第3話 ドラキュラ

 この村で、二人のか悪者が暗躍しているということを、誰もしらなかった。それぞれの存在を知っているのであるが、その人物の素顔を見た人は、そんなに多く会いだろう。

 それぞれの民家に入り込んで、それぞれに昼間は農作業をしてうて、その姿は、誰もが見ているはずなのだが、

「じゃあ、実際に、どんな顔なのか?」

 ということを聞かれると、

「言われてみると、特徴もない顔だったので、何とも言えないな」

 という答えしかなく、

「じゃああ、会えば分かるというくらいなのかい?」

 と聞かれると、その表情は、さらに曇るのであった。

「いや、見ても分からないかも知れないな」

 ということを、その村人はいう。

 とにかく、

「印象が薄い人なので、ほとんど分からない」

 ということであった。

 そしていうのが、

「まるで石ころのような感じなんだよ。見えているのに、印象に残らないので、ひょっとして、見えていることがウソなんじゃないだろうか?」

 と感じるほどだったのだという。

 それを聞くと、他の人も、

「そうだよな、あんなに印象に残らない人はいないよな」

 ということであったが、彼らは、そもそも、この村から出たことはない。

 しかも、この村では、

「よそ者は一切受け付けない」

 という、

「暗黙の了解」

 のようなものがあった。

 それは、あくまでも、

「この村の血を絶やさない」

 ということがいわれていることであり、実際に、他から、新たな血を入れなくても、村のなかだけで、

「血の系統」

 というものが、完結できていたのは、偶然だったのだろうか?

 そういう意味で、この土地に置いて、

「血筋」

 というものは大切だった。

 そう、この村で、他の血を受け入れることがタブーだと言われていたのは、江戸時代までだったが、実際には、

「他から入れなくても何とかなった」

 というのが、この村の伝統だった。

 しかし、日本が敗戦したことによって、この村での、これまでの神話として信じられてきたことは、

「本当は迷信ではないか?」

 とも、言われてきた。

 特にこの村では明治期から、

「日本が他国に敗れるということはない」

 という伝説を持っていた。

 もし、敗れるということになれば、これまでの伝説を覆すことになり、

「他から、血を入れてもそれは仕方がないことだ」

 と言われるようになってきて、今回のように、

「働き手がいない」

 という場合でも、受け入れる体勢は整っていて、実際にやってきた二人を受け入れたということであった。

「伝説」

 というものが、壊れる瞬間というのは、実際に、

「あっという間のことなのかも知れない」

 といえるのではないだろうか?

 そんな村に、最初にやってきたのは、

「竹中」

 という男だった。

 彼は、元々は学者だったというのだが、大学での研究半ば、学徒動員において、戦争に駆り出されたのだという、何とか、命からがら、帰ってきたのだが、彼が出征した場所というのは、最初は、満州国だった。

 つまりは、関東軍であったが、部隊の多くは、南方への転戦させられたが、彼や、他のエリートは、中国戦線に駆り出されたのだった。

「南方だから大変で、中国大陸なら、まだマシだ」

 というわけではない。

 本来なら、彼は、満州に来た目的は、実は他にあったのだ。

 確かに、軍人として、満蒙国境近くに、赴任していたこともあったが、そもそもの目的は違うところにあったのだ。

 それは、満州国でも、奉天の次の大都市といってもいい、ハルビンに赴任するはずだったのだ。

 というのは、

「関東軍防疫給水部本部」

 つまりは、

「731部隊」

 への編入だったのだ。

 それだけ、彼の研究は、学会でも評価を受けていて、日本軍は、その頭脳を、

「戦争に使おう」

 ということであった。

 科学者といっても、一つの国に属していれば、愛国心というものがあるはずだ。

 ドイツの科学者で、かつて、人口問題において、

「食糧不足によって。全世界の3分の1は死滅するのではないか?」

 と言われていた食糧問題を、

「空気中の窒素からアンモニアを取り出す」

 ということを実践した科学者で、名前を、

「フリッツ・ハーバー」

 という人なのであるが、

 彼はこの研究における、

「ハーバーボッシュ法」

 という方法で、当時の食料問題を解決したのであった。

 しかし、彼の人生はそれだけでは許さなかった。

 当時のヨーロッパでは、帝国主義や民族主義が蠢いていて、同盟によって、平和の均衡を保とうとしていたが、実際には、一触即発の一つの導火線に火がついたことで、一気に、ヨーロッパ全土を巻き込む、

