満月と血液のパラレルワールド
森本 晃次
第1話 大日本帝国の憂鬱
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年8月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。疑わしいことも含んでいますが、それをウソか本当かというのを考えるのは、読者の自由となります。この世界は、パラレルワールドであり、実在の国は、あくまでも、分かりやすくするために、実在する、あるいは実在した国名を使っています。
時は、昭和の20年代だっただろうか? 世の中は、特に都心部などは、カオスであり、「究極の悪夢」
といってもいい時代であった。
何しろ、この時代は、
「戦後」
という言葉がキーワードであり、日本は、
「終戦という名の敗戦」
というのを初めて味わっていた。
日本という国は、江戸時代後期、まわりの国が、次々に、欧米の国から、植民地にされていく中で、最初はことごとく、
「我が国は、鎖国体制を取っている」
ということで、外億勢力を退けてきた。
「我が国の外交交渉は、長崎で行っているので、長崎に行ってくれ」
と、幕府は申し立てることで、何とか、海外からの圧力をごまかしてきたのであった。
しかし、そんな中、アメリカによる、強硬姿勢ともいえる、
「砲艦外交」
というものによって、
「二度に渡る、マシュー・ペリー提督による来航」
にて、
「日米和親条約締結」
により、港の一部開港と、必要物資の提供がも遭えるようになり、さらに、
「日米修好通商条約」
によって、貿易をできるようになったのだ。
しかも、その通商条約の内容は、
「いわゆる、
「不平等条約」
ということになっている。
その内容としては、
「貿易を行う時、日本からは、自由に関税を掛けることができない」
という、
「自主関税の決定」
を許されていない。
さらには、
「相手国の居留民が、日本で犯罪を犯した場合。日本の法律で裁くことのできない」
といういわゆる、
「領事裁判権がない状態」
ということで、
「治外法権」
ということになったり、
「最恵国待遇」
を相手に与えることで、日本の条約相手国としての立場を著しく損なわれるという、完全な不平等条約というものが結ばれたのであった。
その条約改正と、植民地にならないための対策として取られたのが、
「殖産興業」
という、
「産業を奨励し、工業を興していく」
という考え、さらには、
「富国強兵」
ということで、国を富ませて、兵を強化することで、
「国防というものを、強める」
ということを目指し。
「来たるべき、不平等条約撤廃」
に向けての日本としての、方向性が見えてきたのだった。
そんな時代、明治時代には、いろいろとあった。
明治維新における。
「急速な変化によって、それまでの包茎制度では、特権階級ともいわれた武士が、一切の力を失くしてしまったことで、その不満は、反乱へと結びついてくる」
ということであった。
しかも、その反乱として、
「維新志士」
と呼ばれる、元勲を多く輩出しているところに多いというのは、皮肉なものだ。
特に、
「長州藩」
「薩摩藩」
「佐賀藩」
などに多く、
「自分たちの活躍が維新を成し遂げたのに、対偶がよくなるところか、他の武士と同じで、明治政府から迫害されている」
ということで、反乱が起こったのだった。
そんな国内の不満分子を外にそらそうとして考えられたのが、
「西郷隆盛を中心とした、征韓論」
というものである。
朝鮮征伐で、武士に戦をさせることで、その不満を解消しようと考えたのだが、大久保利通たちの考えで、その策は実らず、西郷隆盛は、故郷の薩摩に、
「下野」
していったのだ。
大久保利通からすれば、
「今は、対外戦争をしている場合ではなく、国の体制を整えること」
ということを目指したのだが、結果、暗殺されることになりい、西南戦争を引き起こし、最後には自害した、西郷隆盛を、追いかけることになったのだった。
そんな日本という国は、まだまだ、
「アジア」
という、世界的に、
「遅れた地域の中にある、新興国」
ということになるのだろう。
ちょっと前でいえば、
「発展途上国」
というイメージだったのかも知れない。
日本は、必死で欧米のいいところを吸収し、
「いかにすれば、最終的には不平等条約を改正できるか?」
ということが目的だった。
そのためには、欧米に習い、格好からすべてをマネするという意識も芽生えていたに違いない。
それが、鹿鳴館であったり、牛鍋のような文化、さらには、
「国防」
