8.襲来

 高橋は明かりのついていない薄暗い自室で毛布に包まっていた。

 田崎が死んだ。その事実が彼女に大きくのしかかっていた。田崎は死ぬ前、気味の悪い電話がかかってくると疲弊していた。聞かせてもらったのは、何かを引き摺りながら誰かが近づいてくる音。田崎は三嶋が自分の元へ復讐に来るのでは、と怯えていた。そして彼の死後、同じ電話が高橋の元にも届くようになった。

 三嶋篤子は田崎だけでは飽き足らず、彼の愛を奪った高橋へも怨みを向けている?

「私は悪くない……私は悪くない……」

 高橋は膝を抱えて蹲る。三嶋先輩を殺したのは遼吾先輩なんだから。私には関係ない。私の方がいい女だったのだし、遼吾先輩の愛を繋ぎ止めておかなかったあの人が悪いんだから。

『ホントあの人邪魔ー。おかげで先輩と堂々と付き合えないしー。事故に見せかけて殺しちゃおっかな?』

 確かに、田崎に向けて冗談混じりに言ったことはあるが、まさか彼が本当に実行するなんて思わなかったのだ。事件の後、殺してしまったと泣きついてきた田崎に愕然とすると同時に、しめたと仄暗い喜びを感じている自分がいた。これで邪魔者は消えた。せいせいした気分だった。それなのに。田崎は三嶋の亡霊に怯えて高橋には見向きもしなくなり、ついには死んだ。

 田崎を殺したのは三嶋だと、高橋の直感は告げていた。三嶋の亡霊が事件現場から田崎の元へと這って向かったのだと。そして、恐怖に慄く彼をベランダから突き落とした――

 遠くないうちに、私も同じ目に遭わされる。そこで聡い高橋は閃いた。田崎という前例があるのだから、対策すればいい。スマートフォンの電源は切ってある。これで三嶋は電話をかけられないはずだ。つまり、これ以上近づいて襲って来ない。そう、高を括っていたのだが。

 べちゃ……

 幾度となく聞いてきた、彼女を震え上がらせる音が、機械越しではなく、直接耳朶に届いてきた。いる。玄関も窓も開けていないはずなのに、部屋に入り込んでいる。どうして。電話は来ていないのに!

 パニックになりながら毛布の隙間から恐る恐る様子を窺い、高橋は息を呑んだ。

「ひっ……」

 上半身しかない女が、千切れた臓物を引き摺りながら、室内をべたべたと這いずってこちらに向かってきていた。振り乱した髪の隙間から覗く女の顔は、三嶋篤子に似ている。死んでせいせいしたのに。どうしてまだ私達の前に現れるの。煩わせるの。

 べちゃり。高橋を視界に捉えた三嶋は、這い蹲りながら一歩を踏み出してくる。

「来ないでっ、来ないでよぉ!」

 手当たり次第に物を投げつけるも、三嶋が怯む様子はなく。高橋を害するべく、三嶋が迫る――

「吼えるを好む――蒲牢ホロウ

 突如、脳を揺らすほどの大きな音が響いた。高橋は咄嗟に耳を塞ぐ。上半身だけの三嶋も強烈な音波に怯んで動きを止めた。

「そこまでだ、テケテケ――いや、三嶋篤子」

 冷徹な低い声が響き渡る。三嶋の背後にはいつの間に家に上がり込んだのか、スーツを纏ったボサボサの黒髪の男と、パーカーのフードを被った青年が立っていた。

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