第2話 村長の家

  リーナは玄関に入り、靴を脱いだ。廊下に立つと、家の匂いが一層強く感じられる。埃っぽいとか空気が澱んでいるとか、長期間放置された空間特有の雰囲気は、現時点では特に感じられない。


 きっとお師匠様が家を出る直前まで綺麗に保ってくださったのだ。そして、家を発つのが本当に直前だったのでしょう。


 そんなことを思いながら、更に扉を開けてリビングルームへと到着した。部屋の中央に位置する木製の机の上には、数冊の分厚い本が重ねて置いてある。

 片付け忘れたのかと思い、近付いて本を動かそうとすると、一番上に手紙が置いてあることに気が付いた。それは、魔女学校に送られたものより数倍は分厚かった。おそらく、10枚はあるのではないか。


 郵便システムが発達した現代においても情報が漏れる可能性はゼロではない、とお師匠様は口を酸っぱくして言っていた。ただ、魔法にて施錠してあるとはいえ、裸のままで機密情報の塊を置いておくのはどうかと思うが。


 リーナは便箋の束を持ち上げ、一枚目に目を通した。そこには卒業を祝う言葉とともに、いくつかの小言が記されていた。


 『この手紙を読めているということは、上位の開錠魔法が使えるのではないでしょうか。魔法屋には必要ないのかもしれませんが、ちょっとした試験をさせていただきました』

 入れなかったらどうしてくれるんだ、と思うが、それは八つ当たりに過ぎないのだろうか。


『卒業の遠因となった事件を鑑みると、貴女に魔法屋を任せるのはまだ早いと思い至りました。下手したら退学になっていても可笑しくなかったと思います』


 胸のあたりが疼き出した。


 魔女学校に侵入した大型魔獣に対し、指導者の許可なく非制式魔法を行使。

 それがリーナの起こした事件だった。

 犠牲者が出る可能性と、自分の力量を秤にかけ、その僅かな傾きに命を賭した。リーナは賭けに勝ち、魔獣を一撃のもとに葬り去った。魔力が暴走した自分以外は全員無傷。大目玉を食らいこそすれ、結果として受勲されるのではないかという功績を得た。


 魔法の使用許可という特権は、魔女学校の卒業と同時に与えられる。

 卒業まで半年を切ったとはいえ、未熟な自分が動いたせいで、大勢の人に迷惑をかけてしまった。いずれ誰かが魔法を使いかねない状況だったとはいえ、一人の大人として恥ずかしい行いだったとは思う。


『人を救うためにはなりふり構っていられない状況だったと聞きましたが、大人として、魔女として、規則を守ろうという姿勢を見せてください。聞いたところによると学校の成績も良いものではなく、特に生活魔法と学科が落第点だったと』


 これに関してはひとえに自分の問題だった。魔法理論がどうであるとか、どんな仕組みで魔法術式がどうだとか、リーナにはどうでもいいのだ。ただ、体内を魔力が巡る感覚、そして確かな手応えさえあればよい。


 そもそも捨て子の自分が、高等教育を受けさせてもらえるだけでもありがたいのか。師匠の背を見て、知らない間にこの世界に憧れて。とんでもない贅沢をさせていただいた。


『なので、半年後の卒業時期まで、この手紙の下に積んである本をよく読んで、しっかりと勉強してください。アルバさんに話を付けてあるので、魔法屋の営業は生活の維持に必要な程度に抑えること』


 アルバはリーナが過ごす村の村長だ。最近体が悪くなったそうで、薬草摘みとか家の戸締りとか村長業の手伝いとか、要するに雑用をこなしてほしいとのことだ。師匠の魔法屋も概ねその延長線上に位置しているので、すべきことはそれ程変わらないだろう。


 手紙をざっと読み終えたリーナは、荷物を自分の部屋に運び込むと、杖と生活魔法が記された教科書を持って家を飛び出した。アルバの家までは丘を下って合計30分ほどで到着する。荷ほどきは、一通りの用事をこなした後でも問題ないだろう。


 玄関扉を開けると、小高い丘に位置するリーナの家から、この村の景色が一面に広がる。東西南北に中央区を足した全5区。リーナの住む西区は山岳に覆われており、その麓には畑が大半の面積を占めている。


