒ぐのはいつも周りだと言わんばかりにアルベールはため息をつくと、私の手を引いて足早に会場から出ようとした。


不慣れなドレスでもたもたと足を動かし、「なんで?」しか思い浮かばない状態でとっさに王妃へと目を向けた。


血の気が引く。

真っ赤な唇がそれは見事に笑んでおり、頬杖をついて満足げに”暗黒王女”の行動を眺めていた。


魔法の効力が切れていない。

その事実だけが私から体温を奪っていき、青ざめて銀色がなびくのを見つめる以外なにもさせてくれなかった。

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