~無名の蹂躙~(『夢時代』より)
天川裕司
~無名の蹂躙~(『夢時代』より)
~無名の蹂躙~
夢病(むびょう)の隙間にぽんと浮き出た「父親」を観て、俺の〝夢遊劇(コント)〟は焦点(ピント)を擦らせず父性(ふせい)を観て居り、〝橙色(オレンジいろ)した怜悧な戯曲〟が〝夢遊劇(コント)〟の隙間に迷走し始め、俺の「背後」は苦し紛れに親父の化身(かわり)を哀しく観て居た。
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親父がヘルペスで手術した事になっており、その傷が再び開いて、俺は知人の看護婦と一緒に病院まで行く所で目が覚めた。その看護婦にくっ付いて来、共に来る事に成ったのが、俺が嘗て修養会で会った(外での写真に写る、一番右端から二番目)の少々背が高く、黒ジャンを着た男と、その黒ジャン男にくっ付いて来た少し足りないように見える小肥りの旧友のような男だった。その病院というのは、大御所のような病院であり、先ず、手術に必要なストレッチャーが完備されていて、それを取りに戻ろうとでもした、細い肢体(からだ)をして少し不良っぽいS看護婦の助力を借りて俺はその時、父親の行き付け(掛かり付け)の病院から取りに行って来る。
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女性(おんな)の主情(こころ)が俺の背後へ忍び寄る内、段々日暮れて夜を呼び寄せ、漆黒(くろ)い周辺(あたり)を充満させ行く未知の気配が操られ活き、俺の表情(かお)にはSに対する憧憬(あこがれごころ)が緻密に湧き出し血色を変えた。幻(ゆめ)を見ながら俺の途次には、果ての見得ない景色が拡がり、果ての見えない自然(あるじ)の無垢には、Sに彩(と)られた烏合の交響(ひびき)が血色を化(か)えられ染色され行く。親父の背後に〝狐火(きつねび)〟にも似た真っ赤な余裕(ゆとり)が女性(おんな)に操(と)られて、親父の動悸(うごき)は幻(ゆめ)に見紛う斬新(あらた)な遺棄から脚色され活き、俺の精神(こころ)は無想の間(ま)に間(ま)に、特殊な戯曲を詮索する内、波紋に呼ばれた現行(いま)に還され、うとうとする間(ま)も慌てる間も無く、端正(きれい)な容姿(すがた)で幻(ゆめ)から醒めた。寒い日の内、俺に彩(と)られた幾多の精神(こころ)は純白(しろ)い気迫に陶酔して活(ゆ)く過去の魔の手が血色を化(か)え、俺の未来(さき)へとずんずん独歩(ある)いて死滅するのは、極限(かぎり)を識(し)らない俗世(このよ)の万葉(ことば)に大きく関わる。安易な返応(こたえ)は複雑怪奇に周到するのに単に分れぬ迷想(まよい)の一滴(しずく)は華(あせ)の数滴(しずく)に満ちる事無く、俗世(このよ)の遊戯にその身を染め行く愚図の教師を顕著に仕上げる。俺に見果てぬ琥珀色した俗世(このよ)の流行(ながれ)は何時(いつ)まで経っても他(ひと)を立てずに、遠い目的(あて)にて怜悧(つめ)たく棚引く紋黄(もんき)のの軽薄(かる)さへその実(み)を発(た)てられ、明日(あす)に咲かない〝苦労の花〟には徒労の意気地が微妙に絡まる愉快な労徒(ろうと)をその身に上げた。段々〝流行(なが)れ〟が加速して生く俗世(このよ)の〝故意〟から不意と脱(ぬ)け落ち、気象の行く手に俺の精神(こころ)は推測を得ず、自分の徒歩から慌てふためくその実(み)の脂は気性へ依らずに減少していた。現行(いま)の現行(いま)まで誰も識(し)らない幻(ゆめ)に纏わる〝過酷〟の行方は、俺に彩(と)られる初春(はる)の春日に奇異の文句を順々並べて、他(ひと)の孤独が如何(どう)で在っても、自然(あるじ)に灯らぬ他(ひと)の体温(ねつ)には個人(ひと)を成さない脆(よわ)い影響(かげ)だけふいと浮んで、結局俺から幻夢(ゆめ)に問われる雲母の体(てい)してその身を消し生く。経過(とき)を排して俺の夢惑(むわく)が小躍(おど)って居る時、俺の記憶は誰にも識(し)られぬ未知の文句(ことば)を並べているのだ。女性(おんな)の経歴(きおく)にひょろりと佇む俺の従順(すなお)の生粋(もと)の強靭(つよ)さは、誰にも識(し)られぬ黄泉の許容(うち)から暫く蹴上がり鎮静に在る。漆黒(くろ)い陽光(ひかり)を頭の上から足元(ふもと)に見る時、俺の前方(まえにて柔く佇む未知の生粋(もと)には、人間(ひと)の流行(ながれ)に常に沿えない俺の版かが体表を得る。俗世(ぞくせ)の主(あるじ)が誰であるのか、純白(しろ)い衣を揺らす生歴(きおく)は自然(しぜん)に対する無為の幻夢(ゆめ)にも両手を通せぬ眠りに包(つつ)まれ、孤独の主観(あるじ)に相対しながら俺の規律(おきて)は男性(おとこ)を葬り、女性(おんな)に連なる男性(おとこ)の表情(かお)には終ぞ止(や)め得ぬ暴力(ちから)が空転(ころ)がり、明日(あす)の経歴(きおく)は明日(あす)へ還ると、暗(やみ)に紛れた〝死角〟の角(かど)には宝石(たから)が積まれて媒体(メディア)が解(と)けた。夢幻(ゆめ)を賄う現代人(ひと)に操(と)られた媒体(メディア)の発声(こえ)には、文句(ことば)の通じぬ潔白(しろ)いどもりが宙(ちゅう)に吊るされ〝暴力〟を識(し)り、金(かね)の価値へと人間(ひと)を誘(いざな)う奇妙の言動(うごき)は、幼児(こども)にも似る幻(ゆめ)の言葉が幻夢(ゆめ)に失(き)え行く常識(かたち)を立てた。現代人(ひと)の記憶は男女に象(と)られた夢遊病へと一歩を乱さず追随して活き、如何(どう)にも操(と)れない個人(ひと)の言動(うごき)を旧来(むかしながら)の思慮に操(と)らせて〝闇討ち〟にも似た淡い現行(いま)へのはにかみを観て、俺の前方(まえ)では純麗(きれい)に落ちない堕落の正義を万葉(ことば)に化(か)えた。〝幼児(こども)〟の周囲(まわり)に知識が飛び交い、俺の心身(からだ)は何処(どこ)へも跳べない身軽の輪舞曲(ロンド)を気軽く歌い、〝蝙蝠傘〟から未完(みじゅく)が溢れる知的の遊戯を観覧して居る。