 リーナは畑を縦断する幹線道路を歩き、中央の行政区へと向かう。すっかり秋になっているようで、山はその色を変えつつある。そろそろ衣替えしないと、と薄手のローブをさする。中央区に服屋があったはずだから、明日にでも行ってみようか。


 明日からの生活を想像していると、西区と中央区を隔てる橋に到着した。中央区を囲うように川が流れている構造になっている。聞いたところによると、魔物が現れた太古の時代、この村は川の内側に成立したそうだ。川に隔てられた中央区は、魔物の襲撃に備えるのにぴったりらしい。やがて戦乱の時代が訪れると、こうした他地区に繋がる橋が落とされ、他地区を切り捨てることを前提にして持久戦をしたそうだ。もちろん、今はこうした不安からは解放されていると思っていいので、堅牢な石橋が架かっているのだが。


 中央区の中でもさらに中心、見張り台の隣にアルバの家はある。小さな村のため、ここでは村長の自宅と執務室が一体化している。選挙で選ばれる帝都付近の都市と違い、田舎の村は世襲なので問題はない。

 念のため、執務室のある表の玄関から入る。まだ夕刻の鐘が鳴っていないので、こちらから入った方がいいだろう。


「こんにちは。アルバさんでよろしいでしょうか?」

「おお、久しぶりじゃな、リーナ」


 記憶よりも2歳ばかり老けた村長に、リーナは挨拶をする。


「そうですとも。私は、リーナ・エリザベートでございます」

「そんな堅苦しくならんでも。聞けばリーナ、魔女学校を卒業したそうじゃないか。それも飛び級で」

「はい、ありがたいことに。あまり現実味がないですが」

「新聞にも載ってたぞ、学校に侵入した魔獣を倒したと。受勲ものじゃないか」

「そうですね。たくさんの人に助けてもらったおかげです。先生や級友、そして師匠にも」

「そう謙遜せんでも。リーナよ。何の御用かな?」

 久しぶりに会った人に対して身構えてしまうのは、自分の性らしいなと思う。

「この村にまた住むことにしたので、いくつか手続きを行いたいと思いまして」

「おお、それは良かった。もうすぐ仕事も終わるから、そこらに座っていなさい」

「はい」


 リーナは部屋にあるソファに腰かけて、教科書でも読みながら待つことにした。このまま熟練した魔女になり、師匠の魔法屋を継いだところで、攻撃魔法より生活魔法の方が需要があるに決まっている。そのような理由で、苦手分野の生活魔法を勉強するのは道理にかなっているのだ。


