第29話 トランプの終わり


「吉井さん。この肉おいしいですよ! 何の肉かは相変わらずわからないですけど」

「そうか。こっちのもうまいぞ」

「でもなんでしょう。わたしのって生姜焼き風じゃないですか。味は違うけど見た目が」

 そう言いつつみきは吉井の皿を覗き込む。


「なんかそんな感じだな」

「でも、吉井さんのって、厚めの肉をテトリスの棒みたいに切ってるやつじゃないですか。グラム数全然違うと思うんですけど。こっちの方が高いって聞いてたのに」


 やっぱり大きさが、大きさは、大きさって。みきはぶつぶつ言いながら、「まあ、さすがにもらいますけど」と吉井の皿から肉を一切れ取った。


「その『さすがに』はわからないけど。この世界の価値観だからな。そっちのほうが希少部位とかなんじゃないの?」

「でも、わたし思うんですけど」

 みきはステーキを食べながら、パンとナンの中間のようなものをちぎる。


「おいしいものが希少っておかしくないですか? だって神様が作ったこの世界。無駄がないんですよ。例えば塩も体に必要なわけじゃないですか。なんかna的なの。それを料理に入れることによってうまいって感じるわけでしょ?」


 おいおい、神様出てきたぞ……。これはややこしくなりそうだ。吉井は無言で食事を続けた。


「だから人間がうまいって感じるものをね。神様が少なく設定するはずがないんですよ。その辺ですぐ手に入るものをうまいって感じるようにしてるはずなんです。だから希少部位? 一頭で200gしか取れない? ばかな、そんなのがおいしいはずがないですよ!」

「でも、高いほうを選んでただろ?」

「まあそれが人間ですよ。すべて理性で片付けば不倫や戦争は起こりません」

「うん。そう、か。としかいえない」

 吉井はススリゴが飲んでいた果実酒のビンを持って、結構残ってるな。と小さく呟き、ビンから直接一口飲んだ。


「あらあら、飲み残しのお酒を。いやですねえ、そんなことをする人だなんて」

 食事を終えたみきは皿をテーブルの端に寄せ首を振る。


「いいだろ。もったいないし。食べたんなら今日はとりあえず帰ろう」

 吉井はテーブルに置かれた金とボトルを手に持って立ち上がる。


「ねえ、吉井さん。そのビンどうするんですか?」

「いや、このまま持って行こうと」

「ちょっと、ちょっと待って。一旦座って下さい」

 みきは吉井を座るように促した後、持っていたビンを奪いとった。


「え、なんで?」

「考えてみて下さい、そのワインみたいなボトル。こっちでは大事に使ってるかもしれないじゃないですか。それを持って帰ろうとして店員の女の人に笑われるのは連れとして我慢できませんし、最悪もう来れなくなりますよ」

「別に大丈夫じゃないかなあ。なんか適当な感じだぞ、この店」

「それはあなたの常識ですよね?こっちではどうかわかりません。ここおいしかったし変な失敗はしたくないんですよ」

「うーん。じゃあ聞いてみる?」

「だからあ!」

 みきはボトルを机にどんっと置いた。


「仮に日本のファミレスで、注文用のタブレットをね持って帰る人はいますか? 答えはわかるでしょ。はい、いないですよ。わたしはそこは回避しましょうよ、って言ってるんです! わたしならそんなことがあったら裏に戻った時、言いまくりますね。『なんかあそこにいる黒髪の兄妹みたいなのがさ、ボトル持って帰ろうとしたんだよ? さすがにひくわー』って」

「うん、まあそこまで言うなら……」


 吉井が机に置いたボトルを持って口につけようとしたとき、みきは、「それもやめて下さい!」と身を乗り出してボトルを掴んだ。


「あなたは、アメリカ人が小瓶のビールをダーツやりながら飲んでる感じのイメージで直接ビンで飲んでるけど、それもこっちの文化的にどうかわからないですから。やっぱり最初はコップで飲んで、この食堂であなたみたいな飲み方してる人が何人かいたらわたしが、おっけいサインを出すので」

「なんだろ、単純にすげえよ。3年あの村で過ごしてその感覚を忘れてないっていうのは」

 

 吉井はそう言った後、手を挙げて店員を呼びコップを一つ頼んだ。そして店員が持ってきたときに、「今食べた料理っていくらなんですか?」と自分とみきが食べた皿を指差した。


 ええと、店員は注文を思い出そうと首を傾げた後、「こっちが170トロンで、そっちの高い方が175トロンです」と答え、二人分の皿を持って厨房に戻った。


 微妙な差だったんだなあ。吉井は果実酒をコップに入れて飲み、みきが、次は絶対重さで選ぶ、と何度も自分に言い聞かせているのを見ていた。


 果実酒を飲み終えたので吉井は店員を呼んでテーブルで会計を済ました。

 そしてお釣りについて2人で話し合った結果、とりあえず貰っておこうという判断となり、みきが自分の財布に入れた。


「やっぱり外食って楽しいですね!癖になりそうです」

「うーん、癖って言われると多少違和感はあるけど」


 店を出ようと席を立った吉井がふとカウンターを見ると、向かい合って座っている2人が持っているものが目に入った。


「な、なあ。おい、あれってさ」

 

 吉井は座ったまま肉が無くなった皿を見ていたみきの肩を叩き、「ほら、あっちの2人が」とカウンターを指す。


「なんですか?ポイントカードでもあったん、え……」

 