ということから、朝鮮半島を、
「日本の生命線」
として、遅ればせながら、当時、鎖国制度をとっていた、
「李氏朝鮮」
に、自分たちがされたような、砲艦外交によって、開国をせまり、見事に開国させたのである。
清国にとっては、宗主国という立場から、険悪なムードとなり、起こった日本にとっての、最初の対外戦争である、
「日清戦争」
が勃発し、日本がそれに勝利し、さらには、
「いずれ戦わなければいけない運命の世界の大国」
というロシアを相手に起こした、
「日露戦争」
こちらも、何とか日本は、外交面における、
「日英同盟締結」
という、ウルトラCと、さらには、旅順艦隊撃滅を、バルチック艦隊がやってくる前に成し遂げられたことで、辛くも戦勝国となれたことで、
「世界の大国」
としての仲間入りができるようになった。
ただ、それが、中国大陸進出によって。中国国民の反日感情を湧き起こさせたり、
「日本国内の人口問題」
などを含めた、仕方がないということとはいえ、満蒙問題を解決するためということで画策した、
「満州事変勃発から、満州国建国」
という電光石火作戦によって、結果、世界から孤立したことで、突入してしまった、かつての、
「大東亜戦争」
というものは、
「戦争というものを甘く見ていた」
ということなのか、辞め時を見失ってしまったことで、泥沼に入り込み、すべての植民地を失った後、カーチス・ルメイという軍人のせいで、日本本土が焦土と化してしまうという最悪の結果を招き、最後は、
「和平交渉をお願いしていたはずのソ連」
が裏切って、本来であれば、締結していたはずの、
「日ソ不可侵条約」
というものを一方的に廃棄して、結局、満州に攻めこんできたせいで、戦争継続も、和平交渉も、どちらも不可能ということになり、結果、連合国が示した、
「無条件降伏」
を呑むしかなく、アメリカを中心とした連合国側による、
「占領軍による統治」
が行われることになったのだ。
この時代は、天皇が、国家元首として君臨していた、いわゆる、
「立憲君主」
といわれた、
「大日本帝国」
という時代だったのだ。
この時代においては、日本が当時の植民地世界に挑戦し、欧米列強に対して、東アジアを開放し、さらに、東アジアに共栄圏を作ろうということで、その時の戦争を、閣議にて、
「大東亜戦争」
としたのだった。
しかし、これは、戦勝国としては、ありがたくない命名ということで、日本が、占領下にある間は、この名前を使わないようにしていた。
だから、
「太平洋戦争」
などという名前でごまかしていたわけだが、日本が講和条約を結んだ時点で、独立国として、統治されなくなったわけなので、
「大東亜戦争」
という言葉を使ってもいいはずなのに、敢えて、
「太平洋戦争」
のままでいいということになった。
これは、日本が、かつての、
「軍事国家」
から、民主主義の、日本国というものができたということを、
「外国に占めそう」
というものなのか、それとも、
「平和国家」
を教え込むことで、日本という国が戦争に走らないようにしようということなのかということであるが、
だとすれば、
「日本という国がかつて、どのような国だったのか?」
ということを、キチンと子供にも教育し、語り継いでいくのが本当なのではないだろうか>
このままでは、
「日本国のために、やむなく戦争に突入し、その責任を押し付けられて、処刑という犠牲を甘んじて受けた人たちが、気の毒ではないだろうか?」
結果的には、日本を敗戦国に導き、国土を焦土と化してしまったのだから、その責任はないとはいえない。
しかし、彼らが処刑されるのであれば、なぜ、直接日本を攻撃した人たちは裁かれないのか?
それこそ、
「勝てば官軍」
という、あくまでも、
「勝者の理論」
ということになってしまうのではないだろうか?
日本に責任がないとは言わないが、戦争というのは、相手があるというもの。そうであれば、すべてを敗者の責任に押し付けてしまうというのは、いかがなものか?
しかし、この考えは昔からある。
戦国試合など、戦が行われて、敗れた主君は、自らで、城に火を放ったりして、そこで自害をしたものだった。
ただ、この場合は、
「相手に、首級を取られないようにする」
という理由があったからだ、
戦勝国においての論功行賞というものに、相手部署の、首級による、首実検が行われたというのは、当たり前の話ではないだろうか?」
そういう意味で、処刑は致し方のないことだったのかも知れないが、そろそろ、彼らの、
「汚名挽回」
というのがあってもいいのではないだろうか?
