第6話 対立

 日本国は、この村に、二人の学者を送り込ませて、表向きは、

「二人の農作業従事者」

 ということで、何ら問題なく、この村に潜伏させていた。

 しかし、実際には、二人のために研究所を山奥の洞窟に作っていて、そこで、研究をっ継続させていた。

 というのも、元々の研究所というものが、空襲で壊されてしまったので、

「研究は、ままならない」

 と思われていたが、日本軍は、空襲を恐れ、密かに研究器具や研究所の機能を、山間部に、

「疎開」

 させていたのだ。

 さすがに、山間部の農村には、空襲もなく、しかも、本当に山の中に穴を掘って、退避させていたので、ほとんど、被害はなかった。

 しかも、この村の奥には、軍の施設があり、そこは、研究所になっていて、占領軍も、「使われていない施設だ」

 ということで、見ていなかったのだ。

 だから、いずれは解体するか、接収するつもりだというようなことであったが、

「まずは、都心部の復興を急がないといけないということで、研究所は、手付かずだったのだ」

 そこを、軍は、

「俺たちは解体されるだろうが、研究だけはそこで続けてくれるとありがたい」

 ということで、二人の学者に研究の継続を任せたのだ。

 その研究の名目は、

「血液の研究」

 ということだったので、とりあえず、占領軍にも、ごまかしが利いた。

 といっても、

「そもそも、731部隊関係のことは、ある程度、大目に見ている占領軍なので、この研究所も、その派生だ」

 ということが分かっているので、あまり強くは出ることができない。

 何しろ、占領軍にとっては、

「最高国家機密」

 に近いことだったので、それをばらされることを思えば。

「血液の研究」

 というのは、今後の自分たちも利用できるということで、

「とりあえずは、様子を見る」

 ということしかできなかったのだ。

 それを考えると、

「占領された日本であったが、占領軍にも、迂闊に手を出さないというところもあるんだな」

 ということであった。

 占領軍というのも、

「確かに今回は、戦勝国」

 ということになったが、実際には、その戦勝国の中で、すでに、対立が始まっていたということである。

 それが、

「民主主義国家」

 と、

「社会主義国家」

 との対立であった。

 社会主義、つまり、

「共産主義」

 というのは、そもそもが、民主主義、

「資本主義国家」

 から見れば、

「敵対している相手」

 だったのだ。

 だから、社会主義国家である、

「ソビエト連邦」

 というものができ、その間の混乱に乗じて、民主主義陣営は、

「多国籍軍」

 というものを形成し、

「シベリア出兵」

 というものを行ったではないか。

 だが、ソ連を撃滅することができない間に、ヨーロッパでの情勢が怪しくなり、ナチスが、

「ドイツの再軍備」

 というようなことをしたため、その軍事力を使って、周辺諸国を占領していき、いよいよ、ポーランドに侵攻したことで、

「第二次大戦」

 というものが勃発したのだった。

 そもそも、ドイツは、ポーランド侵攻前に、

「領土的野心は持たない」

 ということを約束しておいたのに、平気で、ポーランドに侵攻した、

 しかも、その時、

「元々敵対していたはずの、ソ連を手を組んだ」

 ということで、世界を震撼させたのだ。

「ヒトラーは、反共主義ということで、他の民主主義の国とは、共産主義が、共通の敵だったはずなのにである」

 要するに、

「利害関係が一致した」

 ということなのだ。

「利害が一致すれば、反発している相手とも手を組む」

 というのは、政治や、外交では、普通にあることなのかも知れないが、さすがにこの行動は世界的には、信じられないものだっただろう。

 それを思えば、

「ヒトラーの言っていることは、信じられない」

 といってもよかったのかも知れないが、それでも、信じたというのは、それだけ、

「お花畑的発想だった」

 ということなのだろうか?

 実際に、社会主義国家と手を組んだヒトラーだったが、それは、

「ポーランド侵攻」

 ということ、それから、フランス、イギリスに侵攻する時、

「西部戦線に力を注いでいる時、東から攻められると、どうしようもない」

 という、いわゆる。

「第一次大戦の失敗」

 ということが頭にあったのだろう。

 しかし、あくまでも、ヒトラーの狙いは、

「ロシア侵攻だった」

 のだ。

 それを、スターリンですら失念していたというのは、それだけヒトラーという男が、

「政治的にまともな外交ができる」

 と考えていたのだろうか?