従兄弟の幻(ゆめ)でも俺の精神(こころ)に添い遂げられない人間(ひと)の我力(がしょく)の反復が在り、活き活きして来る俗世の〝語り〟は赤茶(あかちゃ)け顔して古巣を飛び交い、俺と〝幼児(こども)〟の憂鬱表情(ゆううつがお)から意気地を失くして鷹揚足る儘、宙(そら)の彼方へ失(き)えて咲かない個人(ひと)の限界(くぎり)をその掌(て)にしていた。人の頭上(うえ)へと感覚(いしき)を割かせず狂い咲くのは個人(こじん)の限界(かぎり)に揚々似ている人の余命(いのち)の謳歌に在って、〝螽斯〟に見る幻(ゆめ)の焔(ほむら)が瞬く間にして消えて行くのを、〝幼児(こども)〟も成人(おとな)も俺の前方(まえ)にて生転(せいてん)しながら、俗世(このよ)に割かせぬ自由の規律(ルール)を束縛して在る。〝幼児(こども)〟の遊戯は宙(そら)の目下(ふもと)で大目に見られて、俺の背後に真面に立つのは〝苦し紛れの浪曲〟であり、老いて追われて歪曲して生く人間(ひと)の生命(いのち)に気性を識(し)りつつ、未(いま)に満ち得ぬ夢遊の表情(かお)した傀儡(どくろ)の群れには、結局現行(そこ)から〝流転〟を示せぬ現代人(ひと)の憐れの歪曲が在る。歴史の経過(ひも)から宙(そら)へ拡がる無数の記憶の文句(ことば)の陰から、俺の生歴(きおく)が暗間(やみま)に活き生く諮問の穂先が余命(いのち)を揶揄い、寒い風には失走(しっそう)して行く波紋の揺らぎを空気(しとね)に観た儘、裸足色(はだしいろ)して宙(ちゅう)を駆け生く〝二点の海馬〟が無体(からだ)を蹴上げて、俺が生き行く白銀(ほし)の面影(かげ)へと瞬間(とき)の静間(しずま)に並んで発(た)った。自分のidentity(みもと)を説明出来ない無憶(むおく)の集成(シグマ)に対峙する内、俺の密かな具現の集大(シグマ)は暗(やみ)の身許へ向かって独歩(ある)き、文句(ことば)の陰から二局(ふたつ)に重なる無縁の豪華が欠落して活き俺の幻(ゆめ)には、初めから在る神秘の縺れが物を言い出す。何故(なぜ)に現行(ここ)にて生きて在るのか、自分の身元を説明出来ない滑稽(おかし)な自局(じきょく)が自明を擡げて正義を頬張り、明日(あす)に跨る無機の愚かを現代人(ひと)の愚昧(おろか)にぴたり重ねて、朝日が凍てつく静かな〝運び〟を意識して活き、俺の身元を少し離れた自然(あるじ)の大喝(こえ)から欠伸を聞いた。幻夢(ゆめ)の解(ほつ)れが「明日(あす)」へ来る迄、旧来(むかし)の生歴(きおく)は俺を酔わせず自分の文句(ことば)を純粋(もと)に正して独創(こごと)に根付かす〝幻(ゆめ)の大家(たいか)〟を俺は気取った。如何(どう)でも好い儘「経過」が流行(なが)れる〝狭筵(むしろ)〟の奥義(おく)には、俺の延命(いのち)を上手に束ねる旧来(むかし)の〝地鳴り〟が柔(や)んわり交響(ひび)き、〝昨日の歩陰(ほかげ)〟にひっそり灯れる〝神秘〟から成る無適(むてき)の進化は、俺の前方(まえ)にて歩幅を拡げる無為の記憶を自活に置いた。自然(しぜん)のidentity(みもと)は俺の両眼(まなこ)にふらふら蹴上がり、純白(しろ)い〝寡〟が俺の目前(まえ)から失(き)えて果てる頃、一喝され行く宙(そら)の重味(おもみ)が経過(とき)を忘れて文句(ことば)を阿り、「明日(あす)」の夢魔(むま)から生歴(きおく)を割かせる余韻(あまり)の〝向き〟など調整している。生きる躰の所々で俺に彩(と)られた血色が発(た)ち、そうかと言って脳裏の〝裏〟では個人(ひと)の生歴(きおく)を超絶して活(い)くmonkの共鳴(さけび)が真面に活して、初めから見る自然(あるじ)の身許に徘徊(まよ)う記憶を〝無憶〟の彼方へずんずん放れる緻密な生器(せいき)と遠算(えんざん)して居る。潔白(しろ)い〝吃り〟が俺の目前(まえ)から記憶を失くして、俺の刹那にこれ程象(と)られた無憶の集成(シグマ)は個体から擦(ず)れ空気(しとね)に群がり、厚味(あつみ)を成せない果(さ)きの〝古巣〟に、俺が仕留める器用な〝仕打ち〟が「空転(まろび)」を忘れてじっとして居る。個人(ひと)の吐息は生体(せいたい)から成る〝向き〟の暗(やみ)にて、血色(ちいろ)を灯して杏子へ群がり、人間(ひと)の経歴(きおく)にじっとしてない生体(からだ)の流転(ころび)を黙視している自然(あるじ)の照輝(てか)りは宇宙に冴え活き、「地球(わく)」の許容(うち)での活生だけ識(し)り、暗(やみ)へ堕ち行く前途を自滅(ほろ)ぼす現代人(ひと)の進歩を静観する折り、〝生(せい)〟が束ねる愚直にも無い、儚い稚拙が小躍りしていた。〝夢魔(むま)〟の吐息は憐れに飛び交い、無数の暗間(やみま)を潜(くぐ)り抜け堕ち、生(せい)の〝進歩〟の生粋(もと)を採らない公明順序の御蔭(みかげ)に隠れて、人間(ひと)の進化を冷観(れいかん)している愚直の進化を遂行して行く。生(せい)の向きから性(せい)の向きへと人間(ひと)の進歩は揚々戯れ、徘徊して生く奇跡の体現(あらわ)を無感の許容(うち)にて体験して居り、「明日(あす)」の経歴(きおく)と今日の経歴(きおく)を体現(たいげん)出来得る苦労の狭間に抜け落ちながら、「使徒」の記憶を一旦忘れて性(せい)の堕落を享受している。
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俺は何故(なぜ)でも一緒にくっ付いて来たこの二人の男が滅茶苦茶に憎らしかった。そいつ等はこんな時でも、女欲しさに、女の尻を追い駆ける様(よう)にして出て来て居たのである。本当に現代男(げんだいおとこ)は、女に弱く、行為は稚拙で精神(こころ)は幼稚で、女が居なくては生きる喜びが一つさえ持てない〝女の尻ばかり追い駆ける男〟が現代どれだけ多いかを、俺は痛感して居た。黒ジャン男は、とぼとぼ早足で結構離れていたその病院まで行く途中で、S看護婦のスナップ写真でも撮るかのように写真を歩きながら撮っており、もっと(後ろから見て)良い絵を撮りたいからオーバーアクション(両手を伸ばしてびっくりするようなポーズ)をしろ、とでも言わんべく、黒ジャン男はカメラを手に持ちながら撮る前に両手を上げ、口を大きく開(あ)け、ギャル夫(お)の様(よう)に目を輝かせていて、その腰磯巾着のような小肥りの旧友も黒ジャン男の機嫌を取りつつ、Sの乱れた姿を見て楽しみたいと言った様子で、その黒ジャン男と共に両手を上げ万歳の形をして上げて居た。しかしそれとは別に、親父が居た病院の内にはストレッチャーが置かれた病院が無くて、こんな外の離れた所に何であんの?と言った疑問が頭を過った。
