第28話 肉は厚さ

 

 吉井とみきが一通り2階を確認し下に降りると、「今日の夕食はお前らの分も出してやるから外食にしよう、数分で着く場所だ」ススリゴはそう言って玄関に向かい、女性は腕を組んだまま無言でススリゴに続いた。


「ねえ、吉井さん。激しく言い合あった後って空気に残るんですね。ほら、今わたしの手触りましたよ。言い合った後の空気に」

 みきは右手をぐるぐると回した。


「激しくかはわからないけど、なんか揉めたんだろうなあ」

「で、雰囲気を変えたい。みたいな感じですかねえ」

「まあいいんじゃない。おごってくれるんだし」

「うんうん。わたしたちにとっては得しかないですよ、どんな肉があるのかなあ」


 みきはふわふわとした足取りで玄関に向かい、吉井は戸締りとか大丈夫なのか? とテーブルを見ると鍵らしきものが置いてあったので、手に取って外に出た。


「何ですかそれ、鍵?」

「なんか置いてあったから」

 みきが見ている前でドアに付いていた穴に鍵を入れると、ガチンという音がして鍵が掛かり、吉井は何度かドアを引いて確かめた。


「お、おお。鍵……。3年振りに見ましたよ」

「基本なんでも3年振りになるよね、きみは。ほら、遅れるぞ」

 吉井はみきを促してススリゴが向かった方向に走った。



 ここだよな? 吉井は1階が食堂、2階が住居スペースとなっていると思われる木造の建築物の前で立ち止まった。


「ねえ、吉井さん。多分ここですよ。正直そんな能力ないですけど、わたし的にはこの辺で気配が消えました」

「ちらちら背中は見えてたからここだと思う。しかしほんと入り組んでるよな、この街。増築増築でやってるからわけわからなくなってるぞ」

「ですねえ、3ヶ年都市計画みたいなのはなさそうな感じはありますけど」

「とりあえずちらっと見てみるか」

 吉井はドアを開けて店に入った。


 店内は4、5人が座れるカウンター席と、4人掛けのテーブル席がいくつかあり、カウンターの奥の厨房では体格のいい男が忙しそうに料理をしている。そしてフロアに目を移すと、若い女の店員が注文を聞いているテーブル席にススリゴと女性が座っていた。


「お、いた。けど」

 ススリゴと目が合い吉井は軽く会釈する。


「ああ、あそこです、か。あれってわたし達もこう、斜めに座るしか……」 


 4人掛けのテーブルに斜め向かいに座っている2人を見て、吉井とみきは自分達の座る位置を把握した。


「これさ、より気まずい感じの空間になるよなあ」

「基本日本語になりそうですねえ。言ってはいけないことしか言うことなさそうですし」

「しょうがないよ。どっちみちおれらって、変な言葉喋る若干似ている現地人、だし。おれあっち行くわ」

 吉井はススリゴの横の席を指差しテーブルに向かった。


「ここよく来るんですか?」「たまにな」「美味しいんですか?」「まあ普通だ」「そうなんですねえ」「そうだな」「……」「……」


 はい、終わった。もう話すことない。おれ無理だよ。席に座って数十秒で吉井はこのテーブルでの会話を諦め、これからも続く無言の時間に備えていると、「ねえ吉井さん。メニューが見当たらないんですけど」みきは壁やテーブルの下まで確認した後、吉井に囁いた。


「なんか地元の店っぽいしある程度落ち着いた金額なんじゃないか?」

「それもあるんですけど、何を注文したらいいか」

「そういうときに一番安全なのは、同じテーブルの人に先に頼ませて、それと同じもので。っていう昔ながらのやり方がある」

「なんかブラウン管の映像ですねえ。もっと解像度高いのはないんですか」


 うーんでもやっぱり、と吉井が言おうとしたとき、ススリゴと家にいた女性の前にプレートに主菜と副菜がと乗った料理が置かれた。


「お、同じものを。これと同じものを!」

 みきはテーブルに料理を置いた店員を呼び止めた。


 店員は一瞬厨房を見た後、すいません。これはもう品切れなんです。と申し訳なさそうに頭を下げる。


「え……?」

 そう言われたみきは右手を挙げたまま固まった。


「あ、じゃあ。このセットみたいなので肉のってあります? おれとこっちで2人分」

「ああ、はい。種類は?」

「種類、ね」

 

