第2話 新しい家族

 そんな日本が敗戦を迎えてからの十年くらいは、

「焦土となった街の復興が急務だった」

 何といっても、米軍による、

「民間人を狙った毎日にも及ぶ、大都市への無差別爆撃」

 で、日本の主要都市は、焦土と化した。

 特に、

「東京大空襲」

 あるいは、ヒロシマ、ナガサキへの

「原爆投下」

 などで、一晩、あるいは、原爆の後遺症により、約十万人以上が亡くなるという、悲惨なものだった。

 これいは、事前に計画された、

「空襲に備えての、歯抜け状態」

 ということである、

「建物疎開」

 というものも、役に立たなかった。

 というのも、空襲に使われているのが、普通の爆弾ではなく、

「焼夷弾」

 と呼ばれるものであった。

 さらに、日本に投下されたものは、途中で、バラバラになって、

「鉄の棒が降ってくる」

 というようなものであり、木造家屋の屋根や壁をぶち破って侵入し、そこで発火することになる。

 そして、この爆弾は、一度火が付けば、水では消えないという、ナパームという科学薬品を使った焼夷弾なので、

「燃えつきるまで消えない」

 というものであった。

「日本家屋を燃え尽くすために開発された」

 というだけのことはある焼夷弾だというわけだ。

 そんな爆弾を積んだオオが阿多爆撃機が、100機以上も飛来し、爆弾を、

「雨あられ」

 と大都市に降り注ぐのだ。

 逃げ道は、地下や山間に彫られた、

「防空壕」

 しかなく、逃げ遅れて焼け死ぬものや、命は助かっても、家を焼かれて、帰るところがなく、焼け出されたということになるのだ。

 親戚を頼って、移り住む人もいるだろうが、それが主要都市であれば、そこも、いずれは、大空襲に見舞われるということだ。

 避難しても、そこでまた大空襲に見舞われるというのが、当時の日本だった。県庁所在地に当たるような大都市は、敗戦までに、ほとんど焦土と化してしまったのだ。

 一つ不思議なのは、日本においては、8月15日を、

「終戦記念日」

 と呼んでいるが、なぜ、

「終戦なのだろうか?」

 ということである。

 あきらかに、

「無条件降伏」

 を受け入れたのだから、

「敗戦」

 なのではないだろうか?

 確かに、

「ただの詭弁」

 と言われればそれまでなのだが、明らかに、

「戦争継続が不可能」

 ということになり、

「白旗を挙げての降伏」

 であり、武装解除なども徹底的に行われた状態なのだから、

「敗戦」

 であることは、暗黙の了解である。

 それを、なぜ、専用軍も、

「終戦」

 という言い方をする日本にたいして、誰も文句を言わないのか?

 ということである。

「大東亜戦争」

 というと、戦争大義が、連合国にとって、都合が悪いので、変えさせたのだから、ここでも、なぜ、終戦という言葉を認めているのか?

 と考えれば、実におかしなことだといえるのではないか?

 それなのに、許しているというのは、何か含みがあるからではないだろうか?

 いろいろ調べてみると、

「軍部が、強硬に反対したからだ」

 ということになっている。

 そもそも、日本の場合は、欺瞞に満ちた表現を行う。

「それに踊らされた、マスゴミ」

 というのも罪は重いが、そもそもが、

「政府の都合」

 という形で、事実を捻じ曲げてきたことが、

「敗戦を終戦という、曖昧な言葉でごまかす」

 ということになったのだ。

「全滅」

 という言葉を、

「玉砕」

 といってごまかし。

「撤退」

 という言葉を、

「転身」

 という言葉でごまかした、マスゴミと政府(いや、軍部)、戦時中であれば、

「戦争継続のために、戦意高揚のためだ」

 ということであれば、まだ仕方がないといえるが、無条件降伏をした状態においての日本では、戦意高揚などありえないので、それこそ、

「欺瞞に満ちた言い方だ」

 ということである。

 これが、

「大東亜戦争」

 をいまだに

「太平洋戦争」

 というのは、東アジア諸国に対しての忖度から出てきたことなのであろう。

「大東亜共栄圏の建設」

 ということで、アジア諸国に進駐し、日本中心の、共栄圏を作るといって、結局植民地にしようと、日本が企んでいたと思っているアジア諸国の反発を和らげるため、

「大東亜」

 という言葉を封印するということからではないだろうか?