 そもそも、利害関係が一致しただけの、同盟だったのだ、その大義名分がなくなれば、

「そりゃあ、敵対関係に戻るのも当たり前のことだ」

 といってもいいだろう。

 そうなると、イギリス侵攻を諦めたドイツは、戦法を変え、今度は、

「ソ連に襲い掛かる」

 という、戦略をとった。

 さすがに、準備をしていないソ連軍は、ナチスの、

「電光石火作戦」

 というものに、歯が立たない。

 あっという間に信仰されることになるのだが、結局、

「ナポレオンの失敗」

 を今度はヒトラーが繰り返したのだ。

「急な寒波で、思いもよらぬ、銭湯不能となり、ドイツ軍は、初めての敗退となり、ここから、作戦が空回りして、ソ連に対して苦戦することになる」

 そのうちに、アメリカが参戦することでm今度は西武も怪しくなってきて、ソ連との決戦で敗れたことで、ドイツの優勢はそこで終わったのだ。

 同盟国イタリアが、連合国に降伏し、ドイツに宣戦布告したことで、もう、ダメだということだった。

 ドイツは結果、ソ連軍の、

「ベルリン侵攻」

 によって、陥落し、

「ヒトラーは、地下室で自害」

 ということで、ドイツは降伏することになる。

 となると、あとは、日本だけということになるのだが、

 その頃には、すでに、戦略的な戦闘は、日本軍には不可能になっていて、どんどん、太平洋で追い詰められていき、

「本土空襲」

 という、いよいよ悲惨な時期を迎えていたのだ。

 さすがに、日本も、その頃には、

「もうダメだ」

 という空気があったのだろう。

 政府は外交にて、水面下において、

「和平交渉」

 というものをもくろんでいた。

 本当であれば、初期の一番いい時期に、やればよかったものを、マスゴミや世論、さらには、軍による士気高揚というものがあってか、結局、和平交渉に時期を逸してしまっていたのだ。