今の時代では、彼らを戦犯のままにして、靖国神社参拝を、アジア諸国に配慮してか、タブーのように取り扱っている。今の日本は、昔の気概はなく、まったくの
「腑抜け刻」
になってしまった。
今の政府と、かつての政府に、その責任がないわけはないだろう。
どちらにしても、日本は、自給自足を求めて踏み切った戦争であるが、結果としては敗北した。
そもそも、この戦争は、勝ち目のないものだということは、最初から分かっていたのだ。
世間では、
「最初から勝てるわけなどない戦争に、なぜ踏み切ったのか?」
と言って。当塩政府を非難する人もいるだろうが、それは、
「歴史を知らない」
ということからの、認識不足以外の何者でもない。
それを民主主義だというのであれば、この民主主義は、
「日本国民を盲目にする」
というだけのものでしかないということだ。
本当に戦争のない社会を作ろうというのであれば、
「過去に起こったことを、甘んじて受け入れる」
という教育を施さなければいけないのではないだろうか?
それが、本当の民主主義であり、
「自由。平等」
の観点からの教育といえるのではないだろうか?
大東亜戦争においては、そもそもの始まりとして、
「巻き込まれた」
という説があり、それが近年、有力な史実ということになってきているのだった。
引き釣り混まれる形になった戦争において、日本は、いろいろなシミュレーションを組みたてて、
「戦争をいかに進めていくか?」
ということを、天皇を中心とした、軍部によって計画が進んでいた。
すると、結果として、
「最初の半年や一年の間に、作戦をことごとく成功させ、ある程度まで有利に進められた時点で、講和に持ち込み、日本にとって、一番有利な条件で、若いする」
ということであった。
相手国の首都、つまりは、ワシントンやロンドン、アムステルダムに攻めこんで、そこを占領するなどということができるわけはなかった。
だから、日本としては、
「いかに、勝つか?」
ということでなく、
「いかに負けない戦争をするか?」
ということが、問題だったのだ。
それが、日露戦争ではうまく行った。
当時の日本には、あれ以上の戦線拡大は無理だったのだ。
ロシア革命が起こってくれたおかげで、戦勝国としての、講和条約が結ばれたのは、ありがたいことだったのだ。
しかし、実際に、日本がその後、満州事変の後、中国に進出し、不幸にも、
「盧溝橋事件」
において、軍事衝突が起こったことから、中国側を刺激し、中国側の挑発に乗ってしまったことで、日本は、中国との、
「全面戦争」
の様相を呈してきた。いわゆる、
「シナ事変」
であった。
シナ事変において、日本は、中国に対して、優位に戦闘を進めてきたが、その途中で、ドイツのトラウトマンによっての、和平工作が進行していて、
「和平交渉」
という場面もあったのだ。
実際には、相手国の蒋介石も、
「この条件なら、飲むことができる」
ということで、一度は和平が成立するかと思われたところへ、日本がさらに、戦闘上、有利になったことで、条件をさらに突き付けてきたということで、蒋介石も一度は和平に傾いた心が、徹底抗戦へと、180度転換してしまい、せっかくの和平のチャンスが失われたのだった。
だから、日本は、あくまでも、戦争を継続するしかなく、泥沼の戦争へと突き進んだのだ。
そんな状態で、今度は、英米蘭との、
「大東亜戦争」
に突入してからの計画は、おそろしいほどうまく行っていたのだ。
しかし、逆に、日本は勝ちすぎた。
もしあのまま、講和条約を申し入れて、戦争を終わらせていればどうなっただろう?
いくら、日本国としては、最高の状態で終わらせることができたとしても、それを果たして、世間が許すだろうか?