 事実は分からないが、少なくとも、封印するのはいかがなものか?

 ということで、それこそ、

「片手落ちの歴史認識」

 といえるのではないかと思うのであった。

 こんな時代が果たして、いつまで続くのか、

「中途半端な民主主義」

 の状態のまま、日本は、某国の属国となり、いずれはどこに向かうのか、今のような歴史認識を続けていれば、亡国は目に見えているということになるだろう。

 この物語は、そんな戦後すぐの、昭和23年くらいからのお話ということで、読者阿諸君は認識していただきたい。

 大都市では、まだまだ建物もなければ、食料も不足していて、たくさんの人が餓死していく中で、経済も、戦後の、

「ハイパーインフレ対策」

 ということで打ち出した、

「新円切り替え」

 ということで、混乱が生じ、街には、闇市などが並ぶという異常な光景を、テレビなどで、今の人間は見ることはできるが、想像を絶するものであった。

 バラックと呼ばれる、住居としては、雨風をしのげるというだけのものと、爆弾で崩れたビルの瓦礫が同居しているような光景が、広がっているのだ。

 どこが道なのか分からないような状態であったり、闇一夜、市場といっても、屋根があるわけでもなく、本当にひどいものである。

 交通機関もまだまだひどい状態であり、都市というのは、あまりにも、機能が低下した状態だったといえるだろう。

「これをカオスと言わず、何というか」

 と言えただろう。

 だから、都会の人は、田舎の農村に家にあるものを持って、

「物々交換」

 によって。食料を分けてもらおうとするのだ。

 そんな人が溢れているので、電車に乗っても、手すりを必死につかんで、振り落とされないようにしているというのが、その時の状況であった。

 何とか田舎まで行っても、農家は、簡単には応じてくれない。

 中には、

「そんな都会からの人が多すぎて、うちの蔵もいっぱいだ」

 といって、ほとんど分けてくれない状態だったのだ。

 日本の歴史上、農家や百姓は、絶えず、虐げられ、搾取されてきた歴史を繰り返した中で、

「唯一の優越を感じられた時代だ」

 といってもいいだろう。

 米軍の爆撃は、都市部に集中し、農地に対しては、そんなに爆撃を加えるようなことはなかった、

 アメリカ軍としても、爆撃によって、戦果を挙げ、そして、早く戦争終結させることを考えていたので、

「まずは、都市部」

 というのは当たり前のことであった。

 そんな大空襲で、焦土となった都市部は、食料がなく、

「闇市を使わないと、生きていけない」

 状態だった。

 もちろん、政府は、

「闇市から買うな」

 ということを推奨するのだろうが、中にはそれを忠実に守って、結果、

「栄養失調で、この世を去る」

 ということが起こったのも事実だった。

 戦争中であれば、

「生きて虜囚の辱めを受けず」

 ということで、

「敵の捕虜になるくらいであれば、自決をする」

 ということで、玉砕した土地などでは、寄ってきた敵兵を引き付けておいて、手榴弾を爆発させ、

「敵兵もろとも、自決をする」

 ということが横行していた。

 これは、

「捕虜になってしまえば、敵兵から、拷問を受けたり、暴行される」

 ということを民衆に思い込ませていたことからきたことであろう。

 実際に、日本兵が捕虜にそんなことをしていたのかどうか分からない。

 それに、戦争状態であれば、必ずといってあちこちで起こる、

「虐殺やあ虐待」

 というものg起こることから、この命令は、無理もないことだったかも知れない。

 それを、

「戦陣訓」

 というのだが、本来は、

「敗戦が近いと、全員で玉砕をしろ」

 ということではなかったはずなのだが、日本人の民族性から、あるいは、マスゴミによって植え付けられた、

「鬼畜米英」

 という言葉からの連想だったのではないだろうか?

