第13話

   私は翌朝の早くに起こされた。


  たぶん、午前四時ごろだと思う。讃岐達に男の子が着る用の着物を持ってきてもらった。女の子が着るものはとにかく動きにくい。なので姉さんと話し合って男装する事に決めた。髪も切ったし。讃岐が持ってきたのは水干と指貫だった。髪は背中の真ん中辺りで切ってある。とりあえず着方をレクチャーしてもらい、私は下に着る着物に腕を通した。次に下袴を履く。帯はうまく結べないので讃岐に頼んだ。渋々ながらも結んでくれた。


「……ああ。嘆かわしや。なんで女御ともあろうお方が殿方の格好など……」


「……仕方ないでしょ。こういう格好でもしないと賊に狙われやすいし」


  私が言うと讃岐はため息をつく。それでも着々と指貫を履き、水干を着る。水干の紐を結んで男装の出来上がりだ。


「あ。もう着替えは終わったのね」


「姉さん。朝餉はすんだの?」


  私の部屋に姉さんが入ってきた。姉さんも髪を後ろで束ねて小狩衣に指貫といった出で立ちである。よく似合っていた。


「すませたわよ。風香はどうなの?」


「私はまだね。食欲がなくて」


「あら。それはだめね。讃岐。屯食とんじきと汁物でも用意してあげて」


「わかりました。ちょっとお待ちくださいませ」


「……姉さん?」


  戸惑って言うと香屋子姉さんはちょっと怒った表情になる。頬をいきなり摘まれてしまった。地味に痛い。


「こんな大事な時に食事を抜くバカがいるか!!」


「……ひ、ひたい!」


「あんたね。あたしにとっては一生がかかっているの。このまま、旦那に会えなかったらもう尼寺にでも行って出家するしかないのよ!?」


  そう言うと姉さんは摘んでいた頬から手を離した。ヒリヒリと痛む頬を押さえながら私はじとっと睨んだ。


「だからって頬っぺたを摘まなくてもいいじゃない。ああ、痛い」


「ふん。あんたはもう結婚しているから呑気なものだけど。あたしにとってはそうじゃないのよ」


  はあと言うと姉さんはちょっと目つきをきつくした。また、さっきみたいな目にあうのは真っ平だ。仕方なく頷いた。やっと姉さんは機嫌を直してくれたようだ。


「……風香。とりあえず、きちんと食事はとりなさい。でないと鹿ヶ谷に着くまでもたないわよ」


「……わかった」


  私が頷くと讃岐が戻ってきた。両手にはお膳がある。屯食--おにぎりと汁物がお皿に盛り付けてあった。

  受け取ると畳の方まで持って行き、座って自分の前に置く。屯食は全部で四個くらいはある。それをもそもそと食べながら汁物で流し込む。全部食べると元気が出てきたようだ。


「うん。武士は食わねば戦はできぬと言うものね。じゃあ、洗顔とかは済ませたようだし。行くわよ」


「はい」


  私は再び頷くと姉さんと共に部屋を出たのだった。


  車宿りまで行くと靖忠さんが待っていた。私の頬がちょっと赤いのでちらっと見てくる。でもすぐに逸らされた。姉さんは気にせずに牛車へと行く。私も仕方ないのであとを追いかけた。靖忠さんも颯爽と歩いてきたのだが。


「……何をしているの。置いて行くわよ!」


「大君。そんなに急がなくても背の君は逃げませんよ」


  急く姉さんに靖忠さんはやんわりと注意した。私のことを暗に心配してくれているらしい。けど大君と呼ばれた姉さんはちょっと嫌そうな表情だ。


「いきなり大君って。気味が悪いわよ。安倍殿」


「仕方ないでしょう。ここは人前ですよ。さすがに呼び捨てというわけにはいかない」


「わかったわ。では行きましょうか。小君」


  私はすぐに小君というのは自分用の偽名だとわかった。こくりと頷いた。


「……ええ。では参りましょう。


  言うと姉さんは驚き、靖忠さんは面白そうに笑う。私も姉さんを見てちょっと微笑んだ。


「どうかしましたか?」


「……う、ううん。何でもない。そっか。そうだ。僕は今は男だものね。わかったよ」


「……くくっ。そうですね。では大君と呼ばず、今若君と呼びましょうかね」


「異議なし。僕はそれでいいよ」


「……わ、俺も」


  私も慌てて言い直した。その後、急いで牛車に乗り込んだのだった。


  鹿ケ谷に向かう途中、靖忠さんは滝瀬宮様について説明してくれた。それによると滝瀬宮様は御年二十六歳で鹿ケ谷にある別邸で一人で静かにお暮らしだそうだ。世捨て人同然の生活で年に一度か二度、人里に降りるくらいで普段は滅多に別邸を出ないという。


「……何とも寂しいことね」


「まあ、我々から見たらそうでしょうが」


「あたしの旦那と性格は変わらないわね。祐介さんも穏やかで物静かな人だったから」


  しみじみと懐かしそうに姉さんは言う。私はそれもそうかと思った。姉さんは旦那さんより先にあの世に逝ってしまっている。内心、旦那さんが心配で仕方ないのだろうな。滝瀬宮様の様子を聞いて余計にそう思うのかもしれない。


「……小君。もうそろそろ鹿ケ谷に着くだろうから。心の準備はできているかい?」


「ああ。できているよ」


  頷くと同時に牛車がゆっくりと停まった。私と姉さんは互いに目を合わせた。頷きあうと先に降りたのだった。

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