第27話 職場に住む
翌日、朝食の席で吉井とみきはススリゴの下で働くことを告げ、また宿泊代を受け取らない夫婦に申し訳ないと、朝食後に2人で家の掃除を少し手伝った後、ススリゴの母親が作ってくれた昼食を貰って3人は街の中心部に向かった。
数時間後、近くにあった川の土手に吉井とみきは並んで、ススリゴは少し離れた場所に座り、ススリゴの実家から持たせて貰ったパンとナンの中間のようなものを昼食として食べていた。
川幅が数百メートルある大きな川は、カヌーのようなもの、または小型の船で何かを運んでいる人達であふれており、吉井は、農家で作った作物でも運んでいるのかなあ、とぼんやりと眺めていた。
みきは食べ終えたススリゴが横になって目を閉じているのを確認すると、「なんか大げさな感じになってきましたねえ」と言いながら川にいる人に向かってひらひらと手を振る。
「そうだな。こんなに先がわからないことって今までなかったよ」
「そうなんですよね、村にいるときは想像がついたから。明日どうなるかぐらいは」
「どうなの? 村を飛び出て都会に来た元村人の感覚としては」
「うーん。そうですねえ」
みきはしばらく考え込んだ後、ちらりと吉井を見てから口を開く。
「今はね、ほんと今だけですよ。正直に言うといろんなことが、若干もうどうでもいいっていうか……」
「おいおい、トランプはどうしたんだよ」
「やりますよ! クイーンの絵も描きまくるし、スペード中も塗りまくりますよ。でもね、今はちょっと元村人の休息っていうか」
「気持ちはわかるよ。ベッドで寝て、ちょっとうまいもん食って、んで昼過ぎの川付き土手だもんな」
「正直、わたしは。ほら、あっち見えます?」
みきは遠くに見える橋を指す。
「おお、でかい橋だなあ。どうやって作ったんだろう」
「あの下にですね、段ボールを大量に持ち込んでのんびり暮らしていくのもいいかなって」
「いいなあ。でっかいビニールシートあればよりいいなあ。てかこの川って魚釣れんのかな」
「そりゃあ釣れますよ。川だもん」
吉井とみきが釣りの餌は何がいいかと話込んでいると、「おい。お前ら行くぞ」と土手の上からススリゴが二人に声を掛けた。
「まあ、とりあえず行こうぜ。物流に段ボールが使われるまでしばらく掛かりそうだし」
「そうですねえ。レンガっぽいのでもあればガチで家作ってもいいんですけど。わたし以前おじいちゃんの家にあったレゴでよく作ったんですよ、理想の家を。小さい頃アパート暮らしだったんで。まあそれ以降もアパートでしたけど」
「あの、ちょっと切ないんだけど……。大丈夫、その話」
「はい、大丈夫ですよ。体も覚えています」
みきは両手でレゴを組み立てる素振りをしてみせた。
で、間取りはですねえ。いくつかパターンあるんですけど夢の平屋ですよ、土地を無駄に使ってるやつ。はいはい、ちょっとした家のパーツがあるレゴね。そうですそうです。誰でもあるじゃないですか、お気に入りの形って。あー、おれもあったわ。同じロボっぽいのずっと作ってた。ですよね?わたしも毎回同じパーツ使うから摩耗が激しくて。
吉井とみきは理想の住宅について話しながらススリゴの後を付いて歩いた。
夕方になる頃には道の所々が石畳になり、商店や家が並んでいる街の中心部に入ると、最初ラカラリムドルを眺めていた時と同様、吉井とみきはその規模に圧倒された。
「おお、すごい! 中世ヨーロッパの歴史が色濃く残った町並みですよ! わたしにとって初めての海外旅行です!」
興奮した様子のみきは両手を広げてくるくるとその場で回る。
「確かに。ここまできたら、この前ヨーロッパに行ってきたよ。って知り合いに言ってもいいぐらいヨーロッパ感があるな」
その後、みきはうろうろと辺りを彷徨い、吉井は目印になるような高い建物を覚えておこうと、上を見上げながら、忘れないように自分なりにいくつかの建物に名前を付けていた。
はあ、またこいつらは。ススリゴは今日十数回目となるため息をつく。
「おい、そこを左に曲がってしばらく行った先の家だ」