 特に日本人は、昔から、

「追い詰められると、自害する」

 という、武士道のようなものがあることと渦びついたのだろう。

 だから、今でも、外人には理解できないことで、日本といえば、

「カミカゼ」

「ハラキリ」

 という言葉が、

「日本人の代名詞」

 ということになっているのだろう。

 そんな日本も敗戦を下に、少しずつ認識も変わっていった。都会の混乱は仕方がないところもあったが、農村では、とりあえず、食料には困らない。

 自給自足というのが、最初からできているからだ。

 逆に、農作物は、高価で売れたりしたのではないだろうか?

 そうなると、余裕が出てきたりするのは、田舎の方ではないだろうか。

 そんな田舎の村に、ちょうど、山に囲まれた。盆地のようなところがあった。

 そこは、人口としても、数百人くらいしかおらず、一軒一軒が、大家族のようになっていることから、

「人口の割には、世帯数は少ない」

 といえるのだ。

 そして、きっと先祖は一つだったのかも知れないが、

「苗字が同じ人が、家族ではないのに多い」

 というのが、まさに、田舎の特徴といってもいいだろう。

 そんな田舎町では、戦争被害はなかったが、人材不足というのが、正直問題だった。

 若い働き盛りの人たちは、皆徴兵を受け、ほとんどの人が、南方や満州で、

「帰らぬ人」

 となってしまっていたのだ。

「学生や、職業軍人は、ある程度の軍の配慮もあっただろう。だから、一番危ない激戦地には、戦時ということで、臨時に徴収された連中が、まるで捨て駒であるかのように、切り捨てられる」

