孤独

 講義を終え、キャンパスを後にする。

 コミュニティが出来上がっている奴らにとってはスルーして遊べる楽な講義だそうだが、僕にとっては退屈な時間の無駄にすぎない。

 全く、羨ましい限りだ。


 といっても僕はコミュニティを構築するつもりも、既存のコミュニティに入るつもりもない。

 孤独を楽しむ、というやつである。

 というのは言い訳で、僕は人と関わるのに慣れていないのだ。

 天涯孤独の身に生まれて友も作らずに育った僕にコミュニケーション能力など備わっているはずもなく、哀れなことにずっと独りを貫いてきたのである。


 独りというのも悪いものではない。

 誰にも邪魔されずに好きなことを好きなだけ楽しめるのだ。

 もっとも私には趣味などないし、邪魔してくる相手などいやしないのだが。


 さて……僕は、このキャンパスの近くにあったある場所について思い出す。

 そう、『幸福屋』である。


 入り組んだ路地の中の1つ。

 その突き当りに位置する小さな店。

 ピンクのネオンサインが相変わらず中途半端に暗い路地を微妙に照らしているその光景に、僕は安堵を覚える。


 錠剤は跡すら残さずに消え去って、『幸福屋』の存在を示していたのは包装シートのみ。

 次行ったらなくなっていもおかしくない、そんな漠然とした不安を毒々しいネオンが照らしたのである。


 さて、この珍妙な店舗に辿り着いた僕は以前のように声をかけられる。


「いらっしゃいませ、お客様」


 昨日と同じ、胡散臭い声。

 そういえば、店の奥の方にいるようだがどうやってこちらを認識しているのだろうか……?


「あー、先日はどうも」


「幸福をお買い求めでしょうか?」


 お買い求め?

 冗談じゃない。

 ……あんなもの要らない。

 要らない、要らないんだ。


「いや……なんとなく来たというか。近くを通ったからてきとうに来てみた……っていう感じです」


「では来てみたついでに、試供品の使用感をお聞きしたいのですが……」


 使用感、か。

 味わったことのない感覚に戸惑いを感じた、などの感想はあるが……こっちには言うことがある。


「あれって本当に危ない薬とかじゃないんですよね?」


「麻薬の類との関わりは一切ございません。『幸福屋』は安心安全、危ないことなどございませんから」


 店員は創作物に出てくる大げさな悪役みたいな、ムカつく声でそう返す。

 僕は麻薬だなんて一言も言っていないのに。

 いや、思ってはいたけれども……


「でも、幻覚が見えたり……」


 僕の言葉を店員が遮る。


「少なくとも、中毒性は一般的に流通している幸福と同程度でございますゆえ、安心して服用いただけます」


「一般的に流通している幸福……? どういうことですか? このような店が他にも?」


「いえ、人間の皆様が普段感じている幸福のことでございます。お客様にはあまり馴染みがないかもしれませんが……」


 人間の皆様……?

 いや、こんな不思議な錠剤があるのだから、それに関わっているこの人がどんな化け物でもおかしくはないな。

 昨日で散々怪しさを感じただろうに、なんで今日もこんなところに来てしまったのだろうか?


「馴染みがないって……まるで僕が不幸みたいじゃないですか」


「いえ、お客様は安定的な幸福を手にしていらっしゃいますよ。同じく、それを手放す手段も」


「謎かけか何かですか……?」


「謎かけのような会話になってしまうのは不可抗力でございます。なにせ、直接的に表現することができない事柄も沢山ございますので……」


 なるほど、守秘義務のようなものか。

 こんな錠剤、作り方がバレてしまったりしたら大変だろうからしょうがない。

 それはそれとしてコミュニケーションに支障が出るのはやめてほし……あれ?

 なんで、僕はこの店員と普通に喋れているんだ?

 ……考えても無駄だろう、不思議な場所、不思議な人、不思議な物で済ませるしかない。


「直接は言わないが、ヒントはくれる……と」


「お客様がそう解釈したのなら、私はその考えを尊重いたします」


 やはりびっくりするほどに胡散臭い。

 どうにかしてその怪しさを隠したらどうなんだ、と言いたくなってしまう。


「……そういえば、1錠あたりの値段……あと、効果に関するしっかりした説明を聞きたいのですが」


「そうですね……ではまず前提から。同じ感覚を味わえる錠剤は2つと存在しません。幸福も一期一会、会者定離なのでございます。それを踏まえた上で、私は錠剤……それに含まれる幸福をとある基準に基づきランク付けしております」


 ……え?

 あの家族とは、もう二度と会えない?

 孤独を抱えて生きていくしかないのか?

 いや、違う。

 僕は独りだけど、孤独なんかじゃない。

 孤独なんかじゃないんだ。


「どう比較しているんですか……?」


「そう、比較なのです。幸福を味わう感覚……幸福感は、種類こそあれど量という単位で比較することができるのでございます。そして、当店では幸福の量が少ない順で、Ⅰ、Ⅱ、Ⅲの錠剤を取り扱っております。値段は1錠につき一律500円、ぜひお買い求めください」


 バリエーションがあるのか。

 別のものも服用してみようかな、なんて考えが頭をよぎる。


「幸福の量に関わらず値段は一緒なんですね」


「はい。幸福の量が多くなるにつれ……いえ、この話はやめておきましょう。ただお客様に覚えておいて欲しいのは、大いなる力には大いなる責任が伴う、と言うようにメリットとデメリットは比例の関係にあるということです」


 うるさい、お前の言うことなんか覚えてやるものか。


「また謎かけですか。覚えておきます」


「ああ、長話をしていて忘れかけておりました。試供品の使用感をぜひ教えていただきたいのですが……」


 もう会えない家族との話なんてしたくない。

 しかし、試供品を貰ったのだから、答えるのが義理というものだろう。


「……いないはずの、全く知らない家族が見えました。なんだか暖かくて……でも僕には家族なんていなくて……」


「ふむ、感情を整理できていないようですね。その感覚が良かったか悪かったか、で言えばどちらでしょうか?」


 これだけでよかったなら、最初から簡単に答えていたのに。 


「良かったです」


「なるほど、今後の購入予定などはございますか?」


 別のものなら、一度試すくらいなら……


「……Ⅱを、1錠」


「Ⅱ、ですか。警告はしておきましょう、現状に満足しているならばⅠのままをおすすめします」


 いや、大丈夫だ。

 一度だけだから、大丈夫のはずだ。


「Ⅱでいいです」


「500円となります」


 決して幸福を求めて買ったわけではない。

 ただの知的好奇心。

 幸福の量による違いを、知りたくて。

 それだけなんだ、そう自分に言い聞かせる。


 馬鹿みたいだ、そんな言い訳、自分ですら信じるわけないだろうに。

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