第2話 虎から目が離せない


あかい瞳の女の人は、俺に気付いて目を大きく見開いた。


そして、ふるえながらゆっくりと視線を落とし、寝そべったままの青髪女子を見て、目を閉じた。


――いや、俺! ほんとに、身に覚えがなくて。気が付いたらここにいて。


という言葉が、頭の中をめぐるだけで声に出せない。自分がパニックになってるだけじゃなくて、目の前ののお姉さんが涙をこぼすのを見てしまったからだ。


女子の涙をよく目にする、最悪の日だ。


涙目の里佳の姿がポンッと浮かんで、俺、フラれたんだったと、何度目か分からない確認をしてると、お姉さんが長い黒髪を揺らしながら口を開いた。


「リーファ姫……。ダーシャン王国臣民しんみんのために、ささげられたお命。決して無駄にはいたしません……。後のことはお任せいただき、ゆっくりとお休みください……」


ん――?


綺麗なお姉さん。あなた今、姫って言いました? 王国? 臣民? えっ? どういうコンセプトカフェ? えっ? 俺、フラれたショックでそんなところに来てたの? 差別するつもりはないけど、一度も行ったことないのに、なんで? 俺?


黒髪のお姉さんは、肩がむき出しになってる金色に縁どられた黒いロングドレスを広げて膝を付いて俺に頭を下げた。身体にピッチリとしたデザインで、細い腰のラインが目に入る。


「マレビト様――」


と、お姉さんは俺のことを呼んだ。


「姫の召喚に応じて下さり、厚く御礼申し上げます。早速でございますが、ここは既に危険な状態です。ご案内いたしますので、ただちに宮城きゅうじょうにお退しりぞきください」


お姉さんが嗚咽おえつこらえている感じが伝わってくる。大真面目とはこのことだ。えっ? ほんとに、どう反応していいか分からない。「うむ」とか言うべきなの? お姉さんが話を続ける。


「姫が命と引き換えに召喚されたマレビト様のことは、我らが必ずお守りいたします。今は状況が呑み込めないことと存じますが、何卒なにとぞ、ここはお信じいただき、お退きいただけませんでしょうか」


乗れない。


このノリに乗れないわぁ。里佳にフラれて、なんか全部、どうでもいい感じになってるけど、逆に変な小芝居こしばいに付き合うのも億劫おっくうだわ。


「あの……」


と、俺が口を開くと、お姉さんは顔を上げて、紅色の瞳で俺を真っ直ぐ見詰めた。なにかの世界観なんだろうけど、ごめん、今はどうでもいいです。


「その女の子、生きてますよね……? 寝息が聞こえるし……」


ごめんね、台無しにして。と、俺は思ったけど、お姉さんは本気で驚いた様子で青髪女子に駆け寄って口元に耳を寄せた。


長い黒髪がハラハラと肩から滑り落ちると、ガバッと開いた白い背中が見えた。黒いドレスの後ろ側は腰の高さでザックリ開いていて、さらにその下には白いロングスカートが見えた。


見たことないような細い腰で、俺の方に突き出される格好になった尻の丸みにドキッとして、思わず目を逸らしてしまう。


「姫様……。どうして……。いや、でも……、良かった……」


と、お姉さんが青髪女子に向かってつぶやいてる。なんだかしんせまっていて、声をかける余地よちがない。なんでもいいから、帰らせてくれないかな……。


いや、帰ったら隣の家には里佳がいる。下手したら俺の部屋で待ってるかもしれない。……合わせる顔がない。


俺が右手で自分の両目を叩くようにおおったその時。お姉さんが駆け込んできた朱色の扉が、けたたましい音を立てて押し破られた。


「シアユン殿! お逃げください!」


という、男の叫び声が聞こえて、慌てて手をどけると、鈍い銀色の鎧を着たマッチョな背中が見えた。そして、そのマッチョな肩越しには――。


――虎?


精巧せいこうなつくりの虎のお面を被った――、いや、口が動いてる。精巧すぎる。っていうか、牙は唾液だえきでヌラリと光ってるし、怒り狂ったみたいに吠えてる。


本物? 本物の虎? でも、立ってるぞ?


虎は立たないよね? ふつう。


「マレビト様!!」


と、黒髪のお姉さんが大きな声で俺を呼んだ。


でも、虎から目が離せない。


鎧マッチョが身体全体で侵入を防いでる。けど、その肩越しに鋭い爪のついた腕をこっちに向けて振り回してる。


腕だ。前足じゃない。確実に腕だ。黄色と黒の虎ガラの毛がフサフサ生えてるけど、腕だ。


やっぱり、つくりものにしては精巧過ぎる。……本当に、怖い。


「逃げてください! 反対側にも扉があります!」


叫び声に我に返ると、黒髪のお姉さんが青髪女子をかかえようとしている。いや、その細腕じゃ無理だ。


虎の迫力に押されるように、俺は青髪女子に駆け寄った。


けど、下着姿にひるんで、落ちてた服を身体にかけてから、抱き上げる。


「ありがとうございます!」


と言う、お姉さんに「い、いいから……」と、返すのが精一杯だ。腕の中ではスタイルのいい青髪女子が、すうすう寝てる。


「こちらです!」


と、駆け出したお姉さんに付いて、虎と反対側の扉から飛び出すと、雨は上がって雲の合間あいまから無数の星が輝いていた。


目の前では焚火たきび篝火かがりび? 火が一列にたくさんかれてる。


俺がいる場所とつながってる石壁の上では、炎に照らされた虎や狼がたくさん『立って』いて、たくさんの鎧マッチョたちが闘ってる。


ここ、どこ――っ!?

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