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現代人(ひと)の生気が自然の幻(ゆめ)にて落第して行く奇跡の身許に順々飛び交い、忙(いそが)しさに鳴る自分の馬具(あづみ)は紺(あお)い血色(ちいろ)に〝自己(おのれ)〟を咲かせず経過(じかん)を侍らせ、瞬間(とき)の〝雲母〟にその実(み)が名高い琥珀の銀河を放浪している。自分の生体(からだ)と景色の根拠(ありか)が迷走して活き結託して居る未知の廃墟が堂々仕上がり、俺の身許(もと)から生順(きじゅん)を報せる無為の欠伸は煌びやかに在り、牙城(とりで)の落ちない〝孤独〟の歩陰(ほかげ)は今日を離れて「明日(あす)」へと出向き、端麗(きれい)な表情(かお)した〝花魁〟達から生(せい)の息吹を真面に得ていた。嫌いな男性(おとこ)が現代人から真上に飛び跳ね、自分の〝向き〟から気性を生育(そだ)てる不意の順序は疎かとの成り、今後に活き得る屍(かばね)の労力(つとめ)を無残に棄て去り精神(こころ)を止めた。純白(しろ)い表情(かお)から現代人(ひと)に束ねる感覚(いしき)が仕上がり、生きる初(はじめ)に独創(こごと)を交わせる〝詰らぬ男女(なんにょ)〟が自由に解け得て、苦し紛れの浪曲から得た自分の活路を充分取り出し、自己(おのれ)の表情(かお)から「愛」を漏らせぬ愉快な堕落を痛飲して生く。現代人(ひと)に産れた強靭(つよ)い嫉妬は人の孤独を嘲笑しながら自分に採られた数多の〝孤独〟を宙(そら)へ投げ置き自活を拾い、稚拙な態度で行進して生く幼稚の〝合図〟と共歩(きょうほ)に努め、自己中意識が独活(どっかつ)して行く自分の足場(ふもと)を上手に締めた。締めた果(さ)きから自活に操(と)られた現代人(ひと)の諸刃(やいば)は俗世(このよ)で活き得る唾棄の淀みに感嘆する儘、独語にひねもす露わな両肢(りょうし)を気迫に仕上げ、他(ひと)を殺して自活に拝する円らな微温味(ぬるみ)を両眼(りょうめ)に得ていた。狂い咲きする自我の醜味(しゅうみ)は爛れた古傷(きず)さえ上手に舐め取り、唾棄に伏し得た硫黄の臭味(あじ)から不遜の節度を丈夫に建て活き、自己(おのれ)の未完(みじゅく)に生(せい)を保(も)たさぬ〝空威張(からいば)り〟を観て好(よ)しとしていた。文句(ことば)の果(さ)きには歪小(ちい)さな正義が卑屈に敗れて不遜を喰い果て、自己(おのれ)の運びに自由を漏らさぬ正義の陰では、現(うつつ)に仕上げる現代人(ひと)生気が俄かに固まる、不慮の交響(ひびき)がその実(み)を見せ付け、数多掲げた脆弱(よわ)い〝正義〟は現代人(ひと)の微温(ぬるま)に放られていた。〝淫乱坊主〟が俺の元から何処かへ行くまで伸びをした儘、男性(おとこ)と女性(おんな)の身軽の様子を心行くまで堪能しておき、何時(いつ)まで経っても〝恋〟に尽きない徒労の努力(ちから)を馬鹿にしていた。腕力(ちから)の差を立て脆弱(よわ)い立場に胡坐を掻いて、男性(おとこ)の脆味(よわみ)に繫(しげ)く付け込む女性(おんな)の初歩(いろは)を得意気に採り、女性(おんな)の人影(かげ)には男性(おとこ)に寄れない不良の一連(ドラマ)が端在(たんざい)している。何時(いつ)から観たのか女性(おんな)の両脚(あし)には大きな桎梏(かせ)から小さな桎梏(かせ)まで、あらゆる蛇脚(だきゃく)が自然に顕れ、互いの脆(よわ)い差は性器に纏わる脆(よわ)さに成り立ち、寸断されない両刃(もろは)の主観(あるじ)は男女に化け活き姑息に在った。紺(あお)い〝旧巣(ふるす)〟は俺に採られた〝律義〟の枠から、動揺しながら衰退して生く無能の冥利を確保して生き、女性(おんな)の下手(したで)を下手(へた)に認めず、謳歌して生く無能の競技に新参して居た固陋の酒宴(うたげ)に楽観している。主観(あるじ)を失くせる俺に象(と)られた無為の欠伸は、白紙に彩(と)られた〝律義〟の様子を言葉に据え置き行動する儘、過去に活き得た高い目次を自分に宛がい、苦し紛れの〝生(せい)〟の許容(うち)から高嶺へ出向いた耄碌さえ在り、高踏して行く無難の企図にて読み売りしていた。〝読み売り〟され行く文句(ことば)の陰から夢遊が擦(す)り抜け、慌てふためく現(うつつ)の門戸が門口(かどぐち)には立ち、〝固陋〟を射止めた純(うぶ)の契機に四旬(しじゅん)に誂う生味(なまみ)が空転(ころ)がり、その場その場で影響され行く姑息な仕業が虐待するのは空気(しとね)に巻かれた脆弱(よわ)い気迫の追随でもあり、「明日(あした)」の労苦に「四旬(しじゅん)」を奪(と)られた〝孤狼(ころう)〟の弄(あそ)びが独歩に就いた。黄泉の郷(くに)から生命(いのち)に還れる不純の〝一連(ドラマ)〟は色褪せ始めて、俺と強固の悪辣(わる)い連鎖(ドラマ)は人生(ぶたい)を仕上げて明るみへと立ち、堂々巡りの〝無為〟の檻(うち)から空気(しとね)に蹴られた生命(いのち)が在っても、孤独に活き行く役者を演じた狐狸(けもの)の動静(うごき)は変らぬ経過(ながれ)に生(せい)を得ている。生気を射止める「舞台装置」の照明(あかり)へ空転(ころ)げる無為の気迫に操(と)られた美識は私闘に会(まみ)える自己(おのれ)の瞬間(せつな)に吐息を漏らし、逸(はや)く流転(ころ)がる生来(もと)の流動(うごき)を大事に観る儘、自分の立場と自然(あるじ)の立場に、白壁(かべ)を隔てぬ膨(おお)きな檻(かこい)を努々隔て、〝生(せい)〟を侍らす〝許容(かこい)〟の生粋(もと)から私順(しじゅん)を隔てる遠い楽園(パラダ)を画策していた。順局から成る〝無為〟の流動(うごき)は固陋に燃え立ち、紅(あか)く仕上がる姑息の〝文句(もんく)〟を俺に仕立てて外方(そっぽ)を向きつつ、挙句に見果てた自己(おのれ)の夢想(ゆめ)には余命(いのち)が無いのを不純に報され、悪態吐き生く無想に隔てた自己(おのれ)の主情(あるじ)は生歴(きおく)を見捨てて宙(そら)へと還る。