 みきは吉井が指した方向を見て固まった後、下半身がガクガクと震え出した。


 カウンターには仕事が終わったイイマとタフタが、椅子ずらし向かい合って座っており、それぞれカードを何枚か手に持っていた。


「カード手に持ってるし、なんか山みたいなのから時々何枚か取ってるぞ。あれはどうみても……」

 吉井は震えが上半身にまで到達しているみきを見て言った。



「あれ、トランプだろ」



「あ、ああ。そんなことが。こ、これまでの。これからのわたしのトランプ人生が……」


 みきはその場で崩れ落ち、それに気づいた若い店員が、「どうしましたか?」と言いながら近寄って来たが、「大丈夫、全然平気ですから。こいつのこっちの問題で」吉井は自分のこめかみを指しながら説明した。


「おい、立てよ。現実を見ないと」

「い、嫌です。だって確認しなければわたしはトランプがない世界にどどまっていられる」

 

 そうです。トランプが、ルールを沢山、なんなら売れたらウノを……。みきは時折目を開いたり閉じなりしながらぶつぶつと呟き、その目は遠くを見つめている。


 だめだ。3年こっちにいて壊れなかった精神が壊れた。吉井はみきから離れて、タフタとイイマの席に近づき、「ちょっとそのカードゲーム見させてもらっていいですか?」と訊いた。



 突然話しかけられたタフタは、動揺しカードを落としそうになったが、ゆっくりと振り返り、先程の黒髪の男が後ろに立っていることを認識した。


「あ、ああ。いいよ」

 

 でも一応聞いておいたほうがいいか。タフタは目の前のイイマに、「大丈夫だよね?」 と確認した。


「おお、問題ないぞ。お前も入りたいのか?」

 イイマは手持ちのカードを裏返したまま振った。


「いや、いいです。田舎から出てきたのでそういうカードゲーム初めてで珍しくて」

 吉井はカウンターの椅子を一つ取り、タフタの手札が見える斜め後ろに座った。



 なんかやりづらいな。タフタは吉井の視線を気にしながら山から1枚取り手札に加える。


 ふーん。相手に見せない感じね。なんかババ抜き的な感じなのか。吉井が後ろから2人のやり取りを確認していると、ガタガタと音がして、椅子を持ったみきが横に座った。


「おい、大丈夫なのか?」

「立ち直りましたよ。ぎりぎりのところで戻ってきました」

 みきは腕を組んでトランプをしている2人を凝視している。


「あの状態から数分で普通に戻れるんだ。すごいね」

「いやいや、そんな褒めはいいですから。どんなトランプを使ってるか確認するんでしょ? わたしも手伝います」

「まあね、一応」


 今のところだけど向こうの世界のとちょっと違うな。吉井は後ろで見ていた感想をみきに伝える。


「へえ、例えば」

「大きく分けて数字と絵柄の2種類のカードあるんだよ。まず1~13までの数字のカード。それと絵柄が4種類。で、それらは7種類に分かれている」

「はあ? そんなにあるんですか」

「数的には少ないんじゃない。13+28だから」

「そっか。こっちのは52枚ですもんねえ。あ、でも。奇数なん。あ、なんかそろったっぽい」

 みきが言うとタフタはピクリと反応した。


「はっは、おいおい。わかりやすいな」

 イイマは笑いながら山から1枚めくり、手持ちのカードと入れ替える。


「ちょっと。見てるのはいいけど、黙ってて欲しいな」

 タフタは後ろを振り返りながら言った。


「あ、すいません」

「ほら、静かにしてろって」

 吉井はみきを肘で突いた。


「ごめんなさい。気が緩んで日本語を使うの忘れてました」


 なんか逆な気もするが、まあいいや。吉井は意識をカードに向けた。


 どっちかっていうと今やってるのは麻雀的な感じなのかねえ。カードの切り方を見てると。あ、あれも手持ちは52枚だっけ。なんかちょうどいいんだろうな。


 その後、何度か山から取って手持ちのカードと交換する、もしくはそのまま山のの横に置く、という行為を2人は繰り返し、「だめだ。もう1回だな」イイマが最後の1枚を取った後、手札をカウンターに投げだした。


「じゃあ次で最後ね」

 タフタはカードを集め手慣れた様子で切り始める。


「大体わかりました。吉井さん、もう帰りましょう」

 みきは立ち上がって椅子を持ち上げた。


「え? もういいの」

「なかなかに洗練されているようですね。ここに入っていくのは難しいでしょう」

「そうみたいだな。それにあの様式じゃおれらの知ってるルールは当てはまらないかも」

「あのトランプに合わせて新しいルールをっていうのも考えましたが、でもその労力って別のことに使ったほうがいいですよね」


 おいおい、冷静だな。吉井はみきに合わせて椅子を戻し、「ありがとうございました」とタフタに声を掛けた。


「ああ、もういいの?」

 タフタはカードを切りながら返す。


「あの一つ質問なんですけど。その13のカードって、なんでもあり、ってやつですか?」


 へえ。タフタは手を止めて吉井を見た。


「うん、そういう使い方だよ。初めて見たのによくわかったね」

「ああ、いや。なんとなくですけど」


 そっかやっぱり13はジョーカー的な使い方か。なんか役みたいなのも色々あるんだろうな。まあ、それはいいか。


 吉井はもう一度、イイマにも頭を下げた後、横に立っているみきを見ると、横に合ったテーブルにもたれ掛かり何とか立っている状態だった。


「なあ、やっぱり落ち込んでるんじゃ……」

 それを聞いたみきは、ゆっくりと体勢を立て直した。


「受けてますよ、ショックは。でもショックを受けても前に進みますよ、わたし。そうやってショックを乗り越えて生きてきたし、これからもそうやってショックを乗り越えて生きていきます」

「おお、よかったよ。じゃあとりあえず帰ろう」


 ただ、少し。みきは歩き出した吉井の背中を見ながら絞り出すように言った。


「ショックは受けています……」


 とりあえずショックだったんだな。そういえばショックって英語として通じるんだろうか。吉井は一瞬振り返った後、出入り口のドアを開けた。

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