 だから、結局、泥沼の戦争に突入し、

「辞めるにやめられず」

 結局、追い詰められることになったのだった。

 何といっても、

「アメリカの工業力のすごさは、政府も軍にも分かり切っているのだ。長引けば長引くほど不利になる」

 ということであった。

 起死回生の戦闘を挑んでも、ことごとく敗戦。

 こうなってしまっては、日本に勝機はない。

 ドイツもイタリアも降伏した、日本ッだけが孤立したのだ。

 だから、本来なら、

「時すでに遅し」

 なのであったが、

「当時は、利害関係の一致」

 ということと、同盟国のドイツに習ってか、日本も、

「ソ連との不可侵条約」

 を結んでいた。

 これは、満州国を安泰にさせる」

 ということと、

「中国戦線を、北部から脅かされないようにするため」

 という意味で、重要だった。

 特に、ノモンハン事件などによって、ソ連軍の力を見せつけられたことで、

「愁いをなくす」

 ということを考えると、

「ソ連とは、戦いたくない」

 ということでの、不可侵条約は、確かに正解だっただろう。

 それを

「一縷の望み」

 ということで、日本は、ソ連に密かに、和平条約の交渉を行っていたのだ。

 だが、実際には、連合国同士での、

「カイロ会談」

「ヤルタ会談」

 などにおいて、首脳の会議が行われた時、

「戦後処理」

 などが話し合われたが、その時に、

「日本にたいして」

 というのもあったのだ。

「ルーズベルトは密かに、スターリンに、ドイツが降伏後、しかるべきタイミングで、日本に侵攻してほしい」

 とお願いしていた。

 そもそも、ソ連も、シベリアから、満州、朝鮮などは、ずっと狙っていたので、

「ちょうどいい」

 と思ったのか、快諾したのだった。

 だから、日本は、本土空襲に晒され、さらには、原爆投下ということになっても、まだ、徹底抗戦を考えていたようだが、

「それは、ソ連による、講和」

 ということに望みを掛けていたからだろう。

 しかし、そもそも、

「利害関係」

 というものだけで無視日ついていた、薄っぺらい条約だったのだ。

 ソ連だって、

「ドイツに裏切られたことで、そのことを一番分かっている」

 ということである。

 ソ連は約束通り、満州に侵攻した。

 これは、スターリンが、

「日本に侵攻することでの、メリットを国民に承諾させたからで、ソ連も侵攻したからには、後には引けない」

 日本はその後すぐに降伏することになるのだが、日本兵を、

「シベリアに抑留して、強制労働に従事させたり、北朝鮮を統治したりと、その野望が膨らんでいた」

 ということであった、

 そんな時代をソ連は、

「好機至れり」

 ということであったのだろう。

 それを見て、民主主義陣営も、

「少し危ない」

 とは思っていただろう。

 それがハッキリしたのが、戦後における。

「ベルリン問題」

 だった。

 そして、アジアでは、朝鮮問題が出てくることも大きな問題ではあったが、もう一つ大きかったのは、

「植民地の独立問題」

 ということでもあっただろう。

 最終的には、ベトナム戦争に繋がっていくものだが、

 植民地諸国が、宗主国が、再度侵攻してきたところを、撃退するということで、裏で、社会主義体制による、

「ゲリラ活動」

 というものが行われていた。

 つまり、民主主義諸国の支配から独立し、釈迦視主義体制の国家を築くということをもくろんでいたのだった。

 そうなると、

「新たな世界大戦への火種になる」

 と考えた、見主主義陣営は、その体制に、危惧を示していた。

 つまり、アメリカは、戦争中から、すでに、

「社会主義との新たな対立」

 というものを考えていた。

 それはソ連も同じだっただろう。

「ベルリン侵攻」

 において、ソ連軍は、

「ナチスの科学者」

 を、密かに本国に連行していたのだ。

 特に、アメリカが、原爆を使ったことで、その危惧はさらに深まり、決定的な戦力の違いを思い知らされたことで、

「自分たちも核開発を」

 ということになったのだ。

 だから、ここから、すでに、

「東亜威霊仙」

 というのは、始まっていたのだ。

 ソ連が、

「ナチスの科学者を連行」

 ということをしたのであれば、アメリカが、

「731部隊の科学者たちを連行する」

 というのも、当たり前のことと言ってもいいだろう。

 アメリカにおける、日本の科学力には、敬意を表しているものがあっただろう。

 それは、

「ナチスの科学力」

 に対しても同じだったはずだ。

 ただ、アメリカとしては、核兵器を実際に使用したことで、

「これを使えば、世界は破滅する」

 ということも、ちゃんとわかっていたことだろう。

 もっといえば、

「ソ連が開発するかも知れない」

 と考えたところで、いよいよ、

「核による戦争抑止」

 というものも、ありではないか?