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さて、何故ここまで来たのかと言うと、父親が目を充血させながら〝一寸(ちょっと)手を貸して、如何(どう)にかしてくれるか?…〟と俺に告げ、母は片麻痺していて駄目だから、俺を頼りにストレッチャーを取りに行かせた事もあるが、その以前(直前)に、教会に居る、慌てた長老のような禿げた男が、昼飯を食っている様(よう)で宙を見ていた俺の傍(そば)まで来て話し掛けてくれた事が、伏線のような契機(きっかけ)として在ったのだ。丁度昼時で、親父が飯を食い、他の患者も天気が良いからと、廊下や縁側(テラス)へ出て食べる人が多く居、親父の場合は、もう直ぐしたら受付で事を済ますから、と、要領を考えた上での事で、そのロビーで飯を食って居たのである。少し体が肥えて、恰幅に威圧感さえ燈したその禿げた男は、俺の傍(そば)まで近付き、俺が持っていたホスピタル・ミールを乗せた食物の内からサラダを指でほんの少し摘まみながら、ぴちゃ、ぴちょ、と音を立てて食べて、ほんの束の間(俺には少々長い間に感じられた)沈黙した後、少し離れた隣で一緒にホスピタル・ミールを食べている俺の父親の方を俺に見せながら、もう長くない、といった事を教えてるように肩押しつつ俺に凍えで(父親に気付かれないように)、俺に話して来た。
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宙(そら)にどよめく発声(こえ)の他には孤独に満ち行く気楼(きろう)が悶え、俺の精神(こころ)は何処(どこ)へも行かずに現行(いま)の一重(ひとえ)に苦悩を訴え、寂しがり屋の宇宙の寝言を独創(こごと)に捕えて憤懣を識(し)る。馬酔木の木に鳴く烏の群れには〝私闘〟に費える寡の〝旧巣〟が塗工に埋もれて苦悶して居り、見果てぬ幻(ゆめ)には誰にも識(し)り得ぬ見方の賛否が〝両刃(もろは)〟を鍛えて自分を顕し、臭味(あじ)の無い画(え)を苦労に迷わせ俺の背後(せなか)に堕とした幻(ゆめ)には、真白(しろ)い生歴(きおく)が平々(ひらひら)跳び交う誠の長寿が散漫して居た。恥の成る〝木〟が宙(そら)に生え活き、味覚の無い〝画(え)〟を無効の幻(ゆめ)から順繰り引き寄せ、俗世(このよ)の土地から黄泉(あのよ)の床(とこ)まで私労(しろう)に重ねた幻夢(ゆめ)を滲ませ、初めに無い実(み)は宙(そら)の大樹にその実(み)を気取らせ、脆弱(よわ)い土には俗世(このよ)に割かず甘い熟柿の芳香が発(た)つ。無為の仕儀には欠伸に幻見(ゆめみ)る魔導が重なり、音波の抜け出る低い轍は人間(ひと)の文句を〝苦悶〟に化(か)え出し、初めに観得ない詫びの艶気(いろけ)は俺の両腕(かいな)に執拗(しつこ)く釣られて、「明日(あす)」の向けない脆(よわ)い生歴(きおく)に充分出遅れ遁世に向く。仕方の無い内、男性(おとこ)と女性(おんな)の機微に良く似た両腕(かいな)の畝(うねり)は、時空を越え出し快感(オルガ)を掌(て)に採り、白雲(くも)の真上(うえ)から空気(しとね)に跨げる強靭(つよ)い経歴(きおく)に酔倒(すいとう)して生き、苦労の絶えない脆(よわ)い火照りが現代人(ひと)の真横を直ぐさま過ぎ去り、狂う間も無くどんより独歩(ある)ける無為の生歴(きおく)に蹂躙され生く。手許に無いのが生命(いのち)の値踏みと生歴(きおく)の仕分けで、仕事の軌跡(あと)からどんより傾く杞憂の萎びが粛々として、古郷(こきょう)の〝旧巣(ふるす)〟に真っ直ぐ向き掛け俺に向くのを、俗世(このよ)の果てから止揚に射止める。苦し紛れの音響(ひびき)の割れには男女の燈(あかり)が器用に助太(すけだ)ち、〝明くる日〟から観る人間(ひと)の温度に怜悧を携え、旧来(むかし)に逆行(もど)れぬ近い陽(ひ)に識(し)る〝無効〟に奏でた〝輪舞曲(ロンド)〟の果(さ)きでは、個人(ひと)に象(と)り得ぬ未白(みはく)の郷里が「私事(しごと)」を夢見て嘲笑していた。男女の両脚(あし)には重い土埃(ほこり)が〝絶え〟に朽ち果て、長い嘴(くち)から〝止揚〟に解け入る形式(かたち)を報せ、〝苦労話〟に要(よう)を足せない未覚(みかく)の凡(ぼん)には「蜷局」の在り処を女性(おんな)に食べさせ、何時(いつ)とは見得ない長短(なが)い果てにて、異(ちが)う尺度で延命され行く古来(むかし)の病躯をその実(み)へ足した。女性(おんな)の足元(ふもと)は陽(よう)の足せない俗世(このよ)の陽光(あかり)が茶ば味(み)を切り出し、華(あせ)を掻かない案山子の男性(おとこ)の肢体(からだ)を牛耳り、脆(よわ)い文句にその実(み)を成らせる生歴(きおく)の縦列(れつ)へと看板(ボード)を立てた。私業(しぎょう)の許容(うち)には女性(おんな)に解けない牛歩の主観(あるじ)が凡庸さえ見て、男性(おとこ)の破片(かけら)を無用に操る幼児(こども)の生歴(きおく)に叫(たけ)びを挙げて、「明日(あした)」を夢見る無想の奈落へ一歩を出せた。俺の両眼(まなこ)は俗世に操(と)られる偶数(すうじ)を観る儘、野獣(けもの)の両刃を充分研ぎ得る煩悩(なやみ)の柵(からみ)へ轆轤を上げて、慌て生きない旧来(むかし)の土像(ぞう)へとこの実(み)を萌(も)やして熱血さえ識(し)る。