 そうだなあ。吉井はススリゴを横目で見た後、一番高いものとその次に高いもの2つを注文した。


「わかりました」

 注文を確認した店員が厨房に戻る。


「そういう注文の仕方か。まあいい、これから働いてもらうからな」

 ススリゴは果実酒を飲みながら吉井に言った。


「はいはい、そりゃあもう。ある程度、出来る限り、自分の能力の範囲内でやろうと思ってますよ」

 みきは吉井の膝をぽんぽん、と叩き、よくやりました、覚えておきます。と小声で言った。


「いいじゃない。あなたが出すっていったんだから」

 終始無言だった女性はススリゴの目の前にあったボトルを手に取り、空になった自分のコップに果実酒を入れる。


「あのう。吉井さんとわたしを代表してわたしが聞くんですけど。2人の、その関係性というか。その辺はどういった形に?」

「元妻だ」

 ススリゴはみきを見ずに答え料理を口に運ぶ。


 結婚制度があって離婚もできるんだなあ。そして家族経営によくある配偶者が事務やってる形態ね。吉井は、料理待ちの暇な状態だと悟られないように、いずれ店を持ちたいから店をよく見ているんだ的な演技で、店内をゆっくりと見ていた。


「でもほんとにこれからどうするの? ……、……も、……だっていなくなって。」


 元妻はいくつか名前を言ったが、吉井は聞いた瞬間忘れており、まあいいか。必要だったらまた後で出てくるだろ。と気にしないことにした。


「いい機会だ。それまでのやつらだってことさ」

「大体あなたはいつも人に求めすぎてる。自分ができることは当然相手にも望むし。でもね、その相手だってあなたにできないことが沢山できる。そのことをわからないと」

「それは違うな。必要なことが出来ることが必要なんだ。不必要なことができてもただ不必要なだけだ」


 徐々にヒートアップしていく2人を見ていたみきは、不安そうに吉井を見た。


「吉井さん。ススリゴさんってかなり厳しめっぽいんですけど。字が読めないわたしが役に立つんでしょうか……」

「字が読めないのは痛いな。明日から軽く教えるよ。『л→あ』みたいな表作って」

「その方式ですか。かなりきつそうですねえ。なんかもっといい方法が」

 みきがぶつぶつと言っていると、


「金は置いとくから食べていけ。おれたちは先に出てる」

 食事が終わったススリゴはそう言ってテーブルに金を置いた。


 ちょっと、まだ話は終わってない。疲れてるんだ、今日はもう帰る。またそういって自分の都合だけで……。ススリゴと元妻は言い合いを続けながら店を出た。


「いやあ、初日からなかなかですねえ」

 みきは、ふうっと大きな息を吐いた。


「そうだな。あの2人の下で働くのはけっこうしんどそうだ」


 しばらくして料理が運ばれてきた際、みきは、「高い方をわたしに下さい。で、もうひとつをこっちの人に」と店員に頼み、吉井はどっちでもいいよ、と思いつつ渡された皿を手に取った。



「なあ。さっきススリゴさん帰ったみたいだけど」

 

 ススリゴと入れ違で店に入ったタフタはカウンターに座り、キッチンに立つイイマに、「余ってるのでいい」と声を掛けた後、吉井とみきのテーブルを見た。


「そうだな。よくわからん言葉をしゃべっているやつらを置いていった」

「へえ」

 イイマが指差したテーブルをちらりと見た後、タフタは視線を戻しイイマがカウンター越しに置いた果実酒を手に取った。


 2人とも黒髪か、なんか似てるな。兄妹? オーステインから来たのか。

 タフタはもう一度振りかえって吉井とみきを見た後、厨房にいるイイマに、「最近ゴイスは来てる?」声を掛けた。


「まだ帰ってきてないんじゃないか? 戻ってきたら寄るって言ってたぞ。ほら、できたぞ」

 イイマは定食をタフタの前に置いた。


 もう1ヵ月以上経ってるのに。やっぱり大変だな、師団で勤めるっていうのは。タフタは料理に手を付ける前にもう一度吉井とみきを見ようとしたが、しつこく見ていると気づかれそうなので止めにして料理に手を付けた。


「そういえばあの債権回収できたのかな?」

「さあ? どうだろうな、向こうも連れがいたから聞かなかったが。でもあいつのとこ結構人辞めたらしいぞ」

「そうなんだ。それは大変だ」

「それでも問題ないぐらい金が入っただろう。生きて帰ってきたってことは」


 イイマは手を洗ってエプロンを外した後、後ろの棚から木製のケースを取り出し、果実酒のボトルを持ってタフタの横に座った。


「今日はもう客は来ないだろうから、な」

 ボトルと木製のケースを置き、イイマはにやりと笑った。


「いいよ。食事が終わったらやろう」

 やっぱりもったいなかったかな。タフタはススリゴに売った債権のことを思い出して、少し後悔した。

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