 と考えていたのかも知れない。

「使えば終わり」

 という当たり前の計算が、お互いにあれば、

「持っているだけで、平和が守れる」

 と真剣信じていたことだろう。

 しかし、それでも、戦争になると、核兵器を使わないだけで、他の戦闘方法を考えなければいけない。

 そこで考えられるのが、

「ソ連側でいけば、ゲリラ戦」

 というものであり、

「アメリカ側からすれば、化学兵器や生物兵器」

 ということが考えられるのであった。

 実際に、朝鮮やベトナムでは使用されたこともあったということで、国際法であったり、陸戦協定などで言われている、

「戦争のタブー」

 と言われるものも、有名無実だったりした。

 というのは、

「捕虜の待遇」

 であったり、実際に、

「使用禁止」

 と言われるような兵器を開発し、使用するようなひどい戦争が、

「代理戦争」

 という形で行われた。

 それはあくまでも、

「核の抑止」

 が掛かっているからで、

「直接対決」

 ということになると、

「核の使用」

 ということが現実味を帯び、一気に世界が凍り付くような緊張感に見舞われるということは、

「キューバ危機」

 という問題が勃発した時に、起こった問題だったではないか。

 あの時、

「世界は、核戦争が目の前に来ていることに恐怖を感じ、いよいよ、核の抑止というものが、薄っぺらいものである」

 ということに気付かされたのだった。

 核戦争にはならなかったが、それからも、

「核開発競争」

 というのがあったのも事実で、今でも、北朝鮮などが、開発に躍起になり、それを外交手段で使うという時代に突入していたのであった。

 そんな、核開発競争が、

「抑止力になるだろう」

 ということは、当時の政治家は、それが正しいということを、皆信じていたのだろう。

 しかも、核兵器を、

「大陸弾道弾」

 に、

「核弾頭」

 として積み込むことは分かっていて、地下サイロが開いて、そこから発射するということも、織り込み済みであった。

 だから、従来のように、楽劇気が標的まで行って、核弾頭を投下させるというやり方は、難しいだろう。

 何しろ、

「ヒロシマ型原爆の数百倍」

 と言われるような爆弾が投下されるのだから、まず、爆撃機が、無事では済まない。

 護衛の戦闘機でも、逃げ切れるかどうかも分からない状態で、爆撃機による投下などできるわけはないのだ。

 となると、いわゆる、

「核のボタン」

 というものがあり、核戦略システムが、そのボタンが押された瞬間に発動され、サイロが開くところから、発車まで、後は自動で行われることになる。

 その時、

「間違った情報によって、発射が決定されたとしても、もう取り返しがつかない」

 当然相手国も分かっているので、

「こちらに向かって核弾頭が飛んでくる」

 というわけである。

 そうなると、

「核のボタン」

 を押すということは、

「一人の判断ではできない」

 ということになるだろう。

 戦争を始める時、独裁国家であっても、一応、議会承認がいるというこことが建前であれば、

「偶発的な事故だった」

 という言い訳の利かない核ミサイルの発射には、少なくとも、大統領だけでなく、副大統領、国務大臣、陸海軍の大臣などの、ボタンが必要になるというものだ。

 ただ、

「誤報というものが、あたかも、本当のように伝えられれば、少なくとも、戦闘当事国は終わりであり、その座を狙っている国による、

「諜報活動」

 によって、誤報からの、ミサイル発射ということが起こらないとは限らないだろう。

 そう考えると、

「核兵器が本当に抑止になるか?」

 ということは、

「キューバ危機」

 で世界の人たちは、思い知ったということである。

「偶発的な事故」

 これが、世界を破滅させる第一歩になるかも知れないのだった。

 そんなことを考えると、

「いたちごっこ」

 という言葉がいかに、虚しい考えになるのかということを、今の政府は分かっているのであろうか?

 実際に、

「核の力」

 を抑止力として使うのではなく、

「外交手段」

 として使用しようと考える人たちが少なくともいるのだ。

 そもそも、

「最初に自分たちが核を持って、優位に立っているくせに、後から開発しようというのを、禁止するというのは、どういうことか?」

 と考えるのも当たり前のことではないだろうか。

 特に、

「核開発競争」

 というものを、まともに見ていた、元社会主義国というのは、いまだに、

「核兵器を、外交に使える」

 と考えているのだ。

 ただ、今の時代は、テロであったり、ゲリラ戦が戦争の主流になってきているので、それこそ、戦後の社会主義国が行っていた体制ではないか?

 それを思うと、今のように、社会主義国が、ほとんど崩壊した世の中で、

「核に頼る」

 というのは、

「国際的に孤立している国」

 という典型的な国家体制を表している。

 ただ、この時代は、まだ、アメリカしか、核兵器を持っておらず、ソ連が開発することになるのだが、それまで、社会主義国というのは、いまだに、

「理想国家」

 という考えを持っていた、著名人であったり、文化人もいたようだ。

 しかし、ソ連や、中国のように、

「大粛清」

 を行わないと、生き残れないということが分かると、

「反共」

 というところに、結局は行くのである。

 その結果、

「ソ連の崩壊」

 により、世界から、社会主義国のほとんどは消滅した。だから、仮想敵国というソ連がなくなったことで平和になるかと思うと、各国の反乱分子が目立ってきて、アメリカを侵略者とみなして、テロ行為に走るのだった。

