第6話 わからないならもういいです

 え、終わり? 吉井は戸惑いながら目の前に座り込む少女を見つつ、「で、その人はどうなったの?」と訊いた。


「そんなのわかるわけないじゃないですか。いなくなってたんだし。じゃあ、約束通り」

 少女はそう言って小さなナイフを吉井に渡した。


「漢字でその壁に元号を彫って下さい」

「あ、うん。まあいいんだけど」


 全然情報が、結局なんもわからないままだし。日本人がいたってこと以外。でもこいつハゲハゲ言い過ぎだよ。若干薄くなってるんじゃないか? と日々怯えているおれからするとむかつくんだが。

 でもなんかそれを伝えると器小さいとか言われそうだし。もう詰んでるんだよな。まあいい、所詮子どもが言うことだ。大人が真に受けてどうする。

 気持ちを切り替えてナイフを受け取った吉井は、立ち上って壁に文字を彫り始めたが、思ったより作業量が多く、吉井は一文字目の途中で止め、命令の令に、昭和の和。だ。と説明した。


「へえ、昭和にかぶせてきたんですねえ」

 

 れいわ、れいわ。と口に出した少女に、「違うよ。令和↑じゃなくて令和↓だから」吉井は指で波線を描きながら言った。


「えー、でもそっち馴染まないんじゃないですか? 結局昭和に寄りそうだけど」

「まあ実際そうなってるんだけどさ。一応最初は正しい方を言っておこうと。んで魔物とかエネルギーを吸収するってどういうこと?」

「ああー。その辺は別に気にしなくても。ほんと雑ですよ、この世界。なんか生物が死んだら、その生物のエネルギーが近くにいる生物に、しゅって入るんですよ。で、それは遺伝するらしくて強い種はどんどん強くなるらしい。まあ、それは村の人の感覚みたいですけど」

「なんだよそれ……。なんとなく、いや正直わかってたけど、やっぱりここっておれらのいたとことは」

「ああー。全然違いますよ。国とか時代がっていうレベルじゃなく完全に別もんです。あと魔物っていうか、ばかみたいに強い動物がその辺に割といるっていう」

「そう言えば見たな。すげえ勢いで人を襲うオオカミっぽいの。20匹ぐらいだったかな。嫌だったけど殺した、なんか怖かったし。でも、あれ強いのか?」

 そう言った吉井は背伸びをした後、床に手を付いて楽な姿勢になった。


「え、嘘でしょ……。それ多分オオカミモドキですよ。わたし見たことないけど、激やばで1匹で村が10数個壊滅したとかしないとか、そういう」

「おいおい、そんな大げさな」

 吉井は洞窟にいた時、周りの人間の動きもスローに見えたことと、違う種類のオオカミがいたことを思い出した。


「あ、でもちょっと違うのもいたな。気持ち大きくて少しだけ他のより素早いの」

「ちょ、ちょっと!それ多分オオカミモドキ(強)ですよ! 1匹でオオカミもどき20~30匹分のっていうやつで。村だと何個壊滅させられるかもうわかんないぐらい壊滅させられるはず」

「ふーん。そうなんだ」

 吉井は興味が薄い振りをして黙り込む。


 ではなにかい。よくわからないけど、ここではおれはめっちゃ強いのかい。確かに思い返してみれば兵士っぽいのにも楽勝だったな。それに1匹で村がどうにかなるっていう動物を、え? おれは1人で。えー、まじか。おれ、そうなの?おれってそうなの? 

 吉井はくっくと小さく笑いながら手のひらを開き、そして閉じた。


「ま、まだですよ。信じるにはまだ証拠が。あなたが戦ったというそのオオカミモドキの絵をこの壁に描いて下さい。見たことないと描けないはずだから! そして見たら死んでるはずだから!」

 少女はバンバンと壁を叩く。


「絵はちょっとなあ。漢字一文字でしんどかったし。大体そっちは見たことないって言ってたし意味あるの?」

「そうでしょう、そうでしょう。そう言って逃げると思ってましたよ。大体魔物強を倒せるぐらいの力がある人がですよ、壁に力入れてナイフなんて突きつけたらですねえ。もういっちゃうでしょ、壁っていうか家自体が」


