第22話 知り合いの家


 農村地帯に入ると、広大な土地一面に広がる麦のような作物を夕日が照らしており、吉井とみきは左右から迫るその景色に圧倒され農道の真ん中で立ち止まっていた。


「なにこれ……。すごい」

 みきは思わずそう呟く。


「ああ、こっちきて既に多少変わってるがこれは人生観変わる」

「ミレーの絵みたいですね。ねえ、吉井さん。そう思いません?」

 前を歩くススリゴと距離が開いたので、吉井とみきはゆっくりと歩き出した。


「一つ教えてやろう」

 吉井は横を歩いているみきに言った。


「景色を絵で例えるのはアホがすることだ」

「ぐ、言われてみれば確かに……。まさか横浜出身のわたしが言い負かされるなんて」

「おい。さっきからいじってきてるけど、いい加減こっちの近隣の県の人も怒るぞ!」

「ごめんなさい。なんかラカについた安心感で気が緩んで」

「へえ、ラカラリムドルってラカって言うんだ」

「多分言いますよ。ラカラとの二択だと思っています」

「ほんとかよ。じゃあこれから泊まるとこの知らない人の前で言ってみて」

「うーん、いきなり実戦ではちょっと。それはスポーツでも受験でも一緒だと思いますけど」


 吉井とみきは時間の経過と共に影が落ちてきた農道を、時折景色に見とれて開くススリゴとの距離を小走りで調整しながら進んだ。



 完全に日が落ちた後も、所々漏れる家屋からの光しかない道をススリゴは迷いなく進み、吉井とみきの中でススリゴの方向感覚はやばいということが共通認識となっていた。


「着いたぞ、あそこだ」

 農村に入ってから数時間後、2階建ての家の前に立ったススリゴは初めて立ち止まった。


「すごいですねえ。アーリーアメリカン風ですよ! 村から一気に2、3世紀進んでる!」


 おいおい、またかよ。吉井はしゃいで敷地に入ろうとするみきに対しため息をついた。


「テンション上がってるけど、建物を建物で例えるのはどうかと思うぞ」

「あー、なるほど。またわたしやっちゃいましたか……。え、でも」

 一瞬俯いた後、みきは顔を上げる。


「これはよくないですか? だって中華街の入り口みたいな門、とか」


 あ、あれ。そうか、それはありっちゃあり、か。吉井はいくつか建物を建物で例えてみた後、あり、という判断を下す。


「ごめん。おれが悪かった。確かにありかもしれない……」

 下を向きながら絞り出すように言った。


「いいですいいです。間違いは誰にでもありますから。さ、この話は琵琶湖にいっぱいある水で流しましょう」


 ぐ、また言いやがって。次は琵琶湖かよ。吉井は思ったが口に出さずに両手を握りしめていると、「おい、早くしろ!」とススリゴがドアの前で2人に向かって叫んだ後、建物の中に入った。



「あ、吉井さん。家に入る前に相談なんですけど。ちょっとこっちに」

 みきは玄関から少し離れた場所に吉井を手招きした。


「もしですよ。ここに泊ってですね、仲間が増えそうな感じあったらどうします?」

「ああ、仲間ね。知り合いがススリゴと同年代ならその子どもとか」

「そうそう。こういうとき日本人は話が早くて助かりますよ」


「そっか。10代中頃のやたらうるさい女に一緒に連れていけ! ってせがまれるのかあ」

 吉井は建物を見上げ、今後の展開と自分の立ち位置について考えた。


「それ最初に思うってことは、吉井さんそういう人欲しいのかもしれないですけど。実際に現状で考えるとわたしは」

 みきは腕を組んで続ける。


「新しい人って、まだ時期じゃないかなと。仮にトランプの販売が軌道にのってケンタッキー屋の準備でも、ってなった別ですけど。まだお金もないし、人増えるとその分出費がかさみますからね」

「そうだなあ。おれときみの説明も面倒だし。じゃあとりあえずそれっぽい人いても一旦保留ってことね」

「わかってくれてよかったです。もしいい人だったら落ち着いた後、改めて迎えに来ましょう。あと今の我々の手持ちですけど、道中で食料とかで使って、今残り10枚で円で言うとおおよそ120万ぐらいです。あ、吉井さんも慣れて下さい。大体12倍ですから。とりあえずこのお金を大事に使いましょう」

「どうせ慣れるならこっちの貨幣の感覚に慣れたほうがいいと思うけどな」

「いやいや。いつか戻る気持ちを忘れないためにも、円を大事にしとかないと」


 じゃあ、新しい人は追加しないってことで。みきは再度吉井に確認した後、家のドアを開けた。


 玄関に入った吉井は、ドアの前に立っていた夫婦と思われる70代前後の2人に気付き軽く会釈をする。


「すいません、突然。吉井です。でこっちが」

 と吉井は横に立っていたみきを促す。


「オーステイン村から来たみきです。今日はありがとうございます」

 みきは頭を下げた後、笑顔で言った。


 こいつ、こういうときは普通だな。吉井は逆に呆れた表情でみきを見ていた。


「いえいえ、こちらこそ。あの子が急に帰ってきて、しかも人を連れてくるなんて」

 妻と思われる人物は玄関横の食堂で何かを食べているススリゴを見た。


「ああ、めずらしいこともあるもんだ。さあ、こっちへ」

 夫もそれに同調した後、吉井とみきを食堂へ案内した。


 椅子に座った途端みきが、「お金は払うのでススリゴと同じように食事を用意してもらえればすごくうれしいです」と妻に頭を下げると、妻は笑って、「少し待っていてください」と言い、妻は食事の支度、夫は食器を棚から出して2人の前に並べ始める。


