第32話 嫌だから引き延ばして余計戻れないやつ


「さっきのどうでした?」

 外に出た瞬間みきはドアから離れ、中の様子を確認しながら吉井に言った。


「どうって言われたら。うーん、どうなんだろうなあ」

「うまくごまかせませたかね?」

「ああ、ごまかせたかね。それなら答えられるよ」

 そう言った吉井は先程のやり取りを思い出しながら、手でみきにもう少し家から離れるよう促した。


「確実にごまかせてはいないな、さっきのじゃ」

「ああ、やっぱり無理でしたか。退場も強引だったような気もしますしね」

「で、どうする? 正直家に戻る勇気ないんだけど」

「そうですね、それには同意しますよ。とりあえず家から遠ざかりましょう。そして今後のことは、トイレに行ってから考えましょう」

 みきはトイレに向かって路地を歩き出した。


 使い放題だからって無駄にトイレに。こいつ絶対ドリンクバー頼んだらぎりぎりまでコップに入れるタイプだな。吉井はみきの背中を見ながら思った。



 なんだったんだあいつら、特に女の方。ススリゴはテーブルに置いた2枚の貨幣を手に取った。

 実際のところわからないが、多分回収はしてきてないだろう。ではなぜ2万トロンも無駄に出す? 債権者が知り合いっていうのはないな。あいつらの様子からラカラリムドルに来るのは初めてだ。

 

 それにあいつらに共通しているのは。ふと思い立ったススリゴがドアを開けると2人の姿は無く、目の前にいたススリゴの妻が驚いて持っていた紙袋を落とした。


「ちょ、ちょっと! な、なんで急に」

 ススリゴの妻は落ちていた野菜を拾いながら言った。


「すまん、たまたまだ」

「え? ああ。まあいいんだけど」

 ススリゴの妻は紙袋を手で押さえながらドアを閉める。


「あの2人は?」

 テーブルに荷物を置きながらススリゴの妻は部屋を見渡した。


「ちょっと外に出てる」

 ススリゴは再び2枚の貨幣を手に取り、椅子に座ってぼんやりと眺めた。


「もう仕事してるの? お昼ご飯作ろうと思ったんだけど」

「どうだろうな。戻ってくるかどうかもわからない」

「なによ、それ」

 ススリゴの妻はそう言って台所に向かい準備を始める。


 ススリゴはこれまでの2人とのやり取りをいくつか思い出して、少し笑った後、真剣な表情に変わった。


「なるほどな。少しわかった」

「え、なに?」

 包丁を持ったススリゴの妻は振り返った。


「いや、こっちの話だ」

「どっちよ、それ」

 ススリゴの妻は再び作業に戻った。


 現実感が無い、あの2人には。ススリゴはテーブルに広げた書類を整理し始めた。



 トイレに交代で入った後、吉井とみきは何となく河川敷に向かい土手に腰を降ろしていた。


「ねえ、吉井さん。さっきの正解なんだったんですかねえ」

 みきは持っていたタオルのようなものを顔に掛けて、ころんと横になった。


「そうだな。例えばきみが戻って来た瞬間に、さあ! 準備終わったんで回収に行きましょう! みたいな感じで、ススリゴさんに近場のやつを何件か教えて貰って回収に出かけてだな。最初の1件で無理だと思ったら後は適当に自腹を切って。みたいな?」

 土手に座っている吉井は草をちぎりながら答える。


「ああ、そっちだったんですねえ」

「これも正解ではないと思うけど。で、どうする? この流れだと時間経てば経つほど戻りづらくなるけど」

「そうなんですよ、なんかこういうのありますよね。嫌だから先延ばしにして余計戻れないやつ」

「何回かあった気がするよ。具体的には思い浮かばないけど」

「リンゴ食べとけばよかったなあ。お腹空いたあ」

 みきは横になったままゴロゴロと体勢を変えながら呟いた。


「強行案もあるけどさ。なんにもなかった振りして、ただいまー。あー、お腹減りましたよー。って帰るっていう」

「セリフの内容からだと、それ言うのわたしっぽいんですけど……。わたしにだって少しの恥や見栄も。そうだ!」

 みきはすくっと立ち上がり背伸びをした。


「ギルド行きましょう! ギルド!」

「なんか否定的じゃなかったっけ? ギルドに」

「今ならいいですよ。戻るよりはギルドのほうがいいし。より嫌なことがあるうちに多少嫌なことをすましておきましょう」


 動機はともかくとして、行くならまあいいか。吉井はちぎっていた草をそっと地面に置いた。



「多分これですよね」

「ああ、これだろうな。さっき聞いた感じだと」

 