「第一次世界大戦」

 というものが勃発した。

 そこでは、ドイツ帝国も、ハンガリー=オーストリア帝国、オスマントルコ帝国と手を結び、イギリス、フランス、ロシアとの闘いとなったのだ。

 そこでは、

「塹壕戦」

 という穴を掘って進軍するというやり方だったが、そこで、その時代にはいろいろな新兵器が開発されたのだが、ハーバーは、その膠着状態の打開のため、禁断である、

「パンドラの匣」

 を開けてしまったのだ。

 それが、マスタードガスと代表とする、

「毒ガス開発」

 だったのだ。

 彼とすれば、

「いざ戦争となれば、自分は、国家の一員として、母国の勝利のため、努力をする」

 という、愛国心の塊だったのだ。

 一方では、数千万という人を救い、片方では、毒ガスによって、たくさんの兵士の命を奪うというわけである。

 しかし、大量虐殺かも知れないが、

「早く戦争を終わらせる」

 という意味で、彼は開発したのだろう。

 彼の考えを否定することはできない。

 確かに、毒ガスというのは、その後になって、後遺症が出てしまったりして、戦争の後まで引きづるという意味では、

「核兵器などの、放射能による二次災害と同じではないか?」

 ということになるのだ。

 それを考えると、実に恐ろしい。

 特に、

「大量殺りく兵器」

 というものは、核兵器、化学兵器に限らず、前述のナパームのように、

「いったん火がつくと、水では消えない」

 というものが、

「国際法で、禁止兵器」

 ということになるのも分かるというもので、戦争にあれば、新兵器が開発されていくが、その都度、

「一度使用されれば、危険ということで、すぐに禁止兵器となる」

 というようなことを、人間は、毎回繰り返していると思うと、

「それらを使用する」

 あるいは、

「そういう兵器を使用する戦争そのものが、改めて、どれほどひどいものなのか?」

 ということが、分かるというものである。

 要するに、

「戦争」

 という行為は、

「いたちごっこ」

 といえるのではないだろうか?

 ある形の戦争が起これば、今度は、それに対しての対抗策が練られ、さらに、大量殺戮の兵器が生まれるということになる。

 しかし、今の時代は、戦争も新たな局面に入ったともいえるのではないか。

 なぜなら、

「核兵器の登場で、戦争は不可能になった」

 と言っていた人がいた。

 つまり、

「相手を完全に粉砕するだけの力を持っているわけで、それをお互いの国が持っていれば、それこそ、二匹のサソリだ」

 ということになるのだ。

 二匹のサソリを檻の中に入れておくと、お互いに相手を殺すことができるが、こちらも殺されるということである。

 つまり、

「核ミサイルの応酬で、相手国の首都は壊滅し、国家機能は失われるが、撃った国も同じで、それこそ空中で、すれ違った核ミサイルがほぼ同時くらいに、相手国と自国を粉砕することになる」

 というわけである。

 しかし、今は、それが分かっているので、核兵器を使わないような戦争が起こっている。問題あどこまで政府小脳が我慢できるかということであろう。

 だから、

「21世紀の戦争は、ゲリラ戦だ」

 と言われていたがそうなのだろう。

 ひょっとすると、科学が発達して、世界を粉砕しないような兵器が、それこそ、人間だけを殺戮するような中性子爆弾のようなものが使われるようになると、

「生き残るのは、ロボットのようなものだけになるか」

 あるいは、

「戦争だけが、時代を一気に遡り、石斧であったり、矢尻のようなもので、戦闘をしていた、原始時代のようなものが、未来の戦争の姿ではないか?」

 と言われるような時代がくるのではないかと思えるのであった。

 そんなことを考えていると、

「いたちごっこ」

 というものの末路は、

「始まった時に戻っているのかも知れない」

 と感じたが、その間に、果たして、

「絶滅戦争」

 というものがあるのかどうか。それを考えると、石斧であったり、矢尻を使っての戦争をしている人類は、

「本当に自分たちの子孫なのだろうか?」

 ということを考えてしまうのであった。

 ひょっとすると、新しく生まれた人類であり、彼らからみれば、

「かつて、この地球を滅ぼすような人類という愚かな動物がいて、我々の地球を一度は滅ぼしたが、我々の出現で、地球が持ち直した」

 といって、次の世代に教育をしているかも知れない。

 それは、人間が、

「そのまま戦争をすることもなく、平和でいられれば持っているはずの能力」

 と、それとは別に、

「戦争をして一度は滅びたことで新たな未来のためお教訓として、自分たちは意識しておらず新たな才能だと思っているが、実は、人類が、生まれた頃から受け継いできた遺伝子のようなものによって、その遺伝子の不変の部分というものが、結びついたのが、今の新人類ではないだろうか?」

 というところまで解明されている。

これはあくまでも、未来のことを、勝手に想像して妄想に近い形で見ているものであるが、人類の歴史において、このような

「繰り返される歴史」

 というものを、リセットするような形のものが、かつての、

「歴史書」

 のようなものに、たくさん残っていて、それを、

「未来の人類に対しての警鐘」

 ということを鳴らしているのではないだろうか?