俺の背後(きおく)は京都に敷かれた〝旧来文句(むかしもんく)〟の棚引くのを識(し)り、逸りに割かない自足(じそう)の吐息を何処(どこ)へも向けずに失脚させ得て、無言の許容(うち)にて身分を裏切る駒切り酒場の私情に訴え、荒野を歩ける独身風情の古寥(こりょう)の主観(あるじ)を初冬(ふゆ)の木陰(かげ)へと器用に仕舞う。初冬(ふゆ)の木陰(かげ)から僅かな温みがばったり冴え落ち、幻(ゆめ)の灯しが独我(どくが)の遊歩へ敗れて生く頃、初めて掲げる安い損気の俺の格には、他(ほか)を識(し)れない月の脆光(ひかり)が陽(よう)を遮り、夜の白雲(くも)へとその身を注げる明度(めいど)を仕留めてご覧に成った。〝ご覧に成る〟のは御供のその実(み)で静間(しずま)に寝そべる勇気の帆足が稀有に破れて、夢想(ゆめ)を見果てぬ〝知己〟の在り処を夜雲(よぐも)に巻かせて透ったからにて、明日(あす)の延命(いのち)は「明日(あす)」で射止める人間(ひと)の忍びが上手に助太(すけだ)ち、明日(あす)の迷走(はしり)に八倒(ばっとう)するほど俺の狂句は詩吟を吐いた。捨て身で注げぬ俺に彩(と)られた背後(せなか)の幻(ゆめ)には、「明日(あす)」に向かない昨日の病躯が消失され得て、陽明(あかり)に解(と)けない不純の延命(いのち)の覚悟の果(さ)きから男性(おとこ)に疲れた〝向き〟が訴え、真白(しろ)く塗られた漆黒壁(かべ)の冥利を妙技へ堕とし、俗世(このよ)の果てから宙(そら)を失(け)せない呼気(こき)の形式(かたち)は、人間(ひと)の実(み)に知る誰にも識(し)られぬ無適(むてき)の主張(あるじ)が参観して居た。混沌(カメオ)に変じる脆気(よわき)の頭上(うえ)から感覚(いしき)に成れ得ぬ希望の坩堝が巡々(じゅんじゅん)巡り、俺の脆気(よわき)を生気へ化(か)え得る〝私闘〟の欠伸に衰退している。〝ネクロマンサ〟の脆弱(よわ)い希望(ひかり)に始終訴え、生気を灯せる欠伸の記憶は昨日まで観た無力の奥義を自然に片付け沈退(ちんたい)して居り、文句(ことば)の沈まぬ気力の許容(うち)には透明色した空気(しとね)の温床(ねどこ)が無難に拡がり、男女の採り生く端正(きれい)な幻夢(ゆめ)には俺の鼓動(うごき)が柔らに拡がり、初めて懐ける奇妙の交響(ひびき)に凡退するうち後進して居た。薄い紫煙(けむり)に治癒の兆(かけら)を上手に観る儘、俺の温床(ねどこ)は女性(おんな)の花壺(つぼ)へと猛沈(もうちん)して活き、文句(ことば)の咲けない旧い〝井戸〟から器用に仕上がる幾何が見得出し、幻(ゆめ)に象(と)られた疲労の行く手は白い壁にておっとりして居り、俺を始めに迷妄(まよ)い始める労裏(ろうり)の晴嵐(あらし)を再起させ得た。苦労の居所(いどこ)は虐待して行く宙(そら)の雲母に縛られ始めて、俺と人間(ひと)との形成(かたち)の在り処は雲母(くも)を隔てて真逆(さかさ)に息巻き、遠くと置くの御伽の郷(くに)へと自分を満たせて衰退して生く気力の賛歌へ誠実を識(し)る。暖め切らない自ずの〝逆行(もどり)〟は継続させられ、「明日(あす)」の来る日がとても無いのを瓶に差し替え、苦労を識(し)らない苦力(くりょく)の謳歌を未完(みじゅく)に仕上げて到来して行く。女性(おんな)の仮託へうっそり忍べる溶我(ようが)は空気(もぬけ)へ解け生き、男性(おとこ)の足元(ふもと)を丈夫に仕立てる女性(おんな)の〝魅せ〟から生力(せいりょく)さえ成し、「苦労」の足元(ふもと)が一途に傾く夜気(よぎ)の変化を滅法捕えて、女性(おんな)の居場所が何処(どこ)へ向くのか、現行(このよ)に見果てぬ古い仕来(じゅんじょ)を大目に見立ててほくそ笑み得る「旧い生歴(きおく)」を〝形成(かたち)〟へ化(か)えた。
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「あの人、君の父親やね。うん…、早くしないと大変な事になるよ。もう直ぐしたら君のお父さんのお腹が左右に裂けて、中の血が溢れて大変な事に成るだろう。」
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もやい結びを宙(ちゅう)から吊るした概(おお)きな共鳴(さけび)が、人間(ひと)と俺との生気の向きからひっそり仕上がり、苦力を識(し)らずに苦労を知り得ぬ無適の潜水(シンパ)をじっくり象り、昨日に観られた個人(ひと)の人影(かげ)から果(さ)きへ目立てる足力(ちから)が湧き出し、両眼(りょうめ)に具わる〝神秘(ふしぎ)を解け得る器用の一涙(しずく)〟を幼児(こども)へ宛がい噴散(ふんさん)していた。直(じか)の人影(かげ)から遮二無二上がれる〝個人(ひと)の上気〟を孤独に茂らせ、初めから無い孤独の上気を無鈍(むどん)の幻象(ゆめ)へと帆影(ほかげ)を割らせ、〝自在〟に解け込む〝稀有〟の〝共鳴(ひびき)〟は〝孤島〟に置かれた〝楽器〟の態(てい)してひゅんひゅん鳴り出し、俺の〝孤独〟は真っ向から向き強靭差(つよさ)を連れ添う自然(あるじ)の発声(ことば)を頂戴した儘、純白(しろ)い気迫に充分小躍(おど)れる個人(ひと)の感覚(いしき)を解体して居た。静かな生命(いのち)を片手に取り次ぐ傀儡(ひと)の生気の芳香(におい)の陰には、俺と個人(ひと)とに必ず知れない無為の正味が試飲され行き、孤独を重ねる二局(ふたつ)の快感(オルガ)は〝花壺(つぼ)〟に嵌れる生器(せいき)を保(も)ちつつ憂鬱にも在り、俺の人間(ひと)へと漸く凭れる〝苦労〟の身許を揚々認(したた)め、足早にはない無機の臭味(あじ)さえ気取らされている。純白(しろ)い吐息は暗い密室(へや)から順々仕上がり、温床(ねどこ)の両腕(かいな)を肢柔(しじゅう)に仕上げる黄泉の温味(ぬくみ)を温存する儘、男性(おとこ)と女性(おんな)の煙たい余命(いのち)を独創(こごと)に仕上げてぐったりする儘、黄泉の景色の冴えない生歴(きおく)で人間(ひと)の微躍(おどり)を参観している。狭い〝密室(へや)〟から空気(もぬけ)へ伝える〝濃緑(みどり)〟の生気の具現の色気は人間(ひと)の信仰(アジト)に相対するまま自身に彩(と)られた黄泉のsign(しるべ)を動悸に近付け矛盾に仕上げ、女性(おんな)の肢体(からだ)を無想に仕立てる華美の魅力に悶絶して在る。〝密室(へや)〟の空気(しとね)は二重に迷える構造から成り、女性(おんな)の色香(いろか)は無意(むい)に華吹(はなぶ)く呼気(こき)の〝迷路〟を堂々掲げて、俺の肢体(からだ)の脚から両腕(うで)まで、無言の範囲(うち)にて真綿に包(くる)めて、女性(おんな)の居場所が何処(どこ)に在るのか、延命(いのち)の猛りが何処(どこ)へ向くのか、一層識(し)れない黄泉の希望(ひかり)を基軸に立てた。
