第31話 読めないやつに言っても読めない


 翌朝目が覚めた吉井は、2階リビングのソファーで再び数分間横になった後、サイドテーブルに置いてある共用の財布から100トロンを持ち外に出た。



 家の前にある路地を抜けて少し大きな道に出ると、多くの人が荷物を持って行き交っており、食べ物を探していた吉井は、あっちになんかありそうだな。と野菜らしきものを持った中年女性を何となく追いかけた。


 数分歩いて住宅地を抜けた先は広場となっており、衣類から食料品に至るまで様々なものが布を広げた地面や、屋台のようなもので売られている。なんかバザー的な感覚だな。いくつかの場所を覗き込んだ吉井は、少し迷った結果リンゴと思われる果物を2個を30トロンで買った。


 吉井は家に戻る途中、リンゴが2個で30トロン、360円という金額設定について考えてみたが、大体にして日本でリンゴを買ったことがないのでいまいちわからない。という結論を得たところで、定額で借りたトイレのことを思い出し、せっかくだから使っておこう。と昨日借りたのトイレに向かった。



「それで迷って遅れた、と」

 無表情のススリゴは、なるほど、そうか。と続けながら腕を組んだ。


「そうですね。理由としては」

 吉井は棚を見て、とりあえず資料の整理からですよね?と言い立ち上がる。


「まあ、そうだが。もう1人の女はどうした」 

「おそらくですけど」

 

 吉井は紙の束を手に取り仕分けを始めながら、「同じ理由だと思いますよ」と多少不機嫌になりかかっている様子のススリゴに背を向けたまま言った。


 まずいなあ、これ怒ってるよなあ。初日にトイレで遅刻だもん、まあ怒るよな。しかも2人共っていう。いや、できるよ。力技で解決も。さっきちょっと意識したらススリゴさんの動きめちゃくちゃゆっくりになったし。でもここでぶん殴って、知るか! ボケ! ってやるのはさすがになあ。それはできんよ。そんなんでやっていったら今後どうするんだっていう。家もなくなるし。まあ住めるか、いろいろやれば。でも住めるかもしれないけど気分的になあ。かといって謝りまくるっていうのもちょっとな。おれつええんだしそれも違うっていうか。おれが悪いよ、悪いけど。大体時間言われてないし。あっちのさじ加減一つだろ、間に合ってるかどうかなんて。だからおれは謝らない。ここで謝ったら今後に影響するから。しかしみきだな、みきがどういう反応をするか。それによって大分対応が変わってくるぞ。


 ススリゴは何度か口を開きかけたが、その度にそれを察した吉井が、「これ回収済みの物、回収予定の物の2つに分ける形でいいですか?」等の質問でやり過ごしていると、ドアが開く音がした。


「いやあ、ほんとここわかりづらい。吉井さんもトイレ行くとき余裕持って行った方がいいですよ。あと紐制度の導入をもう一度検討した方がいいと」


 みきは矢継ぎ早にしゃべり、「あ、リンゴだ!」とテーブルにあったリンゴを持って椅子に座る。そして「これ2個あるってことは1個わたしのですよね?」と棚を向いている吉井に笑顔で言った。 


 はいはい、この流れね。何個か想像した中で一番上のやつが来たな。そう来るだろうっていう。またあんまり日本語で喋ったら不信感を持たれるしな。短く、できるだけ端的に。


 そうだな。まあ、これか。吉井はある程度考えていた返答から一つ選ぶ。


 最近は悪い意味で捉えられることが多い日本人の得意とする技術。でも恥じることはないと思うけどな。一世代だけではできない紡ぎあげてきた技術だ。


「なあ、みき」

 そう言った後吉井は振り返りみきに視線を合わせる。


「空気を読め」


 みきは、はっとした表情で、吉井とススリゴを見た後、吉井に一瞬親指を立てて戻した。


「と、まあトイレまでの道はわかりづらいと言いながらも、なんでこっちは出来たんだろうなっていうのは思いますよ、さすがのわたしも。やっぱり向いてるのかな、この仕事。義理だけど親類にも金融関係の人がいたって聞いたことあるし」

 みきは財布の中から、テーブルの上に1枚出した後、少し迷って1枚追加した。


「はい、2万トロン。回収してきましたよ。わたしにとって初仕事ですね」


 うーん、そのパターンかあ……。吉井はそれを聞いた瞬間に、先程からチェックしていた数十枚のから数枚選んで返済金が2万になるように調整しススリゴに渡した。


 それを受け取ったススリゴはパラパラとめくり、「距離があるな。なぜこの3つの回収を選んだ?」そう言って吉井に紙を返す。


 なんかないかな。しいて言えば、あえて理由を言うならば。吉井はススリゴから返された紙をそのままテーブルに置いた。


 ないなあ、全然思いつかない。なんか住所違うのはわかってたんだよ。2つは同じ名称だから似たような場所にありそうなんだけど、もう1個が違うんだよなあ。大体にしてどっちがここから近いのかもわからないし。あー、もういいか。なんか勘違いしてたってことにするか。かなり苦しいが。吉井が口を開こうとすると、


「じゃあ逆に訊きますけど。なぜこの3つの回収を選んだと思うんですか?」

 みきは椅子に座りながらテーブルにあった3枚の紙を手に取る。


 いや、だからそれを訊いてるんだろ。吉井は思ったが、みきに任せることにし最初持っていた数十枚の紙を確認し始めた。


「逆に、の意味がわからないが」

「じゃあ逆に、の意味がわからないなら、それとは逆に訊きますけど」

「ん? どういうことだ?」


 その後もみきは若干の怒り口調で逆にを連発しながら、ススリゴとやり取りをしており、吉井はそれを聞きつつ数十枚の中から、最初ススリゴに渡した3枚のうちの2つと住所の名称が似たのを探し出した。

 

 こいつ同じフレーズ使うの好きだよな。ただもうどうでもいいっていうか。なんか考えるのもあほらしくなってきた。


「ああ、すいません。これと間違っていました」

 そう言って吉井は紙をススリゴに渡す。


「なんだこれは?」

 ススリゴが紙の内容を確認していると、吉井はみきと視線を合わせる。


「そうです、その3つです。だから逆に、だったんですよ」

「この場所まで行くのに半日は掛かるぞ。どっちが行ったんだ?」

 ススリゴは吉井とみきを交互に指差す。


「どっちだっていいじゃないですか! だって初めてなんですよ、こっちにきて初めての回収なんですよ! 遠いとか近いとかも関係ないじゃないですか! なぜ、よくやった。これからも頼む。これが言えないんですか!」

 みきは涙目になりながら両手を広げススリゴに訴えた。


 やべえ、さらにわけがわからなくなってる。そしてすすり泣き始めたみきを見た吉井は、これをやるしかないのか……。と思いながら、みきの肩をぽんぽんと叩いた。


「なあ、もういいよ。きみは頑張った。おれはわかってるから。あ、すいません。ちょっと一旦外に出て落ち着いてきます」

 吉井はススリゴに向かって軽く手を挙げた後、みきを軽く支えながら2人で外に出た。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る