 ということになるのだった。

 そのため、死亡率は高かっただろう。

 ただ、それも、次第に、関係が亡くなってくる。

 どんどん追い詰められ、結局、軍人も民間人も関係なく。最後は一人として生き残らないと言われる、

「恒例の玉砕」

 が行われるのだ。

 ただ、農村からの出身者は、さすがにすぐに戦死というのが多かったのは否めなく。農村では、残ったのは、

「女子供と、老人ばかり」

 ということになってしまった。

 このような状態であったが、

「復員してみれば、家族は全員死んでいた」

 という人、

 さらには、必死になって復員してみれば。故郷は、焼け野原になり、

「生きる希望を失った」

 という人もいるだろう。

 それでも生きるために、かっぱらいなどをやって何とか生き残った人もいる。彼らは家族もおらず、頼るところもなく、食料を求めて、田舎にいく。

 その時、農村の方では、

「この男は、農作業を行う担い手として、使えるのではないか?」

 と考え、

「至れり尽くせり」

 のもてなしで、相手も、その親切心から、生きる望みを復活させていれば、

「ここで利害が一致する」

 ということもあるだろう。

 つまりは、

「農村とすれば、若い労働力を得ることができる」

 ということであり。

「若い連中からすれば、生きる望みを復活させられ、食料にも困らない」

 ということであった。

 それよりも、お互いに、

「亡くなった家族を彷彿させる」

 ということで、

「まるで、死んだ家族が帰ってきてくれた」

 というような気持ちにさせてくれるのが、実にありがたいということであろう。

 そんな新しい家族の誕生は、荒廃した日本においての、

「明るい未来を予見させる」

 という、最初は、かすかな光だったのかも知れない。

 それでも、日本は、その後復活することになるのだが、もちろん、そこには、朝鮮戦争における。

「戦争特需」

 というのもあったのかも知れないが、そもそもの日本人が、個々に頑張って生きてきたことが一番であろう。

 そんな日本の片田舎にある村で起こったことは、

「果たして、どのようなものであったのか?」

 というのが、一種の伝説として残ることになるのだが、

「正直、どこまでが本当なのか?」

 ということになるのだが、それも、当然のことであったと言ってもいいだろう。

「何が起こっても不思議のない」

 というカオスな時代ということと、

「昔から、田舎の村などでは、いろいろな言い伝えが残っている」

 ということを考えると、

「都市伝説と、昔の伝説の融合から、あることないこと、言われるのも、一つの現象であることに変わりない」

 と言われるようになったのだった。

 だが、当時の日本としては、さすがに、

「田舎の村が一番被害もなく、生き生きしているかの知れない」

 と言われていた。

 都会の方でも、何とか生き残ろうと健気に生きている人がたくさんいるが、どうしても、物資に限りがあり、人口を賄えないということもあり、毎日のように、

「栄養失調で、バタバタと死んでいく」

 ということが横行しているのだから、まだまだ都心部の復興は難しいといってもいいのであった。

 田舎の中で、しかも、大都会からは、完全に離れた地方都市傘下といってもいい村が、存在していた。

 そこは、自給自足を行うには、十分なところであったが、ここでもいかんせん、

「若い労働力」

 が絶対的に不足しているのであった。

 その若い労働力の中で、二人の男が、復員してきて、家族もなく、住む家もないということで、最初は自害しようと考えたが、何とかこの村に辿り着き、施しを受けていた。

 二人が偶然に村をほぼ同じ時期に訪れていたということもあり、それぞれの家では、その男のことを、最初のうちは、隠していた。

 かたや、

「息子が帰ってきてくれた」

 という意識から、自分たちだけの息子として迎えようと思ったのと、かたや、

「労働力を他に取られたくない」

 という、少しまわりを軽々しいぇいるという、それぞれ別の理由で、その若者を抱え込むことになった、それおれ二つの民家だったのだ。

 二人というのは、

「一人は、南方戦線からの復員。一人は、満州から、中国戦線を渡って復員」

 という、それぞれ違った復員兵だったのだ。

 この村には、以前から、伝説めいたことがいわれるようになっていた。

 というのも、

「満月の夜には、何かが起こる」

 という伝説であった。

「満月の夜」

 というのは、不吉でもあり、実際には、

「子供がたくさん生まれる」

 というような都市伝説もあり、

「悪いことばかりではない」

 とされていた。

 だから、満月に対しての謂れは、何もこの村に対してだけというわけではないのだが、他では、なぜか、

「満月おことに対してはタブー」

 という風潮があったようだ。

 例えば、

「満月に生まれた子供は、病気を持っていた李、将来、危険人物になる」

 などということを、平気でいい、実際に、偶然か必然なのか分からないまでも、実際に、そんな状況になった人を探してきては、

「やはり、満月の夜は恐ろしい」

 という風潮を流していた。

 ただ、これは、よく分からない不吉な異名を持つと言われる、

「反政府組織」

 が暗躍している。

 と言われていた。

 その組織には、何か大きな組織がバックにいるということであるが、それが、どれほどの規模なのか分からない。

「世界的に有名な宗教団体だ」

 という話もあるし、

「日本政府ではないか?」

 という話もあった。

 さらには、

「皇室」

 のその側近ではないか?

 と言われることもあったようだ。

 だが、実際には、そんなウワサを耳にしたことも、暗躍が確認されたこともなかった。

 戦時中などの、政府に逆らう、あるいは、危険分子とみなす連中を、ことごとく取り締まってきた、

「特高警察」

 は、当時の法律としてあった、

「治安維持法」

 に基づいて、密かに、このウワサの真意を調査していたという話は、ウワサのような形であったという。

 いわれのないただのウワサではないかということも言われたが、当時の日本のように、反乱分子であったり、政府に逆らうものは、取り締まるという、

「有事においては、大切なこと」

 とされてきたことであるから、ちょっとしたウワサでも、無視することができないのが、

「特高警察」

 というものであり、政府首脳だったのだ。

 ただ、あまりにもウワサが漠然としていて、その根拠どころか、出どころもなかなかつかめない状態だったことから、どのように捜査をしていいのかということが、大きな問題となっているのであった。

 そのうちに、戦争が終わり、

「武装解除」

 であったり、

「財閥の解体」

 などが進む中、登園のごとく、

「特高警察」

 というのも姿を消してきたので、この時の、

「満月のウワサとなったであろう、秘密結社の捜査」

 というものが、曖昧となり、どこまで捜査が進んでいたのかということも、分からなくなっていたのだ。


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