第16話 旅立ち前

 仕事を終えた築人が神社の石段を下りていくと、そこには内海が迎えの車を止めて待っていた。

「お疲れ様でございます、築人様」

 そう言ってお辞儀をする内海。

 内海の腕は、築人が幼少の頃と比べるとほっそりとしていて、朽木のようであった。また、その顔にも皺が増えていて、時の流れを如実に刻んでいた。


 車は藍色の空の下を進む。日が沈んで夜のより深い青を待つ街を、築人は眺めていた。


「それにしても、よかったのでしょうか?」

 内海は唐突に、築人に問い掛ける。

「何が?」

「緊急の任務とはいえ、"入寮"を明日に控えているのですから、今日くらいは他の者に回してしまって、明日に備えて屋敷のほうでゆっくりとお休みになられた方がよかったのでは……」

「ああ、別にいいのさ。任務は手早く終わらせておいた方がいい。今回の妖魔はあの神社に陣取っていたからよかったものの、これが人里とかに降りてきたなら、事態は一刻を要する。そんな事態に備えて、こういう対応は常に出来たほうがいい」

「それはそうなのですが、なぁ……?」

 内海は眉間に皺を寄せた。

 少しばかり微妙な雰囲気が車中に漂った。

 しかしながら、外を眺める築人の肌には、その気を感じとることは出来ていなかった。


 築人は十五歳となり、この春、かつての葵と同じように園條家を離れ、陰陽師を育成する専門学校、私立六道館学園に入学することとなったのである。六道館学園は全国に七校存在し、築人が入学するのは東京、八王子市内にある東京校であり、それに合わせ、築人は千葉から上京し、六道館学園指定の学生寮に入ることとなったのである。


 園條の屋敷に戻ると、築人は夕飯の後に自室で、寮まで持ち越す衣服や日用品などの私物、術に必要なもろもろの道具の確認をした後、

「しばらくこの家ともお別れか……」とどことなく、染々とした侘しさを感じて、縁側に座り込んで、ぼうっと夜空を眺めることにした。誰と話すでもなく、一人で、この家の匂いが染み付いた夜風に当たっていた。


 しばらく、そうしていた。すると、

「築人、ここにいましたか」

 築人の元に朔がやって来た。

「母様」

「あなたは本当に、ここが好きですね、小さい頃から、ずっとここにいた」

「……ええ、ここから見る夜空は狭いけど、澄みわたっているように見えるんです」

「ふふ、我が息子ながら、ロマンチストですね」

「そうかな?」

「ええ」

 朔は築人の隣に座り、同じ夜空を見る。

 少し目を細めて月を見つめると、朔の口元はきゅう、とした。


「築人、少しだけ、話をしても?」

「……? いいですけど」

「……ありがとう」

 朔はつぐみかけた口を開き、問う。

「築人、あなたは……この家に生まれて、幸せでしたか」

「ええ、幸せですよ」

 築人は一切の屈託なく答えた。そして、築人は聞き返す。

「でも、急にどうして?」

 朔は心苦しそうに話す。

「陰陽師の家に生まれた者は、陰陽師か、陰陽道の者になる道以外にない……その為に、幼い頃から厳しい修行を課してきました。葵にも、あなたにも。それにあなたには、葵よりもずっと厳しく、過酷な修行を強いてきました。あなたの才覚を考慮したものとして……」

「……」

「あなたが陰陽師の修行を始めてから、十年。わたしはずっと、考えていました。『あなたは、ここにいてよかった人なのか』と。俗世との関わりを殆ど絶たれ、学校にも行かずに修行と討伐の日々。これでよかったのか、と。もっと、普通の生活をさせてもよかったのではないか、と」

 苦しそうに朔は話し続ける。

「それでも……あなたは。この生活が幸せと、今、そう言った……それは、あなたがきっと、陰陽師を天性として産まれてきたから、なのでしょうね……」

「天性……」

「……ああ、上手く言葉にできないわ。ごめんなさい、変なこと言って、一人の時間を邪魔しちゃって……」

「いえ、そんなことは」

「わたし、もう寝るわ、おやすみなさい。築人。明日は早いから、あなたもあまり夜更かしせずに休んでね」

 そう言うと、朔はそそくさと奥へと去っていってしまった。


 母様、あなたは────


 築人は朔の後ろ姿を見なかった。


 ◇


「じゃあ、行ってきます」

 出立の朝。

 園條の門前には多くの門下生が集まり、総出で築人を見送っている。

「うおぉお~ん! 築人行っちゃうのォ~寂しい~……さみしみ……さーみーしーいー!」

 見送りに来た葵が築人に抱き付く。

「うおっ……もう姉様、暑苦しい……」

「ひどいィィ~……」

 築人は抱き付く葵を振りほどき、その後、晃や朔達を見て、改めて「行ってきます」といって、内海の待つ車へと向かった。


 バタン、と車のドアが閉まって、車が走り出す。門の前の人々は各々の別れの言葉を紡ぎ、走り行く車に贈っていく。


 その言葉を乗せた追い風と共に、車は東京へと向かっていった。

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