*
と。俺はこれを聞きながら、いんちきだと思いたかったが、そのとき男が俺に言った内容に納得させられ、俺はその長老のような男を信じたのである。その男は、現実から考えて、知人の様(よう)で知人じゃなかった様(よう)に思う。信じた訳が在り、それは一々男の言う事が親父に対して、的確だったからだ。
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斑(むら)の激しい人間(ひと)の音頭を寝耳に聴くとき、俺と個人(ひと)との無数の呼気(こき)には遠く離れた〝夢限(むげん)〟が拡がり、打ち出の小槌に〝一味〟を託せる男性(おとこ)の不問が揚々仕上がる〝孤独の延命(いのち)〟を大袈裟に観た。〝呼気(こき)〟の頭数(かず)から女性(おんな)を報せる無憶(むおく)の罅(じわれ)が漸く見得出し、商い仕掛けの「所用」に随した人間(ひと)への〝急かし〟は、慌てふためく孤狼の生歴(きおく)に矛盾しながら、初めから無い無為の小躍(おどり)にその身を撓(しな)らせ、強要され行く疎い間際に宙(そら)の根本(ねもと)は渇水を識(し)り、轆轤に束ねる孤独の経過が線の光に生き埋められた。紺(あお)い希望(ひかり)が昏倒して行く俺の〝背後〟へピカソの画(え)を保(も)つ嗣業に絡まれ、正規を失くせる無為の幻(ゆめ)には俺の生気が何処(どこ)まで延び得て、器量に失くせる女性(おんな)の色香(いろか)を呑み得ているのか、誰にも識(し)れ得ぬ夜気(よぎ)の古郷(ふるす)へ邁進する折り、人間(ひと)の生き血を充分欲しがる無駄の蛇足を不憫に蹴散らし、男性(おとこ)に盾突く女性(おんな)の生気に器用の独気(オーラ)を懐手にした。俄かに隠した生気の震えに現行(いま)へ懐ける旧い文句(ことば)が付着して活き、現代人(ひと)の平らに発狂して生く孤独の音頭が廻転(かいてん)し始め、〝狂う年(くるうどし)〟から〝平らの年(とし)〟まで現代人(ひと)の弄(あそ)びは醜怪を観て、各自に宛がう欲の猛火は嫉妬に狂える酸味を識(し)った。如何(どう)でも好い事、狂う出来事(こと)など、〝平ら〟の時代に薄く延ばされ、欲を識(し)らない「過渡期」へ流行(なが)せる脆弱(よわ)い運気は人間(ひと)に寄り付き、何処(どこ)か知らない〝逆行(もどり)〟の年(とし)へと気孔を閉じ込め遊歩(ゆうほ)に根付く。個人(ひと)の弄(あそ)びはひっそり駆け出す「旧い宮(みやこ)」の動静を識(し)り、欲の足元(ふもと)へ懐かないのは端正(きれい)に纏めた温故の逆鏡(かがみ)で、俗世(このよ)の現実(わく)から脱(ぬ)け切らない儘、これまで仕留めた人間(ひと)の常識(かたち)に既成を退(の)け遣り主張をし始め、人間(ひと)に埋れた個人(こじん)の嘆きは孤独に踏まれて後退して居た。〝新しき〟を観て〝斬新(あたらし)さ〟を識(し)る無機の現代人(ひと)には希望(ひかり)が差さずに、何時(いつ)まで経っても旧い宮(みやこ)で足踏みしている幼児の体裁(かたち)を内実(うち)に忍ばせ、次第に固まる現代人(ひと)の足場は、これまで通りの表現法にて感情(こころ)を顕す術(すべ)から学び、何を問うにも余りを見せない〝完璧主義〟へと没頭していた。希望(ひかり)の差さない脆(よわ)い時代(とき)にて人間(ひと)の幻(ゆめ)には、夢にも出来ずに遊歩(あそび)を識(し)らない低俗(ひく)い態度が充満して活き、俗人(ひと)の才には有機を識(し)れずに平面だけ識(し)る現代人(ひと)の奥手を確立して居た。人間(ひと)の孤独は自分で象る我儘から見て、当然至極の言動(うごき)の効果に相対してあり、孤独顔した現代人(ひと)の生気は面白いほど青白くもあり、体温(ねつ)を表面(おもて)へ発揮するのは低俗(ひく)い魔欲(まよく)に蹂躙され生く無知の恋にて成立している。慌てふためく人間(ひと)に彩(と)られた寿命の成果は、戦争前から〝平ら〟に書けても、人間(ひと)の経歴(きおく)に一層載らない脆(よわ)い〝遺棄〟にて憤懣さえ識(し)り、明日(あす)へ向き生く現代人(ひと)の自己(おのれ)に象(と)られる成果を如何(どう)でも洗練(の)ばして衰退して生く孤島の門戸に擦り付かせていた。潔白(しろ)い記憶は人間(ひと)の生歴(きおく)を経歴(きろく)へ摩り替え、寡暮らしの俗世(このよ)の女性(おんな)の「上品(たかい)」「低俗(ひくい)」を「自由」に連れ添い、現代人(ひと)強靭差(つよさ)を選り取り見取りに衰退させ行く「孤独」を拝した人間(ひと)の期間(うち)には、小さく縮まり肢体(からだ)を失くせる紺(あお)い檻(かこい)が丈夫に成らされ、現代人(ひと)に操(と)られた脆(よわ)い正義も強靭(つよ)い不徳も、迷走して行く現代人(ひと)の温度(ねつ)にて伝え独歩(ある)きを前方(さき)へと置いた。純白(しろ)い気憶(きおく)は記憶の許容(うち)から生歴(きおく)を空転(ころ)がし、脆弱(よわ)い幻(ゆめ)から覚醒され行く人間(ひと)の猛気(もうき)を次第に貶め、自分の周囲(まわり)に何も咲かない薄い経歴(きおく)を隠して置いた。
