第2話「恋の終わり、王女の道」


洋館の角を曲がると風に巻き込まれる髪をおさえながら甘い香りを追いかけると、真っ赤な花びらが頬に触れた。


あたたかい季節になるとよく乳母がもってきた花であり、”バラ”と呼ぶと教わった。

小さな花もかわいらしいが、自分には似合わないバラに憧れる気持ちを抱いていた。


「アルベール様、ありがとうございます」

「ん」


ぽっと頬を染め、バラの前にしゃがみこむと花弁に指先をあててみる。


あたたかな季節になると乳母が笑顔でたくさんのバラを抱えてくるので飾りきれないと笑いあったことを思い出す。


もう大好きな乳母はいないのだと痛感し、喪服に顔を埋めて隠した。


「これからここのバラは好きにしていいよ」


その言葉に顔をあげると、ぐずって濡らした頬を大きな手が包む。

まっすぐに向けられる目を見て、私の胸が締め付けられて、同時に鉛がのしかかった。


初対面でこんなにもやさしいのはアルベールに《恋の魔法》をかけてしまったからだ。


ましてや暗黒王女に近づこうとするものはいない。

乳母が亡くなっても本当の父と母も姿を見せようとしなかった。


暗黒王女と物々しい呼び名の割に、誰の目にも入らない忘れられた王女でもあった。


「バラには本数によって意味が変わるんだ」


腰にさす短刀でバラの茎を切り、一輪の花として私の髪に飾る。


「瞳と同じ色だね」と言われてよけいに恥ずかしくなり、パッとアルベールから目を反らす。


こんなのは本当に”愛されている”と錯覚を起こしそうだ。


「……一本だとどんな意味があるんですか?」


どうしようもない問いにアルベールは眼差しを唇に向けて、ふざけてニヤッと笑った。


「ひとめぼれ。あなたしかいない、という意味だよ」


あっと腰をぬかして地面に尻もちをついてしまう。

太陽の光が差し込むたびに銀色が光るので、かき集めたくなるほどに好ましい。


その花言葉は私が向けるべきものでありながら、誘惑されただけのもの。

……もし、魔法をかけていなければ私に見向きもしなかった。


この恋は偽りと烙印をおされ、もやに手を置くとまた空が雲を寄せていく。

晴れているのに小雨が降ってきて、アルベールが私の手をひいて屋敷まで駆けた。


銀色の髪が揺れるのを見るたびに、アルベールの意志を歪めていると罪の意識が芽生えた。


***


《恋の魔法》に侵された証を見るたびに「もう少しだけ」と欲張った。

無条件に公爵邸に入り、メイドたちにささっと身なりを整えられる。


「よく似合ってる」


手の甲にキスをおとされ、私は耳まで真っ赤になって目を回す。


「あの……元の服、返してください……」

「もう着る必要はないよ」


喪服が心の拠り所になっていた。

アルベールの目に悲しい影がよぎるのを見て、この先の言葉が喉に詰まって出てこない。


まるでフタをされた気分だとうつむくと、上から息をつく流れを感じて肩が震えた。


「そのままでいいから。彼女に会いに行こうか」


彼女とはもしかして、と空の瞳に期待して背伸びをする。

しぼむばかりの花が急に茎をまっすぐにするので、アルベールは赤面して口ごもらせていた。


一時間ほど馬車を走らせると空に近い草原にたどり着く。

雨が残る湿った草むらを踏み分けて進むと墓石がずらっと横に並んでいた。


そのなかの一つを前に、アルベールは唇をさすって不自然に目を反らした。


「カロル……。レティシアの乳母だった人のお墓だよ」

「あ……」


刻まれた名前を見て私は地面に膝をつく。

そっと墓石に手を伸ばし、指先を滑らせてみた。


「死に囚われなくていい。カロルの願ったことを叶える。それだけでいいんだ」

「願い……」


(あぁ、そうか……。私はなんてことを)


ボロボロと大粒の真珠となって頬を濡らす。

身動きを取るたびにイヤリングやネックレスが引っかかって嫌になると、八つ当たりに唇を噛んだ。


泣き叫びたい気持ちと、取り返しのつかない罪に板挟みになってすがるように墓石に抱きついた。


「うああ……ぁあ……ぁああああっ……!」


(ごめんなさい。ごめんなさい、カロル)


私の幸せを願ってくれたただ一人の味方。

誰も近寄らぬ北の塔で、毎日顔を出しては話し相手になってくれた。


無知な私にいろんなことを教えてくれ、モノクロの世界に色を与えてくれた母のような人。


最後に願ったのは『幸せ』だった。

ささやかな願いに私はさみしさからアルベールの意志をはく奪した。


けっして使ってはならない人の心に作用する”恋の魔法”で縛り上げた。


こうしてやさしくしてくれるのも、彼の心をまやかしたからそう動いてるに過ぎない。


甘い言葉も、ふわっと目を細めて笑う姿も、何一つアルベールの本当がない。


偽りを強制してなにが幸せだ。

人を思い通りに動かそうなんて最低だ。


私は魔女の血をひく私生児と恐れられ、北の塔に追いやられた身。

乳母の願った『幸せ』に背を向けたと痛感し、私は空に向かって叫んでいた。


『レティシア様。魔法だけはけっして使ってはいけませんよ』


カロルの言葉が今になって染みる。

悲痛に泣く私にアルベールが寄り添えばよりそうほどにこの身のあさましさを知った。


(もう終わりにしよう)


空は忙しく、晴れたかと思えばまた雨が降る。


この恋は私のひとめぼれから始まったかもしれないけれど、好きになったのがアルベールでよかった。


ひとつだけ、最後の欲張りは許されるのかな?

カロルが読み聞かせてくれた物語に、お姫様らしい終わり方があった。


「アルベール様」


黒髪が顔にはりついて、指先でかきわける。

世界の暗闇を背負った顔をして私は無謀にも空にすがって銀色を指先でつかむ。


私はあなたを惑わすという罪を犯した。

湿った草が音をたてて、私は焼ける喉をそのままに背伸びをして濡れた唇に震えた。


「フィン・アムール《恋の終わり》」


瞳から恋の証が消える。

魔法が作用してアルベールは草むらの上に倒れてしまう。


銀色のまつ毛に乗った真珠を指ではじき、赤い目をこすってシトシトの音にまぎれてその場から去る。


慣れない足元に泥がはねて、情けない顔をぐしゃぐしゃに汚す。


墓地の坂を降りると公爵家のものではない馬車がとまっており、雨に濡れたまま立つ騎士と目があった。


お辞儀をされ、馬車の扉を開いたのをみて私は終わりに目を閉じた。

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