 清潔魔法の詠唱式を眺めていると、夕刻を告げる鐘が鳴った。


「申し訳ないが、もう少し待っていてくれないかの。まだ片付いていないのがいくつかあるんじゃ」

「はい」


 再び教科書に目を落とし、記述に目を走らせていく。再生魔法、回復魔法、蘇生魔法に目を通したところで、飲み物を持ってアルバが歩いてきた。


「やっと終わったわい。温かい飲み物を淹れてきたから、それを飲みながらでも話さないかい」

「はい、ちょうど勉強にも飽きてきましたから」

「それは良かった。勉強は欠かさずにしろと、アリスも言っておったからの」


 教科書を閉じ、脇にしまうと、カップを持って息を吹きかける。注がれている飲み物はコーヒーだ。一口含むと、強烈な苦味が口内を支配する。


「まだ少し、コーヒーは早かったかな」

「いえ、帝都では紅茶が流行していたもので、少し驚いただけです」

「ベルンか……久しく見ていないな」


 アルバは遠い目をする。


「まだ髪が黒かったころ、新婚旅行に行ったきりだ。ヘーゼル通りの喫茶店で、コーヒーを飲んだ」

「金色亭ですか? 行きつけの店でしたよ」

「そうか……まだあるのか」

「あの通り、周りが住宅街で、隠れた名店ですね」

「記憶の中では、大通りだったはずだが……ああ、あの辺りは空襲で焼かれたのか」

「空襲?」


「40年前の戦争で、敵国が魔女を投入して帝都を火の海に変えたんじゃ。今はそういったこともなくなって、平和になったがな」

「魔女はどんなことにでも使えますからね」

「ああ。平和的に使えることのほうが多いんじゃがな……」


 アルバはコーヒーを一口啜ると、立ち上がって棚へと向かった。


「ほら、砂糖を持ってきたぞ。正直、そのままじゃ苦いじゃろ」

「……まあ、ありがたく受け取っておきます」


 リーナは頬を赤らめながら砂糖の塊を4つ投入した。


「そこまでか」

「美味しく飲むのが一番なので。それと、何も入れないのは儀式的で嫌いです」

「儀式?」

「校長先生は一杯目に何も入れないんですよ。こっちも何も言い出せないし」

「ははは、それが大人になるということじゃ。正直、自分もあんまり好きではない」

「じゃあ何でそのまま飲まないんですか」

「相手の痛みを知るためじゃ。砂糖を入れないものは誰でも飲める。だが、砂糖を持っていなければ入れられない」

「ふうん」

「アリスはそういうのが嫌いだからな、何も教えなかったんだろう。大人の世界の柵も気にしない人じゃから」


 アルバは一呼吸置くと、本題を切り出した。


「そんな大人の社会を学ぶために、君に魔法の修行を頼みたい。アリスが手紙にも書いた通りにな」

「師匠が……」


 リーナは手紙の内容を思い出す。


「大分待たせてしまったし、開錠魔法の疲れだってあるじゃろう。使う魔法は一つでいい」


 アルバは砂糖の入った小さなポットを指差して、言った。


「このポットを魔法を使って動かしなさい。なに、そこの文机でいい」

「はい」


 リーナは教科書のページを開き、悩む。


「物体の移動に使う魔法の種類は指定されていますか?」

「ふむ、では、【転移魔法】を頼もうかの」

「はい」


 リーナは少し不安になった。【召喚魔法】で第三の手を召喚して操ったり、【空間魔法】を駆使して離れた空間を繋げることで物体を移動させる、ということは割と得意だが、【転移魔法】で物体そのものを移動させるのは少し苦手なのだ。


 そんなことをぼやいていても仕方がないので、目標地点である机を目視で確認した後、杖を手に持って詠唱を始める。


「【この世を等しく見つめるものであれ】」


 体内を流れる魔力の流れを整える、詠唱安定。


「【我が身よ輪廻りんねの糧となり】――」


 テーブルの上に置かれたポットの下に、青色の魔法陣が生成される。それに呼応するように、離れた机の上にも赤色の魔法陣が出現する。意識はお互いの中間を俯瞰し、目線は文机に固定。


「【彼方に大地の祝福を】――」


 後は、数瞬先の未来をイメージしながら、両方の魔法陣に平等に魔力を注ぐ。


「【詠唱安定:転移魔法】」


 その瞬間、部屋が光で満たされる。アルバが目を開けた後、リーナと自分の間に置かれていた砂糖の入れ物は消失していて、執務机の上に、まるで最初からそうであったように置かれていた。


「成功しました」


 瞼を深く閉じたまま、リーナは言う。術式は何の問題もなく作動した。


「そのようじゃな」


 アルバもそれを認める。


「それでは、まず試験は合格じゃ。正直、少し驚いたぞ。三年前のリーナとは、まるで別人のようじゃ」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げる。正直、今もまだ完璧だとは言えないが、魔女学校に入学する前の自分は、あまりにも魔法が下手だった。転移魔法を命じられれば、その物体を破壊させてしまうほどに。


 今回は、特に何の問題も起こらずに発動した。高等教育の賜物だと言ってもいいだろう。


「それでは、明日から、教科書の魔法を順番に詠唱してもらうテストをするぞ、生活魔法に限られてしまうがな」

「え」


 いくつか発動が怪しい魔法があるリーナは、口角が引きつってしまう。


「それがこの村で魔法屋を開く条件じゃ。ほれ、明日もこの時間に来てもらうからの」

「本当に言ってるんですか?」

「アリスとの約束じゃからな! ほれ、わかったならさっさと家に帰って支度をしなさい!」

「は、はい!」


 杖と教科書を持ったリーナは、アルバの家を出ると、自宅まで一目散に駆けだした。

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