少なくとも、戦争目的というのは、
「東アジアを、植民地としている、欧米列強からの開放」
というのが、その目的だったはずだ。
それなのに、
「勝っている段階で、なぜ、当初の目的を果たしてもいないのに、和平交渉をしなければならないのか?」
ということになってしまうだろう。
そもそも、情報操作などを行って、突き進んだ戦争だったのだ。それが、今度は、災いし、
「戦争を辞めることができない」
ということになってしまったのだ。
「戦争というのは、始めるよりも、辞めることの方が相当に難しい」
と言われている。
これは、たとえが極端に違うが、
「離婚は結婚の数倍のエネルギーを使う」
と言われているのと、理屈的には同じではないか?
そんなことを考えていると、戦争を始める時に、あまりにも明確なスローガンを打ち上げて、しかも、計画通りの連戦連勝となったことで、
「引くに引けない」
ということになり、政府とすれば、突き進むしかなかったのだろう。
確かに、国民は、戦争に沸いていた。
しかも、政府のいう、
「アジアの開放」
というスローガンを元に、若者は、軍に志願し、兵隊となっていく。
もちろん、シナ事変の時から、日本は、
「赤紙」
というものを発行し、軍に志願する意思のない人まで、戦争に巻き込むということがあったのも事実だった。
兵隊に取られて、中国戦線や、満州の関東軍などに、続々と送り込まれる。当時はそんな時代だったのだ。
しかも、すでに民衆は、軍による指導に基づいて、来たるべき、
「空襲」
というものに備えて、建物疎開を計画していたりもしたとうではないか。
建物疎開というのは、
「空襲において、爆弾が落ちた時、そこから、誘爆が起こり、一発の爆弾で、付近一帯が火の海になりかねない」
という、木造の日本家屋の弱点を補うものとして、
「最初から、歯抜け状態にしておけば、一か所に爆弾が落ちても、誘爆を興すことはない」
ということだったのだ。
さらに、防空壕の建設なども、隣組で行われていて、国民とすれば、銃後の備えも最初から考えていたといっても過言ではないだろう。
そんな日本という国において、シナ事変の前哨戦ともいえる、
「盧溝橋事件」
が起こった時は、本当は和平条約は締結されていたはずなのに、
「廊坊事件」
「公安門事件」
などという、日本軍に対しての挑発から、さらに決定的な、日本人の居留民に対しての、中国側が行った。
「大虐殺事件」
というものが、日本人の心に火をつけて、
「中国許すまじ」
という思想が、世論で噴出してしまったことも、シナ事変を辞められなくなった原因でもあった。
要するに、
「先に死あけたのは、どっちなのか」
ということであった。
日本において、このあたりから、戦争に対しての意識は強くなり、大東亜戦争に突入してからというもの、
「日本は完全に、世界を敵に回した」
といってもいいだろう。
特に、ヨーロッパを席巻し、侵略戦争を重ねてきた、
「ドイツやイタリア」
と同盟。
さらには、
「満州国の承認問題」
において、日本が
「国際連盟からの脱退」
ということになった時点で、日本が孤立した時、このシナリオは完成していたといってもいいかも知れない。
ただ、日本は、
「国際連盟脱退」
というのは、満州国承認問題以前から考えられていたことだという話もあるが、そのあたりは、難しい解釈であったのだ。
日本が、戦争において、辞めるにやめられない状態になったのは、
「世論の声」
ということで、国民を煽ったという意味で、
「マスゴミの責任」
というのは大きいのではないだろうか?
いつの世でも、国家の行く末を決めたりする時は、マスゴミの影響は少なくはない。
今の時代に巻き起こった。
「世界的なパンデミック」
においてもそうではないか。
世界的に、その正体がわかっていないことから、日本政府もどうすることもできないまま、それでもいろいろな手を取ってみたりするのだが、あまりにもお粗末すぎて、
「国民も、それに踊らされる形になっていた」
ということであるが、
「日本という国に限らず、マスゴミに操られることが多く、パニックになった国も少なくはなかった」
ということである。
だが、問題は、っマスゴミに踊らされる国民感情にもある。パンデミックにおいては、国家を混乱させた責任として、ランキングを取れば、
「マスゴミ」
「それに踊らされる一部の国民」
そして、
「何ら対策もないくせに、自分たちの都合中心でしか対策できない。無能な日本政府」
という順番だと言われていた。
これは、大東亜戦争を辞めることができたかも知れない、
「唯一のタイミングを逃してしまった」
という、本来の計画に入った時の、日本と同じではないだろうか?