 その一番の例として思い出すのが、聖書における、

「ノアの箱舟」

 というものではないだろうか?

 聖書の中にある、数えきれないほどの物語の中には、

「人間の悪に対して、神様が切れられて、人類に災いを興すという話は、それが基本になっていると言わんばかりにたくさんあるではないか」

 例えば、

「バベルの塔」

 の話もそうである。

「神に近づこうとした国王が、罰当たりだということで、神は怒りを感じ、高く作られた塔を一瞬にして怖し、さらに、王としての権威が役に立たたないように、皆の言葉が通じないようにし、疑心暗鬼の状態で、人類が地球上の至るところに散っていった」

 という話であった。

 これも、一種の、人類の狂った秩序の破壊だといってもいいだろう。

 もう一つ思い浮かぶのは、

「ソドムとゴモラ」

 の話で、

「人間界では、無法地他愛となっているところがあるので、神が降臨されて、その街を滅ぼそうとした時、捕まっていた気の毒な家族を安全な場所まで導いて、街を破壊する」

 ということにしたのだ。

 その時、

「決して、後ろを振り向いてはいけない」

 ということを、神はいうのだが、それを聞いておきながら、奥さんは、旦那が、

「振り向くな。やめろ」

 というのを聞かずに臼路を振り向いたため、砂になってしまったという逸話があるのだった。

 つまり、神が制裁を食わせる時、必ず、人間に、注意喚起をしているのに、それを守れない人間がいるということを必ず諭している。

 そこに、何かの考えがあって、わざとそういう話にしているのではないかと思うのだった。

 だが、

「ノアの箱舟」

 の場合はそういうことはなかった。

 ただ、他の二つの場合は、世界全体を動物も含めて、すべてを滅ぼす。

 つまりは、

「世界をリセットする」

 ということまではなかった。

 しかし、

「ノアの箱舟」

 という話に限って言えば、そういうことはないのだった。

 家族も、それおれのつがいの動物も無事に、水が引いた地上に生きていることになるのだ。

 あくまでも、この洪水の話を考えた時、

「ひょっとすると、自然現象として、その村が水没し、村全体が生き残れなかったという現象がどこかの村に起こったのかも知れない」

 もっとも、その範囲が、一つの国単位だったのかも知れないが、地球規模から考えると、それくらいのことがあっても、ビックリしないというのは、今のこの異常気象の人間であれば、

「信じられない」

 と思いながらも、科学は発展しているということから、異常気象のメカニズムがある程度分かってきているということもあって、さらには、

「聖書の教訓」

 というものを読んでいることもあるからなのかも知れないが、

「ノアの箱舟」

 であっても、今の時代の異常気象であっても、ビックリはしない。

 もっといえば、

「感覚がマヒして、何があっても、驚きもしない」

 と、実際に、肌で感じるものがあるだけに、

「信じたくない」

 という心理が働くのではないだろうか?

