第15話 山姥と思い出

「ええ、まあ。そんなところかな。あなたこそ、こんな夕暮れに?」

 築人は老婆に、にこやかな顔で応える。

「ええ、朝と夕方。一日二回。参拝と掃除をね」

「ふぅん……」

「あ、あなた。どうしてこんなぼろっちい神社に、って。そう思ったでしょう?」

「いや、そんなことは……」

「いいのよ。ま、ちょっと話をさせてね。わたしお婆ちゃんだから、つい、自分のことを話したくなっちゃうんよ」


 そう言うと、老婆は自分と、この神社についてのエピソードを語り始めた。

「ここはねぇ、思い出の神社なんよ。うちの……もういなくなっちゃったお爺さんと、学生の時よくここに来たの。今言うなら、でぇと、って言うんかねぇ」

「参拝以外に何をするわけじゃないんだけどねぇ、ここにいて、話をするだけで楽しかった。春は藤がね、この山中に咲いてね……いい匂いがするのよぉ」

「結婚してからも私達はこの神社が大好きだった……お互いどれだけヨボヨボになっても、ここに来れば、あの頃に戻れるの。お爺さんがいなくなってしまった後も、この神社があれば、私は思い出の中であの人と会えたんだ……」


「だから、絶対に許さない。この神社を壊してしまおうとする人間は、絶対にね!」

 唐突に、風を切る音がした。築人の元に、高速の脚が迫る。アクション・スターも問題ではないと言う程の飛び蹴り。築人は咄嗟に防御し後退、老婆と距離を取る。


「やっぱりね……」

「騙されないよ、オマエもそうだろう。知ってるんだ、オマエと同じくニオイをする奴を私は何度も追っ払ってきたんだ。オマエもこの神社を壊そうとしてくる地上げ屋の一派だろう!」

 激昂した様子で老婆は捲し立てる。


「違う、と言っても、聞かないよな」

 築人は少し呆れながらそうごちた。

 ────もっとも、俺の目的は神社じゃなくて、このお婆さんな訳だけれどもね。


「この神社に二度と立ち入れないようにしてやるようッ!」

 老婆がそう言うと、その激昂した顔は般若の面のような異形と化して、白髪は逆立ち、手先は禍々しく歪に変貌し、両手の爪は指の肉を裂いて、ナイフの様に鋭利に伸びる。

「こいつが、"山姥やまんば"ねぇ。いくらなんでもひどい名前だと思ったけど、これを見たらあながち間違いじゃないみたいだな」

 そう言うと築人は刀を抜き、構える。


 山姥やまんば。それは、妖魔に変貌した老婆の仮の名である。


 山姥。それはその名の通り、山に住まう老婆の妖怪の名前である。全国にその伝承があり、山姥を題材にした著名な昔話として『三枚のお札』があり、そう言う面もあって一般的な知名度も高い妖怪だ。


 陰陽師の世界において山姥は、定期的に、なおかつ偶発的に発生する、ある程度決まった特徴と傾向を持った人界型妖魔の一種、その総称になっている。実のところ、全国に伝わる山姥伝説も、この人界型妖魔『山姥』によるものであることが多い。

 

 つまるところ、この妖魔も現代に現れた山姥そのものである。


「シャアァっ!!」

 山姥が築人を襲う。ひゅんひゅんと山姥の爪が空を切り、弧を描き築人を襲う。それを築人は目にも止まらぬ剣捌きで受け流す。


 ────かなり速いな……しかし速いだけ。これなら他の陰陽師でも十分倒せる筈だが、まだ何か隠し球があるのか?


 この山姥は発生以降、この神社に立ち入った人物を次々と殺害し、討伐の為にこの神社に立ち入った陰陽師達を次々と襲撃し退けていた。内訳としては、三位陰陽師を四人、二位陰陽師を三人。いずれも重傷であり、再起不能レベルの重傷を負った者も一人いた。それ故に、一位陰陽師たる築人に山姥の対処、討伐の指令が下り、今に至る。


 繰り出される爪の攻撃。それを一通り受け流されると、山姥は後ろに跳躍し、社の屋根に登る。


「許さなイ……思い出をォ……壊させはしないィィィィイ!」

 山姥の頬が裂けて、大きな口がぐばぁっと開いた。すると、山姥の舌が八つに分裂し伸び、怒れる蛇の如くのたうち回る。


「ハァァァァッ!!」

 その舌はギュンと伸びて鞭のようにしなり、荒れ狂いながら虚空を駆ける。


 ビュンビュンと至るところからソニックブームが聞こえる。


 ────なるほど、そう言う事か。音速の鞭は研ぎ澄まされた刃と同じく、肉ごと腸を切り裂いてしまうという。これはそういうことか。

 音からして前も後ろも側面も鞭に包囲されている。幾つもの鞭による全方位オールレンジ攻撃。他の陰陽師はこれにやられたというわけだ。


 築人は刀を構え直し。目を閉じる。


 ────視覚は宛にしない方がいい。下手に一方だけを捉えられたとしても、そこに意識が行く。これじゃあ、正面以外からの同時攻撃には対応できない。


 精神集中。聴覚や肌の感覚を研ぎ澄まし、視覚以外で空間を把握する。


 ビュン、ビュン、と鞭の音。

 バキバキ、バキャリという、木々が切りつけられる音。

 空がまるで、鞭に覆われてしまっているような錯覚を、築人は感じた。

 

 そしてついに、鞭は築人へと迫る。


 ────そこだ!

 築人は体をターンし、築人から向かって南西の方向に来た鞭を切り払う。しかしそれと同時に、西方と北方からほぼ同時に攻撃がくる。築人は目にも留まらぬ速度で二つの鞭を切り払う。しかし、


 ギュゥゥン! という轟音と共に、全方位から八つの鞭が迫る。


「させない!」


 築人は身体を回転させながら、刀を振るい、一つ一つ的確に、しかしながらほぼ同時に切り払う。そして、全て切り払うと神社の社へと向かう。


「ギギギ、ギィィ」

 山姥は呻き声を上げながら鞭を振るう。

 築人は身を躍らせるようにしてそれを次々と切り払う。そして築人は境内の端にある樹木を思い切り蹴り、高く跳び上がり、そして、神社の屋根に着地した。


「ヌゥゥ……」

 山姥はこれを見ると、舌を螺旋の形で収束させ、ドリル状にする。そして、それを矢を射出するように放つ。築人は臆せず突貫する。


 築人の剣が、山姥の舌を捉える。

 ガガガッ、という音と共に、剣と舌はわずかに拮抗したが、剣が直ぐに舌を切った。

 築人は走り、その舌を一気に切り裂く。そして、その剣はついに山姥を捉える。


「ッ!」

 築人は一気に山姥の顔を口から両断した。

 山姥の上顎から上は、ぬるり、として下顎という皿から落ち、司令塔を失った山姥の身体は力なく倒れ、塵と化した。


「……」

「……さようなら。どうかせめて、愛する人の元へと召されますように」

 築人はそう言うと、刀をしまい、数秒、黙祷した。



 

 

 



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