みきにも聞こえるような声で言って、ススリゴは路地裏に入り、吉井とみきはヨーロッパの歴史について互いに知っている情報を交換しながらススリゴの後に付いて行った。
枝分かれしている路地裏を左右に何度か曲がり、一軒家の前に立ったススリゴは、二人が付いて来ているのを確認してドアを開け中に入った。
「ねえ、吉井さん。わたしもう二度とここに辿り着ける気がしないんですけど」
みきは一度振り返って路地裏の景色を確認し、「やっぱり無理です……」と自信なさげに言った。
「さすがにおれもきつい。ナビに頼りまくった現代人には酷だよ」
「やっぱりあの人の方向感覚ぶっ壊れてますよね」
「いやー、慣れもあるのかもしれないけどさ」
吉井はドアノブを掴みながら言った。
一軒家に入ると、正面にあるダイニングテーブルにススリゴと30代ぐらいの女性が座っており、吉井と目が合ったススリゴは自分たちの正面の椅子に座るよう、視線で促す。
「仕事はどうなった? だれもいないようだが」
ススリゴは室内を見渡しながら30代ぐらいの女性に言った。
「ねえ、久しぶりに帰って来て最初の一言がそれ?」
女性はうんざりした様子で「みんな辞めました、管理できる人がいないから」そう言って果実酒を乱暴にグラスに注ぐ。
「そうか。今の客のリストは?」
「あっち」
女性が指差した方向に置いてある棚を見たススリゴは、「もうちょっと整理しておけ、あれだけ説明しただろ」と立ち上がって棚に向かう。
部屋の壁際には棚が並んでおり、所々に椅子、テーブルが置いてあり、ススリゴは椅子を1つ手に取って棚の前に座り、紙の束を取り出して内容を確認し始めた。
吉井とみきはしばらく無言で成り行きを見ていたが、雰囲気に耐えられなくなったみきが、「ねえ、吉井さん。これ紹介してくれないパターンですか? 自分たちのことは自分たちでっていう感じ?」と吉井に耳打ちした。
「まあほら。こういうときはこっちの生活が長い方がとっかかりをだね」
吉井はみきの肩を叩く。
「はあ? それでも年上の男ですか!」
「おれはな。メジャーリーグ方式とジェンダーフリーを取り入れているんだ。年と性別は関係ないさ」
「昨日の芋と一緒で、急に現実に戻った感じになったみたいで戸惑ってるんでしょ? あがってるんでしょ?」
「相手の思考を考えているつもりが、今のきみは鏡に映った自分を見ているだけだな。ただ大体は合ってるが」
「昨日は老夫婦がやさしく話しかけてくれて上手くいっただけ。これが本来のあなたですよ」
「そしてきみでもあるけど」
でもそれは、あなたが! いや、そうともとれない。と吉井とみきがやり合っていると、「ねえ、2人はどこから来たの?」30代と思われる女性は2人の会話を遮って言った。
よし、いける。とっかかりを掴んだ吉井は、「オーステインです。そこでススリゴさんと知り合いまして」とススリゴを見ながら言い、手でみきに次の会話を促した。
「そうですそうです。人の縁ですね、繋がりといいましょうか」
みきは激しく頷きつつ言った。
「こいつら行くとこが無いみたいだからここで手伝いをしてもらう」
ススリゴは紙の束をテーブルに置いた。
「ほう。早速仕事の話ですね。時給いくらで?」
みきは紙の束を手前に引き寄せ、なるほど、うん。なるほど。と紙を一瞥した後、すっと吉井に渡した。
どうせ読めないなら見なくてもいいだろ。吉井は受け取った紙の束をパラパラとめくる。
「時間単位ってことか? そういったやり方はしてないな。とりあえず一日1,000トロンでどうだ?」
「一日1,000トロンということは」
みきはぶつぶつと言いながら計算した。
「時給1,500円か。うーん、何とも言えない感じですねえ。どう思います?」
「そうだなあ」
吉井はそう言いながら、受け取った紙の内容を確認していた。
紙には名前と金額、横に日付と住所らしきものが、ところどころ筆跡が異なる字で書かれていた。
これは受付表みたいなものか? しかし雑だな。吉井は紙から目を離し、「1日ってどれぐらい働くんですか?」とススリゴに訊くと、「朝から夜までだ。なぜそんなことを聞く? どこも大体そんなもんだろ」ススリゴは呆れた様子を隠さず言った。