 それが、君主であったりすると、その人の一存で、すべての生物が迷惑を被ることになり、下手をすると、

「世界の滅亡」

 という、本来なら、

「神の領域」

 というところまで、人間が踏み込んでしまい、二度と戻れない世界が待ち受けているということにならないとも限らないだろう。

 そう考えると、

「我々人類というのは、この地球上では、何代目の、君主といえる存在なのだろうか?」

 と思えてきて、

「やはり、すべては、堂々巡りを繰り返し、そのたび、自分たちが、この世界の支配者なんだ」

 ということを考え、種族の中で殺し合いを興しながら、破滅に向かって、

「堂々巡りを繰り返している世界が、今の世界なのだろう」

 ということである。

 つまりは、人間というものは、世界の支配者の何代目かであり、その中の歴史の中の一瞬を生きているのが、自分たちなんだ。

 と考えると、

「なるほど、人間だけが、自分たちの損得勘定だけで、平気で殺し合えるんだ」

 といえるだろう。

 戦争など誰もしたくなくて、人を殺したりもしたいわけもない。

 何といっても、

「俺は死にたくなんかないんだ」

 ということであり、

「殺し合う」

 ということで、その代償がどこに来るのかということは、分からない。

 だから、

「神も仏もないものか」

 ということで、この世に救いを求めるのではなく、来世の幸せを求めていく宗教にすがる気持ちになるというのも分からなくもない。

 そんな人間に対して、搾取をしたり、騙したりするのも、また人間であり、

「人間が殺し合う」

 ということが、果たして

「自然の摂理」

 といえるのかどうかである。

 ひょっとすると、

「神様が、人間の概算寿命」

 というものを間違えたのかも知れない。

 と思うと、本来もっと早く死ななければいけないのに生き残っていると、

「自然の摂理」

 が崩れるということで、人間だけは、殺し合うように最初から仕組まれているのかも知れないと思うのは、あまりにも強引すぎるだろうか?

 竹中は、そんな、今の時代の、

「パンドラの匣」

 とでもいっていいのか、もう少しで、731部隊の研究員として、合流することになっていたのだが、実際に、

「大陸戦線で、人手が足らない」

 ということで、急遽、そっちに回された。

 だが、次第に、

「7361部隊」

 というものが、いよいよ、その開発能力に限界も感じていたこともあって、竹中の、

「731部隊への復帰」

 という案が具体的になり、配属が決まったのだった。

 そこで、竹中の研究がいかなるものであるのか?

 ということであるが、彼が大学で密かに研究していたのが、

「血液製剤の研究」

 であった。

 元々は、

「伝染病における血清」

 であったり、

「血液から、不治の病と呼ばれているものを治すために、必要ば部分を取り出す」

 という研究を、主に行っていた。

 もちろん、

「731部隊」

 が研究している、

「生物兵器」

 であったり、

「化学兵器」

 というようなものではない、別のものが研究されていたりするのだった。

 だから、当時でいえば、戦争地域における伝染病などの、

「兵士が罹る病」

 ということで、

「マラリア」

「コレラ」

 さらには、

「脚気」

 などの病気を、血液の部分から、研究しようということであった。

 しかし、

「731部隊」

 となると、完全に、

「兵器としての開発だった」

 それを、上層部が考えているのが、

「血液内にある、遺伝子のようなものを使って、まるでドラキュラのような人間を作りだし、それを兵器として利用できないだろうか?」

 ということだったのだ。

 血液というと、確かに、輸血などによって、病気が治ったり、余計な病気が移ったりする。

 といえるだろう。

 そもそも、

「吸血鬼ドラキュラ」

 という話も、

「血液内に、そういう遺伝子的なものが存在していて、それが、悪の道に入るとどうなるか?」

 ということでの、架空の話として描いたもので、実際に、その当時に、

「血液を使った研究が行われていたのではないか?」

 と考えられるのではないかということであった。

 ドラキュラの話というと、実際の話や、その派生形の特撮やアニメの話などいろいろあり、その研究もなされているのかも知れない。

 もちろん、科学者として、どこまで信じていいのか難しいところだが、竹中は、それなりに信じていたのだ。

 だから、大学で血液製剤の研究をしながら、ドラキュラのような、悪魔と化した人間というものの存在も、心のどこかでありではないかと思っていたに違いない。

 そんなことを考えていると、竹中博士は、

「血液の中にこそ、永遠の命のようなものが、潜んでいるのではないか?」

 と考えていた。

 だから、

「吸血鬼ドラキュラは、血を吸うと、吸われた人間も吸血鬼になり、次第に、吸血鬼の大国を築いていくようになる」

 ということではないかと考えるのえあった。

 つまり、ドラキュラが血を吸うのは、基本、女性ではないかと竹中博士は考えていた。

 女性というと、月経というものがある。その時は、身体の中から血液が出ていくことになるのだが、本来は、それは、

「卵子との関係」

 ということであるが、確かにそうなのだろう。

 しかし、それが、月との関係による周期ということを考えると、

「その時、女性は貧血状態になるはずなのに、ぶっ倒れるようなことはないということから、本来、女性というのは、皆、吸血鬼として生まれてきていて、男の精気を吸い取ることで、生き残ろうと考えるものえはないか?」

 と考えた。

 だから、その時、ドラキュラのように、男の精気を吸い取った後、男が死なないように、男にドラキュラの精気を与えることで、男も、ドラキュラ化してしまうのではないだろうか?

 そんなことを考えると、その発想が、竹中の中で、

「不老不死というのは、このドラキュラの発想である、血液の中にこそ、正体が含まれている」

 と考えるようになったのだ。


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