被告はまな板の上の鯉?

「これより、夏目葉太が牡丹ちゃんの髪切りやがった事件に関する裁判を開始します」

「桜さん、桜さんってば」

 葉太はお手伝いの悲鳴を聞いた姉に無理矢理連れられ、あまり使われない応接室にやってきた。両親、姉、お手伝い、叔父がそれぞれ葉太に視線を注いでいる。ほこりを被った椅子に座らされ、横には楽しそうな牡丹が笑っている。牡丹だけが異質だった。足で姉がアンティークのいかにも高そうな机を蹴る。どん、どん。鈍い音。裁判の開廷だ。そして被告人である葉太は死の淵にいた。

「桜さん、あの、葉太くんが死んじゃいます」

 葉太の姉、桜は弟の首を背後から容赦なく絞めていた。桜は検察官。お手伝いの青年が必死に止めるが、意味がない。うーん、うーんという頑張る声が応接室のBGM。

「小太郎、あんたはどっちの味方なのよ」

「え、桜さんでも葉太くんでもないですよ、ただ平和と真実を求めてるだけで」

 荒々しい声にお手伝いの小太郎が焦る。桜が検察官なら小太郎はさしずめ裁判官だ。公平を求めようとする。いつも彼は中立の立場にいようとする。争いごとは苦手らしい。綺麗な声が震えている。しばらくして、「小太郎の涙に免じてこの手を解いてやりましょう」と葉太を睨みながら桜は首絞めの拷問をやめた。ぜえぜえと息をする葉太の背中を牡丹がさする。こんなはずではなかった。葉太は後悔した。もっと自分が悪役になりきるべきだったのか?正解はわからない。

 両親は怒り狂っていた。証人。母親は泣きながら葉太を責めた。ご両親にどう説明するんだ。父親はもはや呆れていた。それに対して優雅に茶をすすっている人物がいた。叔父である。あまり関心がないように見える。頭の中は可愛い娘のことでいっぱいなのであろう。

 この中で足りていない人材がいる。弁護人である。葉太の味方がいない。牡丹がそれに値するのだろうが、彼女の意見など皆聞きやしない。ただ牡丹はにこにこへらへらしていて、時折髪を楽しそうに触る。

 葉太は危機に陥っていた。愚策だったかもしれない。このままでは牡丹以外の危険因子をどうにもできないまま、葉太は前科者だ。

「お母様、お茶お淹れしますね」

 牡丹はすすり泣く母親にお茶を入れている。議論は白熱した。牡丹が絶対に葉太の味方をするので泥沼のように深く、それでいてぐちゃぐちゃな話し合いになった。もう俺は駄目だ。葉太がそう思ったときだった。

「なあ嫁ちゃん、俺にも淹れてくんねえか」

 叔父はティーカップをくるくる回している。カップが気に入ったようだ。呑気な男である。

「叔父さん、茶をしばいてる場合じゃねえのよ」

「ああ、叔父様で、こちらが……」

「姉の桜。桜お姉ちゃんって呼んでね、牡丹ちゃん」

 牡丹は混乱していた。一気に人物関係が複雑化してきたので当たり前である。家系図がシンプルになってきている現代。お手伝いやら叔父やら、場にはいないがはとこやら。面倒な家系図を書かねばならぬ。

 牡丹がお手伝いの小太郎を葉太の弟と間違えたところで、小太郎が手を挙げた。視線に怯えている。葉太は彼を不憫に思った。

「あの、すみません、牡丹さんってなんでこんなに笑っているんですかね。怖いくらいなんですが」

「そりゃあもちろん悲しみで……」

 桜が熱弁を振るおうと手を振り上げたとき、葉太がヘルプを要請した。牡丹がくっついて離れないのである。おまけにどこから持ってきたのか、クッキーを口に無理矢理ねじ込んでくる。桜による首絞め拷問が終わったと思ったのに、今度はなんの拷問か。

「なんかすごく……楽しそうにしていらっしゃいますが」

「ええ、葉太様とお茶をいただけて楽しいです」

 皆がぽかんとした。牡丹は首を傾げる。あれ?

「皆様、これは私がお願いしたのですよ?」

 葉太も口をぽかんと開けた。母親がぼそりとつぶやく。勘違い?桜がつぶやく。小太郎、あんたはあんまり悪くないわ。葉太にはピンとくるものがあった。こいつ、俺が当主になると信じ切ってる。だからかばうのだ。

 がさりと音がした。雑誌。ヘアーカタログ。なぜここに?葉太は意味がわからなかった。牡丹が考える仕草をする。

「これ、私のです。ほら、ショートカットは可愛らしいと書いてあります」

 はにかむ牡丹に、全員の肩の力が抜けた。ここに持ち込むくらいなら、最初からその証拠品を提示していればよかろうに。静かに小太郎が青ざめる。

「なんだよ、小太郎の勘違いか。つまらん。俺帰ろっと」

 同じ敷地内に住む叔父は興ざめ、といったオーラを出しながら紅茶を一息ついてから全て勢いよく飲み干した。そして、離席。

 両親は小太郎にぐちぐちと文句を言った。ああ、なんて可哀想な小太郎。桜が小太郎を優しくなでる。彼は惨めだった。後でお花の水やり行きましょうね、と慰められている。そして、こちらも離席。

 ふたりきり。葉太を見つめる牡丹の瞳は優しく、光が灯っていた。まさか、牡丹が本当の愛に目覚めたとでも言うのだろうか。両親がドライなのが引っかかるが、そんなことよりも気になるのは牡丹だ。もし彼女が葉太を愛してくれるのなら幸せなのではないか。当主だとか、権力だとかは捨ててくれるのではないか。

 牡丹が葉太の手をとる。指先でそっと手の甲をなぞる。くすぐったい。照れくさそうにする牡丹から目が離せない。そして、耳打ち。

「貸しができてしまいましたね」

 えへへ、と笑う牡丹。もちろん、葉太様のことを愛しておりますよ。そう言うが、彼女が本当に愛しているのは神様のあやしのあめによって得られる権力や財力である。やはり牡丹は殺人を犯すのだろうか。薄暗い灰色の感情が葉太の中にふつふつと湧き上がった。

「今度デートいたしましょうか」

「はあ?誰がお前なんかと」

 牡丹は葉太の唇に指をちょん、と当てた。柔らかな感触。

「貸し、三倍にして返してくださいね」

 扉が乱暴に開かれる音がした。音の主である桜が怒鳴る。あんた、牡丹ちゃんにちょっかいかけないでよ。葉太はおとなしく部屋に戻った。何か書き物でもしようかと悩みながら文机を漁る。小さな鉛筆がどうしても見つからなかった。一度書くと修正の難しいペンで書くのは嫌いだったが仕方がなかった。その間牡丹はずっとにこにこと笑っていた。

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あやしのあめ おくやゆずこ @Okuyayuzuko

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