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「今御父上は少々腹を、それもやや右辺りを庇って居ますね。あれは段々強くなる痛みを感じているからです。又蜜柑と甘いパンまで売店かどこかコンビニででも買ったのか、ミールと一緒に食べて居ますね。あれは以前に、掛かり付け医からそれを食べると予防になる、と言われた為に食べているので、少しでも自分を安心させたいという不安の表れです。あと、左手で左の腹辺りを押さえて居るでしょう。痛いのです。もうすぐ、御父上の腹は(何らかの肉が、と言った気がする)左右に裂けて、命取りになりますよ。」
と談々(だんだん)と言った長老男の言葉(ないよう)は、悉く現在の父親の状況にマッチしており、俺にとって、その長老(おとこ)を信じるに足る情報(ようそ)で在った訳である。そう言った後、長老(おとこ)は、又見知らぬ人の様(よう)にして何処(どこ)かへ消えて居た。それから本当に間も無くして、丁度昼飯を食べ終えて何かを探して辺りをひょいひょい見回し、後ろの座席へ赴いた所で座席に深く見開き俺の助けを求めて居たのだ。麻痺した母親がその親父の傍(そば)(俺から)向かって左側)に立って付き添って居た様(よう)だ。
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図体(からだ)を識(し)らない脆弱(よわ)い母には俺の居所(いどこ)が何処(どこ)に在るのか、一層解らぬ気配が窺え、「明日(あす)」の肢体(からだ)に成長して行く無為の気運(はこび)は駱駝の歩速に丁度向き合い、現行(いま)を通して幻(ゆめ)と釣り合う幼児(こども)の機嫌に応対して居た。希望(ひかり)の差せない現行(うつつ)に呑まれた現代人(ひと)の表情(かお)には、燈(とも)り透らず浮夜(うきよ)を忘れる低俗(ひく)い遊戯が散満(さんまん)していた。文句(ことば)を遮る幾多の温床(ねどこ)が俺の目前(まえ)にてふらりと表れ、数え切れない無数の記憶に、遠い孤独を仄(ぼ)んやり観て居た。女性(おんな)の勝気は衰え知らずの空虚に嵌り、男性(おとこ)の居所(いどこ)を次第に隠して観得なくするが、〝孤島〟に置かれる俺の生歴(きおく)は俗世(このよ)の音頭を藪睨みに見て、生歴(きおく)違いの幻(ゆめ)の逆行(もどり)を無駄に割かせて平伏している。女性(おんな)の柔身(やわみ)は人間(ひと)の文句(ことば)を無益に超え得る裸多(らだ)の編纂(つもり)を嗣業に剥き出し、男性(おとこ)の肢体(からだ)を仄(ぼ)んやり射止める旧来(むかし)の在り処を抽象に観て、空気(もぬけ)に遣られた神秘(ふしぎ)の成体(からだ)を〝不純〟に仕立ててどんよりしている。俺の〝文句(ことば)〟は空(くう)を切り裂き、地獄の果(さ)きから温(ぬく)い思惑(こころ)を編纂しながら、女性(おんな)の呼吸(いき)から自分を隔てる滑稽(おかし)な〝行方〟を捜索して活き、俗世の孤独に幻(ゆめ)と溺れる孤高の旧巣(ふるす)に還って行った。俗世(このよ)の流行(ながれ)に憤懣を識(し)り、悶絶して居た〝蝶〟の主観(あるじ)に呼吸(いき)を漏らせば、可能の限りに躊躇して生く低俗(ひく)い言動(うごき)にこの実(み)を観て遣り、生きる要所の所々で自分が崩れる虚空の顕著を藪睨みに見た。真白(しろ)い〝旧巣(ふるす)〟は俺の立場を空転(ころ)がしながらも、合せ鏡に自己(おのれ)を仕留める〝苦し紛れ〟に煩悶しており、反転して行く凪の純白差(しろさ)は、孤独を隔てて蹂躙され活き、極寒(さむ)い肌寒差(さむさ)に表情(かお)を埋めて両眼(りょうめ)を曇らせ、未完(みじゅく)紛いの自然(あるじ)の暗(やみ)から、途轍もないほど希望(ひかり)を得ていた。自然(しぜん)に囚われ、自然(あるじ)に識(し)られて、合わせ鏡の逆境(さかい)の目下(ふもと)に、俺に操(と)られるか細い明暗(あかり)の気象が目立ち、「明日(あす)」の遊界(くるわ)に牽引され生く旧い〝気取り〟の文句が顕れ、「昨日」の紛れに陳腐を翻(かえ)せる緩い道理が細(ほっそ)り顕れ、俺に操(と)られた気象の変化は一途(いちず)を得てして気性に化(か)え行く。文句(ことば)の畝(うねり)が緻密な問いにて出来る瞬間(ころ)には、俺に操(と)られた苦しい輪舞曲(ロンド)は〝一途〟を呈して真逆(まさか)に逆行(もど)り、文句(ことば)の韻陰(かげ)から黙って導く木霊の危篤を重々報され、慌てふためく延命(いのち)の読みには余命(いのち)知らずの勢いが在る。他(ひと)の生歴(きおく)と識別して行き、俗世(ぞくせ)に倣える〝読み〟の記憶と記述通りに頑固を護り、足場を踏めない他(ひと)の住処は俗世(このよ)の墓場の悪臭を発(た)て、旧い言語(ことば)は「黄泉の郷(くに)」から滅法仕上がる他(ひと)の生歴(きおく)を経歴(きおく)に置いた。紺(あお)い逆行(もど)りは他(ひと)の表情(かお)から端正(きれい)に仕上がり、旧い軒端に自己(おのれ)を逆行(もど)らす強靭(つよ)い両腕(かいな)を真横へ伸ばし、俗世(このよ)に見られた習性(しきたり)通りの脆弱(よわ)い人成(かたち)に文句を投げ置き、純白(しろ)い白夢(もや)から順々仕上がる稀有の景観(けしき)をその〝眼(め)〟に焼いた。個人(ひと)の成体(からだ)は個人(ひと)の生歴(きおく)を見逃す内にて、平々(ひらひら)零れる熱気の厚味(あつみ)を宙(そら)に投げ置き苦しみを経て、女性(おんな)が呈する「難(なん)」の汚(けが)れを単直(すなお)に翻(かえ)して茂みに宿り、端麗(きれい)に纏める生気の小躍(おどり)を喜楽に鎮める妙策を得た。
*
そこへ辿り着く前に、俺は、これまで(中学から専門学校まで)の友人模様を総纏めにしたような友人縮図の内で遊んで居り、とても活動的だった。幼馴染の旧友が居た。脂ぎった職場で知り合ったMに似た、又、Jリーグのゴン中山にも似た、行く行く俺と気の合わぬ、行く行く気の荒い少年が居て、俺と始終何かを求めていた。
(俺)「お前は他人(ひと)のこと全然考えてないねん!いっつもや!」
(M・中山)「(