「なあ、この2人ってさ」

 吉井は食堂にある8人掛けの大きなテーブルに座り、横にいたみきに小声で言った。


「うんうん。ここで日本語に変えるのは正解ですよ、吉井さん。で、今の2人どう見てもあの人の両親でしょ」

「だよなあ。両親を知り合いというパターンかよ」

「やってくれましたね、あの人。わたしたちの仲間加入の話が無駄になってるじゃないですか」

 みきはテーブルの端に座り無言で食事を続けているススリゴをにらんだ。



「さあ、どうぞ。召し上がれ」

 準備を終えた妻はそう言い、みき正面の席に座った。


「ありがとうございます!」

 みきは目の前に置かれたナイフとフォークを手に取り、カチカチとすり合わす。


「吉井さん。やっぱりナイフとフォークですよ。道中もこれだったしこれが基本なんですねえ」

「やっぱり欧米よりの世界なんだな。顔立ちがそうだと文化も似たようになるのか」

「そうですね。例えは違いますけど、病は気からっていう感じですかねえ。わたし村では途中から自分で作った箸を使ってたんですけど、木の棒で食事をしているっていう差別を受けて。あれはつらい思い出です……」

「わかるよ。おれ予備村のとき真剣に考えたこともあったもん」


 台所でうろうろしていた夫は目当てのボトルを見つけて吉井の前に置いた。


「オーステインでしたね。西部の人の口に合うかどうか」

 そう言いながら夫は吉井の前にあるコップに液体を注ぐ。


「おお、すごい。ガラスだ! これわたしがいたオーステインで見たことないんですよ! 60人程度の小さな村だったので」

 みきはボトルを手にとりぐるぐると回した。


「オーステインが60人の村? ねえ、オーステインって」

 妻は夫を見ながら首をかしげる。


「こちらではオーステインというのはあの辺り一帯を指すんだが、向こうでは違うのかな?」

 夫は不思議そうな顔でみき、そして吉井を見つめる。


「え……? あ、うん。そうそう、そうなんですよ」

 みきはゆっくりとボトルをテーブルに置いた。


 ああ、そうか。オーステインって地域の名称なんだな。おかしいと思ってたんだよ。あんな村に一つひとつ名前付いてたってこっちの人覚えられないからなあ。場所もちょこちょこ動いてるみたいだから、どこがどこだかわかんなくなるし。吉井はみきが置いたボトルを手に取った。


「要はオーステイン全体で見たことないんですよ。村とかそういう話ではないっていうか。ねえ、そうですよねえ?」

 みきは助けを求めるような目で吉井を見つめる。


 村の人はまあ、いやそれも無理あるけど。それ以外でも他の村の人と話してて気づかなかったのかよ。あれ、どっちもオーステインじゃ? みたいに。


 吉井は話題を変えるため、ボトルを妻に見せながら、「このワインは自家製ですか?」と訊いた。


「ワ、イン?すいませんわからなくて。これは果実を発酵させて作ったアルコールです」


 なるほど。ワインという単語はないが、ワインはあるんだな。じゃあ、吉井はナイフを手に取り、「このナイフすごく手に馴染みますね」と笑顔を夫に向けた。


「そうですか、それはよかった。うちの食器は街の知り合いのとこで買ってるんですよ」

 

 もう20年になるかな。夫の言葉に妻は、そう、もうそんなに経つのね。と何かを思い出しているような様子で遠くを見た。


 ナイフはそのままか。わかった、もういい。考えるだけ無駄だ。吉井はナイフとフォークを手に取り食事を始めた。


 テーブルには野菜スープと主食のナンとパンの中間のようなもの、それと果物が並んでおり、みきは野菜スープを飲みながら、感情を抜きにして味だけを見れば、こっちで食べたものの中で一番おいしい。と言いいながら肩を震わせて感動していた。吉井は、まだ時間が経ってないからそこまで感動はないが、まあまあうまいという感想を持ってスープを飲み、ナンとパンの中間のような主食を手でちぎって食べていた。


「すごくおいしかったです。で、お礼といってはなんですが。お金は別で払うんで」

 みきは布袋のなかから小さな木の箱を取り出した。


「うちの村で作ってる塗り薬です。切り傷からやけどに至るまでの万能薬と言われています。奥さんも洗い物で手が荒れることもあるでしょうから」

 

 みきがテーブルに木箱を置くと、老夫婦は慌てて木箱をみきの方に戻す。


「こんなもの受け取れません!ね、ねえ? あなた」

「ああ、オーステインの塗り薬といったら、そのサイズでも5万トロンは」

 

 おいおい。なんか貨幣の単位出てきたぞ……。吉井は天井を見上げた。

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