第30話 思い出した、トイレのこと

 

 食事を終え店を出た2人は数分後には完全に道に迷い、行きは10分程度だった食堂から家までの距離を、1時間以上かけ家に戻った。


「や、やっとたどり着いた」

 みきはドアを開けながら振り返る。


「吉井さん。じゃあさっきの打ち合わせの通り、次からは角を曲がった回数と方向を覚えておく、っていうのを徹底しましょう」

「そうだな。毎回これはまじできつい」

「できれば紐制度が好ましいんですけど」


 当初みきは、とりあえず死ぬほど長い紐を買って、外出の時はドアに端をくくりつけてから出るようにしよう。帰るときはそれを手繰り寄せながら帰ろう。という提案を熱弁していたが、死ぬほど長い紐があるのかどうかもわからないし、ずっとそれを持ち歩いたまま生活するのはつらい。という吉井の反論に屈する形で、曲がった角の数と方向を覚える。という吉井の提案を飲むこととなった。


「紐も確実性はあるんだけどな。とりあえずいい紐が見つかったらもう一回考えよう」

 真っ暗な室内に入った吉井は、あ、明かりどうやってんのか聞くの忘れた。と出し手探りで見つけた椅子に座った。


「ああ、確かに。でもそれぐらい問題ないですよ。わたしはもっとタフな場面を経験してきましたから。トランプも含めね」

 

 トランプっていい案だと思ったんだけどな……。みきはそう呟いて窓の外を見た。


「そうだろうな。とりあえず2階行くか」


 まだ気にしてたんだなあ……。帰る途中触れないから大丈夫かと思ったんだけど。


 吉井とみきは2階に上がり、じゃあ、また明日適当に。はい、おやすみなさい。と軽くやり取りした後、あらかじめ決めていたそれぞれの部屋に入った。



 ベッドで寝れるっていうのは本当に幸せだな。吉井は靴を脱ぎカーテンの無い窓から入る薄明りを避けるようにしてベッドに横たわる。


 明日から仕事か。吉井はススリゴが何度も紙をめくって内容を確認していたのを思い出した。


 なんとなくやることの想像はつくから、起きれたら先にちょっとやっとこう。こういうのは最初が肝心だからな。


 吉井は明日やることをいくつか思い浮かべていると、どんどんとドアを叩く音がし、「起きてますか? 起きてなくても入りますよ!」と言った後、みきがドアを開けた。


「ねえ、吉井さん。ここってトイレどうなってるんですか?上も下も探し回ったんだけど全然ないんですよ!」

 

 みきは、「上も、下もですよ!」と指を上下させながら同じことを続けた。


「ああ、トイレね。ここ来る途中に何個かあっただろ。有料っぽいけど」

「え? そんな! なんで言ってくれないんですか!」

「ああ、ごめん」

 吉井はベッドから起き上がった。


「きみは字が読めないんだったな。看板みたいなのあったんだけど」

「言ってくれますね……。今一番気にしていることを」

「多分一般家庭にはないんじゃないか? だからみんな有料のとこ使ってるんだろ」

「で、でも。だってここ何人いると。毎日朝のピーク時は野外フェスの最終日ぐらい並ぶことに」

「うーん、みんな適当なんじゃないの? 世界観的に」

「ばかな……」

 みきはそう言って膝から崩れ落ちた。


「村より劣るトイレ設備だなんて。そんなことが」

「でもなんでいきなりトイレをそこまで気にし出したんだ? これまでだってなかったことも結構あっただろ」

「吉井さん、それは違います」

 座り込んでいたみきは下から吉井を見上げる。


「わたしだって人の家に行ったときに、なんでここウォシュレットないの? なんて言わないですよ。だってわたしのための家じゃないですもん。しょうがないじゃないですか。でも自分の生活空間は別です、そこに関してはわたしだって主張しますよ」