うーん、結局12時間ぐらい働くのか。吉井が迷っていると、吉井の前に立つみきは親指と人差し指でOKと示し、にっこりと笑った。
「やりましょう、吉井さん。わたしたちにできることを手伝いましょう」
やんのかよ。吉井は思ったが、でも仕事やる話でここまで来たんだし、しょうがないか。
「じゃあ、これからお願いします」
吉井はススリゴに軽く頭を下げた。
「じゃあ、明日から頼むぞ。こっちに泊まるところないんだろ? 上の階使っていいからな。家賃は貰うが」
ススリゴは2階に続く階段を指差した。
「へえ、2階人住めるんですね」
みきは興味を持ったようで階段の下から上階を覗いた。
「あの家賃っていくらですか?」
「そうだな。1ヵ月2万でいいぞ。これから夕食を用意してやるから、その間見てくればいい」
「ねえ、吉井さん。行きましょうよ! 新生活の住居ですよ!」
「ああ、うん。いいけど」
吉井とみきは2階に向かった。
2階の部屋には照明がなかったが、窓から入ってくる月の光と街の明かりで室内の様子は確認でき、吉井とみきがいそいそと動き回った結果、リビングのようなスペースの他に2部屋寝室が確認できた。
「なるほど家具付きの2LDKですねえ。いいじゃないですか、寝室も別にできるし」
「そうだな、ベッドあるのはでかい」
「でもこれで2万トロンなら、お買い得じゃないですか?」
「はあ? 12倍なら家賃24万円だぞ。たか……」
吉井が、はっとしてみきを見ると、うんうん。と頷きながら笑っていた。
「そうですか? ここ街の中でもいい位置っぽいし。別にって感じですけど」
でもまあ。みきは、少し溜めた後、「吉井さんのとこからみたら少し割高かもしれませんけどね」そう言って笑顔を見せた。
ほら、絶対言われると思った。吉井は小さく息を吐いた。わかってたのに間に合わなかったよ。ほんとこういう家賃相場はなあ。たまに情報番組とかで、東京のなんとか区の賃貸物件の案内した後、最後に家賃をどんって出すと、毎回やっすい! ってゲスト言うけどよ。たっけえんだよ、1億人観てたら8千万人たけえんだよ。で毎回なんか切なくなるし、もうそれ系は関東ローカルでやれよっていう。でもこれはおれのミスだ。そうやって情報番組を観てきた経験が生かせなかった、くそ。
吉井はソファーに座り、「そうだな。滋賀県出身のおれから見たら高いな、と思ったんだけど」とだけ絞り出すように言った。
「あらあら、素直なのはいいことですよ。で、照明はこれですかねえ」
みきはリビングのテーブルに置いてあるランプを手に取る。
「だろうな。後で点け方を教えて貰おう。あ、それとさ、昨日言ってたやつ。ススリゴさんに、仲間ではなくて生きていくためのパートナーだ、っていうの言った?」
「正直言ってないですし、多分言わないです。言えないです」
「え? それはなんで」
「うーん、まあ昨日はですね、田舎に泊まろうのノリで話してましたけど、朝になって冷静に考えると、は? 仲間ではなくて生きていくためのパートナー? なにそれ? って思って」
「そうか、気付いたんだな。それはよかった」
「ええ。あと、なぜ吉井さんは昨日止めてくれなかったのか。ということで信頼度は少し下がりましたね」
「いや、言おうとしたら止めてたよ」
「どうだか」
そう言った後、みきは吉井の横に座り、しばらく2人は無言で窓の外を見ていた。
「ねえ、吉井さん。何年か後にはですね。今、そして明日から見るここからの景色も懐かしくなるんでしょうねえ」
「そうだな。むしろ現時点でなぜか若干懐かしいよ」
「それ、わかります。あー、早く現代知識を生かして富裕層に入り、金に物を言わせて日本に戻らないと」
みきは姿勢を崩しソファーにもたれる。
さすがに金ではどうにもならないんじゃ。吉井はそう思ったが口に出さず外を見ていた。
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