まさか、守るべき国民から、煽られることになるなど、政府も思ってもみなかったかも知れない。
いくら、最初に戦争を行う大義名分を正当化するためとはいえ、最初に、煽りすぎたのは、政府や、マスゴミのせいだったのだろう。
もちろん、今の政府と昔の政府とは、天と地ほどの差があるのだが、今のような、
「自分のことしか考えない政府や政治家しかいない、今の時代よりも、昔の政府や軍部が、どれほど国を愁いていたか?」
ということを考えれば、
「靖国問題」
戦後70年以上も経っているのだから、そろそろ、汚名挽回があってもいいのはないだろうか?
ただ、結果としては、日本は、戦争を邁進するしかなくなっていた。
ただ、いくら、自給自足においての占領とはいえ、占領しても、何ら価値のないところまで占領することで、
「戦線が伸び切ってしまった」
ということが敗因の一つであった。
というのも、
「戦争において、占領地が増えるということは、占領地を守るための兵員と、食料、武器弾薬が必要である」
といえる。
となると、物資の輸送は不可欠であり、日本からお物資の輸送もままならない。
何といっても、日本国内でも、なかなか生活が豊かにならず、特に生活必需品は、大東亜戦争突入前から、
「配給制」
だったということもあり、海外の占領地に、物資を輸送するなど、土台無理だったわけである。
しかし、それがある程度日本の命取りになった。
アメリカは、日本の輸送船団を襲い、ことごとく、物資が届かないことから、占領地が陥落していく。
そのために、次第に追い詰められていくわけだが、日本国内では、情報統制が行われ、
「日本は、勝ち続けている」
と言って、国民を騙しているというやり方をとっていた。
全体の士気を高めるためであり、戦争に異議を唱えるものは、
「非国民」
ということで、特高警察によって、拷問に掛けられるという、悪夢のような時代だったのだ。
それを考えると、
「そもそも、日本が戦争をやめることができなかったのは、世論の煽りのせいだ」
ということで、その責任はマスゴミにあったのだが、今度は、そのマスゴミが政府に操られることになり、
「マスゴミもハッキリと状況が分からないまま、政府の言う通りに、情報操作させられていた」
ということになる。
誤解のないように言っておくが、ここまで、書いてきた中に、実は間違いがあるのだ。
それをどれだけの人が指摘できるかということなのだが、
「それが台五本帝国の体制というものの弱点」
だったのかも知れない。
というのも、
「元々大日本帝国憲法において、軍というのは、天皇大権の中の一つであり、軍という期間は、天皇が統帥する、天皇直轄の機関だったのだ」
ということである。
つまり、日本という国は、政府といえども、軍部に対して、口を出すことはできないということなのだ。
だから、
「日本が負けている」
ということを政府ですら、ほとんど知らなかった。
当時の戦争を始めたとされる、首相であった東条英機も、
「ミッドウェイ海鮮の決定的な敗北を、半年間知らなかった」
というくらいである。
途中から軍部である、
「参謀総長」
を兼ねるということになったので、戦争指導ができるようになったが、それまでは、作戦すら、何もわかっていなかったのだ。
ここが、大日本帝国の、
「アキレス腱」
であり、大きな弱点であることから、この戦争を辞められなかった理由の一つに、そのあたりが、潜んでいるということではないだろうか?
そんな時代が、大日本帝国の最後にあったことで、最終的には、
「国土が焦土となり、和平交渉をお願いしていたはずのソ連が、日ソ不可侵条約を一方的に破棄し、満州に攻めこんできた」
ということで、結果、
「無条件降伏を受け入れる」
ということでの、
「徹底的な敗戦」
となったのが、大日本帝国の末路だったのだ。
大日本帝国が消滅し、その後で、連合国によってできた、
「民主主義国家である日本国」
これは、平和憲法として、70年以上にわたり、戦争放棄を守り続け、人権や、平等を大切にするという憲法の下、建前上は平和国家としてやっては来ているが、
「実際に裏がどうなのか?」
あるいは、
「政府が、実際にはどうなのか?」
ということは、マスゴミの情報統制や、政府によっての握り潰しが行われ、どこまでが表に出ているのか分からない。
今はそんな時代となっているのだった。
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