「それはわかるけどさ。じゃあ、とりあえず行ってみる? そのトイレのとこまで」

「是非お願いします。村でトイレを作った専門家としての意地もありますし」


 今何時なんだ?あー、まただ。わからないんだって。吉井は反射的に時間を気にしながら靴を履いた。


 家から歩いて数分のところにコンビニ程度の建物があり、男が一人松明の明かりに照らされながら座っていた。


「ほら、あそこだよ」

「へええ、なるほど。ぱっと見トイレ感ないですけどねえ。倉庫風というか」


 吉井とみきは建物を遠巻きに眺めた後、とりあえずおれ行ってくるわ。とみきが持っていた小銭入れを借り、吉井は男と何度かやり取りをして金を渡した後、建物に入った。



「どうでした? ねえ?」

 戻ってきた吉井にみきは詰め寄る。


「思ったよりきれいだよ。なんか個室が並んでて中も結構掃除行き届いてるわ」

「ほうほう。で、設備は?」

「なんか座るとこがあって、その下がずっと水流れてる作りだな」

「ああ、なるほど。構造的にはわたしが作ったのと同じですね」

「そうそう。あ、それで一回100トロンだった」

 と言いながら吉井はみきに小銭入れを渡す。


「は? 一回1,200円!? たっか!」

「だよなあ。これ毎回払ってたらきついぞ。でも他に安いとこもあるんだって。壁なしで穴空いた石版みたいのがずらーって並んでる感じの」

「ああー。古代ローマ方式ですねえ。村の現代トイレに慣れているわたしとしては、ちょっと受け入れがたいものがありますけど」

「それはそこらじゅうにあるっぽい。そっちも金掛かるみたいだけど」


 みきはうんうんと頷いた後、「とりあえずわたしも現場を見てきます」と言いトイレに入った。



 トイレ問題かあ。吉井が夜空を見ながらみきを待っていると、トイレから出てきたみきが男と話込んでいるのが見え、最後は笑顔で金を渡していた。


「なあ。なんで出た後も渡してたの?」

 戻って来たみきに吉井が訊くと、まあ帰りながらゆっくりと。と言ってみきは歩き出した。


「とりあえずトイレ問題は現代知識を生かして解決していきましたよ。まあ軽くいなした? みたいな?」

 みき歩きながら人差し指をクルクルと回した。


「へえ、どんな?」

「食べ放題ってあるじゃないですか? 動画配信サービスでもいいんですけど。やっぱり定額制って結局提供する側が儲かる仕組みですよね」

「うーん。場合にもよるが基本的にはそうだろうな」

「聞いたんですよ。1日どれくらいの人が利用するか。そしたらあんまり多くないんですって。何か若干裕福な人が使うタイプのトイレみたいで」


 まあそうだろうな。1回100トロンっていうか1,200円だからなあ。普通1日何回ぐらい使うん、あ。こいつ。吉井は歩幅を緩めてみきを見る。


「ふ、気が付いたようですね。借りたんですよ、1ブースを。1カ月使い放題で」

「ちなみにいくら払ったの?」

「ええと1万トロンですね」

 

 みきは、ここですよ、ここ。と自分の頭を指した。


「は!? 10万円いってんじゃねえか!」

「まあびっくりしてましたけどね。でもいいじゃないですか、ずっと同じとこ使えるから若干自分用の私物も置けるし。最終的に釣りはとっとけ的な感じにはなりましたけど」

「おいおい、家賃2万トロンとトイレ1万トロン。それだけで30万円越えって……」

「大丈夫。日給1,000トロンを二人稼げればなんとかなります」

「確かに円とトロンが混じるとややこしいな。ええと」


 家賃とトイレで3万トロン。1日二人で2,000トロンで25日働いたとしたら5万トロンか。まあ光熱費とか通信費ないから2万トロン余ればいける、のか。


「あとギルドでも吉井さんが働けば。つええしながらお金貰えるなんて最高じゃないですか」

「うーん、ダブルワークか。まあいいんだけど」

「で、明日ギルド行くんですよね?」

「様子見て考えるかな。初日に仕事しなかったらススリゴさんめっちゃキレるかもしれないから」

「あー、その辺は気を使うんですねえ」

「家借りちゃったからなあ。出て行けって言われて他の物件探すのもしんどいし」

「そうですね。トイレあるし、こっから遠いとこ行くと通うの大変ですよ」

「1万払ったからなあ。トイレ優先っていうのもあれだけど」

「あ、そうだ。すいません。もう一回トイレ行っていいですか?」

 みきは振り返って来た道を指差した。


「え、いいけどなんで?」

「ちょっとサイズ測ってきます。いろいろ置くから棚みたいなのも必要かなって。で、仕事中ススリゴさん外に行った時に、トイレの中の配置どういう風にしようかなーって考えようかと」


 いきなり上司が外出したときに、手を抜くことを考えてんのかよ。吉井は再びトイレに向かうみきの背中を見ていたが、しゃあない、行くか。とゆっくりとした足取りで追いかけた。

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