「そうか、でも今考えてみれば」

 吉井は再び立ち上がりナイフを手に取る。


「おれは加減していたよ。無意識のうちに」


 手加減なしで、思いっきり。吉井が握りしめたナイフに力を込めた。


「やっぱりちょっと待って!」

 少女は壁に手をかけようとした吉井にしがみついてナイフを奪う。


「ごめんなさい。信じる、信じますから。なんか家が壊れる映像が見えたんですよ。ほら、日本人共通認識のあれっていうか。こう、経験的に……」

 涙声でいいながら吉井を見つめた。


「いや、そっちがやれって……。あ、そうだ。きみって名前は?」

 吉井はナイフを握りしめて座り込んでいる少女を見た。


「わたし? みきです」

「わかった。おれは吉井。名字は」

「あー、名字。懐かしいですね」

 みきはふっと息を吐いた後、部屋の天井を見上げた。


「それは置いてきましたよ、前の世界に。こっち来てから色々あったし」

「わかるよ、色々あったんだろうと思う。具体的にはわからないけど」

「そんな一言で済まされるようなことではないんですよ! 本当に、色々。あ、そういえばわたしこっちの言葉でしゃべってるのになんでわかるんですか?」

「ん? ああ、そうなの? ちょっと違和感あったけど。プライベートブランドのコーラを飲んだ時ぐらいかな。二口目からはもう別にっていう」

「そういう問題じゃ。あれ? じゃあ最初ってピザ以外もわかりました?」

「うん。まあ普通に」

「いやいや! さっき来たばっかりで何で! わたしの外国語習得能力の高さと10代特有の柔軟性があっても3年掛かったんですよ! わたしの努力、根性、愛嬌で培った時間が……」

 みきはその場で崩れ落ちた。


「大げさだな。なんか普通に理解できたけど」

「えっとじゃあ」


 みきは、ちはやふる、からくれないに、からくれない、からくれなくて、からくれない。とゆっくりと吉井の目を見て日本語で言った。


「ああ、日本語っていうか百人一首ね。なんか適当だな」

「おお、違いがわかるんですか!」

「なんだろう。しいて言えばすげえ英語が分かる感じで分かる」

「なるほど、じゃあこれは?」


 続けてみきは、エブリデイ、エブリデイ、毎日、明日も、エブリデイと抑揚をつけながら言った。


「うーん。なんか変な感じだなあ。英語混じってくると」

「へえ。ちなみにスニーカーは?」

「それは大丈夫。違和感ない」

「エブリデイは英語扱いなんですねえ。まあわかりましたよ、低偏差値で毎日スニーカーを履いて生きてきたんだなあって」

「いいよ、そこは否定しない。大人だからな」

「まあいいでしょう。言語問題、オオカミモドキ問題は一旦棚上げして、今はそれより重要なことがあるんです」


 みきは部屋の隅にあるヤカンのようなものからコップに水を入れ、「アニメって観ますか」と吉井をまじまじと見ながら目の前に置いた。


「うん、まあまあってとこかな。同級生に好きなやつがいて」

「やった! じゃあ。エバーの最後どうなったんですか? これだけは知っておきたくて。観てるはずですよね、まあまあっていうぐらいなら!」

「はいはい、映画版ね。そして君はその言い方ね。でも残念だけど、まだ終わってないんだよ、あれ」

「はあ!? 予定ではとっくに終わってるはずっていうか。あれから何年経ってると思ってるんですか! わたし小学生の頃に知って」

「まあ、要はだな」

 吉井は目の前にあった水を飲んだ。


「そうとう大変だったんだろう。監督がちょっとね、若干疲れてしまったっていう」

「……またですか。どんだけ心身壊してるんですか。あの人は」

「そういう言い方はよくないな。それだけ過酷ってことだよ。あのアニメは」

 

 あ、でも他の映画も作ってたしな。と吉井は思い出したが、話がややこしくなりそうなので黙っておいた。


 なんてこった。そんなことが。3年が、わたしが待った3年が。とぶつぶつ呟きながら、正の字が書かれた壁をしばらく見つめた後、みきはゆっくり立ち上がった。


「お、どこ行くの?」

「エバーの最後がわからないならもういいです。それでは気を取り直して案内しますよ、わたしが住む村を」

 

 ああ、また外に行くのね。吉井はみきに続いて家を出た。

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