 住宅街を抜けて大通りをしばらく歩いた後、近くを歩いていた3、4人に尋ねた話を総合して、吉井とみきは石造り3階建ての重厚な建物にたどり着いたが、その威圧感から2人は中に入れず入り口の前で立ちすくんでいた。


「吉井さん。これなんか子どもが入っちゃいけない感がすごいんですけど」

「せめてファミレスみたいにガラス張りならなあ。中の様子がちょっとわかるんだけど」

「ああ、そうそう。中が見えるって大事なんだなあって今気づきました」

「ちょっとさ」

 吉井はギルドの目の前にあるオープンカフェのような店を指差した。


「あそこに座って人の出入りを見てだな。それで雰囲気を掴んで、行ける! って思ったら入ってみないか?」

「あらあら。たまに出る満点の提案じゃないですか。そうしましょう」



 吉井とみきは店に入り、パンに肉を挟んだようなものとジュースを2つずつ買ってギルドの出入りがよく見える席に座る。


「さあて。吉井さん、ギルドを丸裸にしてやりましょう」

「そこまでは求めてないけどな。こう雰囲気さえわかれば」


 吉井とみきは飲み食いしながらギルドに出入りしている人をしばらく眺めていた。



「どうです、何かわかりましたか?」

 みきは2杯目のドリンクをだらだらと飲んでいる。


「しいていえば、男女比は同じぐらいだな」

「ああ、そりゃそうですよ。こと身体的な能力に関しては、男女関係なくほぼ遺伝で決まりますからねえ。死ぬほど筋トレしてても、モドキ倒しまくった人の子どもには勝てないですから」

「で、強い人はさらに倒して強くなるんだろ? 救いがねえなあ」

「そういう意味ではわたしたちのいた世界のほうが逆転はありますよね。ただ、わたしは」

 みきはコップを置いて吉井を見た。


「こんな世界でもがんがん這い上がる準備できてますけどね」

「なんでもやる気が大事だからな。きみの準備しようとする気持ちがあれば大丈夫だよ」


 あ、そういえばさ。吉井はふと思い出し、「いまいくら残ってんの?」テーブルの上にある小さな布袋の財布に視線を移した。


「そうですねえ」

 みきは財布を開き、じゃらじゃらと音を立てながら中身を確認した。


「大体6万トロンってとこですね」

「まあそんなとこか」

「トイレとさっきススリゴさんに渡したので3万使ってますからね。それが大きかったと思われます」

「そうだよなあ。じゃあやっぱり働かないとなあ」

 

 吉井がテーブルの上を片付け始めると、みきはその手を掴んだ。


「もういいじゃないですか、今日のところは。もう夕方、とまではいかないけど夕方に近い時間だし、早番で働いてたとしたらもう終わりですよ。明日から頑張りましょう」

「おいおい、そんなんで這い上がれるのか?」

「大丈夫。吉井さんもギルドで稼いでくれるはずだし。あ、言ってなかったですけど。吉井さんとわたし、収入は全部半分ずつですからね」

「え? ちょっと待って。じゃあおれがギルド依頼受けて魔物倒しても」

「そうです、半分です。その代りわたしが稼いだのも半分です」


 おいおい、ギャラ配分東京03方式かよ。おれがいくら俳優業とかピンでバラエティ出て稼いでもみきに取られるのか……。


 その後、ギルドでの依頼について想像で話しながら数時間過ごし、同じ店で夕食を食べた2人は完全に夜になってから店を出て家に向かった。



 2人がススリゴの事務所兼住宅に帰って来ると明かりが点いておらず、おそるおそるドアを開けたみきは、首だけを中に入れて室内を見た後、ゆっくりドアを閉めて振り返った。


「吉井さん、多分諦めて帰ったんですよ! わたしたちの勝ちです。粘り勝ちです!」

 みきは親指を立てて満面の笑みを吉井に向ける。


「いいとこ引き分けって感じがするけどな」

 

 どうすっかなあ、今日のこと。明日最初会ったときなんて言えばいいんだ。うーん、あれか。いつもの寝る前に目を閉じたときの思いつきでいいかなあ。吉井は明日の対応を考えながらドアを開け家に入った。

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