等と言い合って居た気がする。実際それまでの過去に於いて思い当たる節が俺に在った為、それ以上強くは少年に対して何も言えなかった。悔しい思いもした。(後から考えるとその少年とは、現代(O教会に来ているシンナー吸いの少年を模していたのかも知れないように思う)。中学時に知った、背高のYがバスケットの練習をして居た。何か、明るくも暗い学校のような場所に居たようだった。その癖、校庭は異様に広く、又、鉄橋の柱のような障害物が目前に何本か生えて、スポーツするには邪魔な場所だった。しかしそうした障害を未だ把握し切れないでいた為か俺には、意外と心地の好い場所であった。俺はYに三ポイントシュートをして貰えるように依頼していた。しかし、その時のYの軽く遊ぶ姿勢と、相性の合わない少年と、周りに集った仲間と、その時の俺の未だ少々落ち着かない気分があった為に、
「あいつ、ほんまに三ポイントなんか出来んのかぁ?あいつ三ポイント打てるポジショニングやったんかなぁ、シューティングガード?」
等と、半ば茶らけたムードを醸し出していた。鉄柱越しに、Yと一緒に、Y以上に背が高く、ごつい顔と体をしたHも一緒に居たようだが、鉄柱が邪魔して後ろ姿しか見えなかったHの姿が本当にHの物かどうかを判断出来る迄には足りなかった。
*
空中跳びから平均(バランス)取りつつ、俺の足元(もと)まで空転(ころ)がり続けた幻(ゆめ)の裾から希望(ひかり)が漏れ出し、旧友(とも)を連れ出す俗世の気運(はこび)が〝稀有〟の景観(けしき)に壊され始めて逆境(さかい)に跳び乗る神秘(ふしぎ)の生歴(きおく)を成体(からだ)に剥き出し、併せ損ねる旧友(とも)と俺との世界の固守には意地が祟れる樞(ひみつ)が在った。「苦労話」の終(すそ)の方から現代人(ひと)に操(と)られる習性(ならわし)が在り、純白(しろ)い吐息が個人(ひと)の精神(こころ)を衝動(うご)かし始め、まったり燈(とも)れる紅い表情(かお)には人間(ひと)の生歴(きおく)がぽかんと浮き出る。大海(うみ)の底から神秘(ふしぎ)が堅(かた)まる誤りが観え、現代人(ひと)に象(と)られた稚拙の檻(かこい)が常識(かたち)を連れ出し斬新さを観て、自分に象(と)られた旧い表現(しるべ)を如何(どう)にも斯うにも〝新た〟に挙げれず、古い〝軒端〟に散々蠢く自分の身分の退屈さえ観て、辺り構わず他(ひと)に当たれる幼稚の行儀を奥手に採った。懐手に在る〝学歴欲しさ〟の人間(ひと)の欲には、自分の現行(いま)から何も咲かない脆弱(よわ)い勇気が仄かに仕上がり、「稀有」の暁(あかり)と脆(よわ)い夜中(とばり)が〝堂々巡り〟の箱庭さえ観て、自身に埋れた自尊の在り処を宙(そら)へ投げ遣り億劫がった。何も化(か)わらぬ〝平ら〟の空気が自分の活き得る俗世を象(かたど)り、初めから無い才の蛇の目を無有(むゆう)に帰(き)せ得る手腕(うで)を信じ、自信に零れた夢の欠片(かけら)は臨終間際に孤独を観ていた。「稀有」の余陰(かげ)から矮小(ちい)さく流行(なが)れた血相は失(き)え、慌てふためく臨終間際の人間(ひと)の〝生き血〟は終(つい)の住処を白銀(モダン)に化(か)え出し、俺の背後(せなか)の発狂(くる)える神秘(しんぴ)を無駄に掲げた小海(こうみ)を観(み)せた。
異様に膨(おお)きく棚引く雲母(くも)には個人(ひと)の分身(かわり)が散財して活き、〝ボール遊び〟の不意に空転(ころ)がる人間(ひと)の気色を横手に見ながら、俺の精神(こころ)の文句(ことば)の角(かど)から膨(おお)きく流行(なが)れる大河を心得、旧友(とも)と俺との世界を異(い)にした凡庸(ひごろ)の発声(こえ)には、人間(ひと)の〝生き血〟を自由に啜れる幻(ゆめ)の在り処の不在が在った。異様に膨(おお)きく棚引く雲から他(ひと)の欠片が零れ落ちる時、俺の寝間(ねま)には酷く温(ぬく)もる精神(こころ)の在り処が堂々巡り、明日(あす)の気持ちを何処(どこ)へ遣るのか、一風(いっぷう)変わった黄泉の大口(くち)から個人(ひと)の自活が噴散(ふんさん)していた。人間(ひと)の暗(やみ)には自由が利かない既定の規律が漂いながら、充満して行く自然(あるじ)の懐(うち)には俺が辿れる隙が無かった。孤狼(ころう)の体(てい)して初めて競える相手を識(し)っても、相手の体温(ねつ)から徐々に漏れ行く過労の活気が良く良く逃げ出し、俺に対する他(ひと)の呼気(こき)には自然(あるじ)の肢体(からだ)が宙(そら)へ舞い得る脚力(ちから)の界(かぎり)が灯らなかった。統制され生く人間(ひと)に彩(と)られた〝世界〟の自影(かげ)から、誰にも何にも向かい合えない冷めた気迫が情緒を見逃し、俺の背中を勝手に覗ける不意の感覚(いしき)が芽生えて在った。芽生えた果(さ)きから芽生えた目下(もと)まで、何処(どこ)で成すのか識(し)れ得ぬ間(ま)に間(ま)に、俺と他(ひと)との貴重の弄戯(あそ)びは旧郷(ふるす)の持影(かげ)からふらりと蹴上がり、ほんの微かに自我を認める自己(おのれ)の普請が安らかには在る。純白(しろ)い白紙に俺の手許が活字を誤り、嘗て識(し)らない未完(みじゅく)の連鎖(ドラマ)を勝手に仕上げた無為の仕草が猛って在って、他(ひと)の〝猛り〟が如何(どう)言う間際に存(そん)してあるのか、誰にも知られぬ未知の孤独が噴散している。人間(ひと)の孤独が俺の孤独に如何(どう)でも懐かぬ旧い弄(あそ)びに浸って在るのか、潔白(しろ)い学びに自然(しぜん)を操る労苦の範囲(うち)にて活き活きして在り、孤独の持影(かげ)から自明が失(き)え行く自己(おのれ)の夜明(とばり)が暗黙にある。
*
俺から他(ひと)への好意の自習(まなび)は細雪(ゆき)の純白差(しろさ)に躊躇(うろた)えながらも、嘗て掌(て)にした矮小(ちいさ)な自動(うごき)を自然(あるじ)の掌(て)により改作(かいさく)していた。
~無名の蹂躙~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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