 そんな状態で、核戦争が起こるわけもなく、今では、

「核軍縮」

 が叫ばれている。

「孤立した国が、核に頼るとい」

 という構造も分からなくもないのだった。

 この当時、実は、二人の博士、

「湯川博士」

 と、

「竹中博士」

 の二人は、そのことを漠然とであるが、分かっていた。

「確かに、核開発は恐ろしい。核兵器が事故で使われるというのはあり得ることだ」

 というのも分かっていた。

 そして、科学者であるがゆえに、

「放射能汚染」

 という、

「二次災害」

 というものがいかなるものかということも分かっていた。

 しかし、そんな中で、二人の間には、

「越えられない結界」

 のようなものがあった。

 それが、あたかも、

「民主主義」

 と、

「社会主義」

 の対立というような構図を示していることを、誰もしらなかった。

 最初こそ、当事者である二人も分かっていない。

 ただ、

「開発は俺の方が先に完成させるんだ」

 という、科学者としての、プライドや意地のようなものがあるだけだと思っていたのだ。

 しかし、実際に、二人の間で、何か、わだかまりがあるような気がしていた。

 それは、

「似たような血液製剤を作るということや、満月の夜に活性化させる」

 ということを同時に開発するということは、自分の開発したものが、相手との相乗効果で、

「負の連鎖」

 というものを生むと考えられていたのだった。

 二人の研究は、

「吸血鬼ドラキュラ」

 そして、

「オオカミ男」

 というものを開発していた。

 これらの発想はイギリスの作家の書いた小説が元になっているもので、

「ホラー」

 あるいは、

「ゴシック」

 という小説のジャンルと言われるものだった。

 ただ、この二つとは別に、もう一つ、言われているものがあった。

 それが、

「フランケンシュタイン」

 というゴシック小説で、この話は、ある意味曰く付きの話であった。

 この話というのは、

「理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまった博士の話」

 である。

 これは、その後にいわれる、

「ロボット工学」

 の研究と言われるもので、

 そもそも、この話の問題は、

「ロボットの電子頭脳が狂ってしまって、人間を支配したり、自分たちの世界を作ろうとしたりする」

 という発想お元になったものであり、この発想を、

「フランケンシュタイン症候群」

 という。

 だから、ロボット開発において、

「ロボットが、人間に危害を加えたり、人間の命令を聞かないなどということのないような回路が必要だ」

 ということで考えられたことだった。

 ただ、これらの発想は、1950年代。つまり、二人の博士がこの村に来た時の、さらに後になって考えられたことだった。

 しかも、それを考えたのが、SF小説家ということで、話題になったものである。

 ただ、その内容には、

「優先順位」

 という問題が潜んでいることと、それとは別に、実際にロボットを操作する人工知能に対して、

「無限の可能性」

 をいかに、克服するか?

 といわれる、

「フレーム問題」

 というものが絡んでくることから、実際には、

「人工知能で判断して動く、本来のロボットと言われるものは、いまだに開発されるところまで行っていない」

 というのが現実だった。

 先ほどの、ロボット工学における、いわゆる

「三原則」

 というものは、いまだに、開発されているわけではない。

 ただ、この発想に関しては、アメリカのSF作家が考えるよりも先に、この二人の科学者である。

「竹中博士」

 と、

「湯川博士」

 は分かっていた。

 しかも、お互いに相談したわけではないところで、偶然に、同時期に二人は気づいたのだ。

 だからこそ、二人は、お互いに、その発想を自分の中だけで解釈しようとするので、お互いに反発しあっていたのだ。

「相手が考えていることは、自分の発想を覆すものだ」

 という発想であった。

 なぜなら、二人とも、

「自分が考えた発想には、必ず、反発する発想があり、その発想をも凌駕することができなければ、ロボット開発における、この三原則を満たすことはできないのだ」

 という考えであった。

 それをお互いにそれぞれが思っていて、しかも、それそれ反対のことを考えているので、反発するのも当たり前だ。

 しかし、お互いに自分の考えを、お互いの博士はもちろん、他の人に話をしたりはしていない。

 もっとも、他の人に話をしたとしても、それを誰が分かるというのか、自分の考えをわかるとすれば、それぞれに、

「相手の博士しかいないに違いない」

 と考えていたのだった。

 それが分かったのは、竹中博士が、相手を見て。

「オオカミ男」

 を考えている。

 そして、湯川博士から見て、

「吸血鬼ドラキュラ」

 の発想をしている。

 ということが分かったからだ。

 それが分かったことで、本来なら、お互いに情報交換をすべきなのだろうが、どうしても、それを時代が許さなかった。

 世界大戦という世界のすべてが戦争に巻き込まれ、誰もが感覚がマヒしてしまっているので、そんな状態で、

「誰が、相手を簡単に信じられるというのか?」

 ということが、問題だったのだ。

 ただ、それでも、それぞれに研究を続ける二人は、その過程に間違いはなく、それぞれ、

「研究を裏付けるだけの研究結果は、十分に持っている」

 と考えていたのだった。


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