第5話
私が入内してから三週間が過ぎた。
あの夜、東宮様は私と一時間くらいお話をして帰って行った。その代わり、几帳越しではなく直にだが。
後で姉さんはすごく心配していた。そして謝ってきた。
「……風香。ごめんなさいね。東宮様に無体な事はされなかった?」
「それは大丈夫。お話をしただけだから」
「だったらいいんだけど。東宮様は風香に興味がないように見えるけど。演技なのかと疑っているのよ」
演技と聞いて私は驚いた。東宮様は嘘をついているようには見えなかったけど。それでも姉さんは私の肩をポンと叩いてこう言った。
「もし何かあったら困るから。今度、お越しになる時はあたしも同席するわ」
「……いいの?」
「もちろん。風香にとっては望んでした結婚じゃないもの。東宮様が本気であんたを好きにならない限りは手は出させないわ」
私は頼もしいなと思った。やっぱり、夏屋子姉さんがいてくれて良かったと思う。同じ現代人としての記憶を共有する同胞だから余計にそう感じた。夏屋子姉さんはその後、頭を撫でてくれたのだった。
翌日、東宮様が昼間にお越しになった。それとかぶさるようにどなたからか贈り物が届いたと衛門が知らせてくる。後で見るからと言ったが。東宮様のお耳に入っていたらしく笑顔でこう言われた。
「……登華殿。どなたからの贈り物ですか。もしや、男からではないでしょうね?」
「……その。たぶん、白梅の宮様からだと思います」
素直に言うと東宮様の笑みが深まる。けど目は笑っていない。怖いと思った。
「白梅の宮か。あの人も酔狂な事をしますね。まさか、わたしの妃にわざわざ贈り物をするとは」
東宮様、口元は笑っているが。目は余計に冷たい感じになっていた。仕方なく贈り物をこちらに持ってくるように言った。いそいそと衛門が取りに行く。しばらくして衛門は大きな包みを持ってきた。
私は受け取ると宛名を見た。そこには姉さんの名前が書いてあったが。添えられた文を手に取って読んでみる。
<秋の夜の月を眺めし恋うる身は
乱れし心もあると思わむ
月夜に見たあなたが忘れられません。お慕いしようにも私には手が届かないお立場になってしまわれました。>
歌を読んだ時、背中に冷や汗が流れた。これは思いっきり恋歌じゃないのよ。まずい、東宮様には見せられないわ。焦りつつも文は近くにいた姉さんに渡そうとする。けど先に東宮様が動くほうが早かった。すっくと立ち上がると私のすぐ前までやってくる。そして文を取り上げられた。東宮様はざっと読むと眉間にしわを寄せる。
「……ほう。あの宮、なかなかちゃっかりしているな。登華殿にこのような文を送りつけるとは」
「あ、あの。東宮様?」
「登華殿。この文はわたしが預かりましょう。贈り物は堀河に使ってもらったらいい」
東宮様は手早く畳紙に文を挟み込むと懐にしまう。私の肩に手を置くと耳元でこう囁いた。
「登華殿。今宵も来ますから。白梅の宮などにあなたは渡しませんよ」
「……はあ」
「それでは。失礼する」
東宮様は意味深な言葉を残して部屋を出て行く。私はふうと深く息をついたのだった。
夜になり約束通り、東宮様の訪れがあった。姉さんも一緒だ。東宮様は姉さんが隣にいるのに気がつくと苦笑いする。
「よほど、わたしは信用がないようですね。無理に手は出しませんよ。堀河」
「……あら。わかりませんわ。女御様に興味がおありでないように思いましたけど」
「それは。風音の君は好きでこちらに来たわけじゃないのはわかっていましたから。それがあったから通わないようにしていたのですよ」
東宮様は言い訳がましく言う。けど姉さんは胡乱げに見る。
「どうだか。本当は女御様が好みではなかったのでしょう。わたくし、知っておりますのよ。東宮様は年上の女人が好きでおられると」
「……堀河」
「まあ、東宮様からいうと女御様は三つばかり年下でおられますけど。それでも放ったらかしは良くありませんわよ」
姉さんはずけずけと言う。口調は丁寧だけど言葉の端々に棘を感じる。東宮様もタジタジのようだ。
「ふう。だからこちらに来るのは嫌だったんだ。香屋子姫。昔からあなたはわたしにきつかったね」
「当たり前でしょう。そう簡単に可愛い妹をやるもんですか。せめて春仁様が本気で好きだと言わない限りはこの子に手出しは無用ですよ」
「……香屋子姫。風香姫は仮とはいえ、わたしの妃だ。夜に来るくらいはいいだろう」
ふんと姉さんが鼻で笑う。
「……春仁様。わたくしの目が黒い限りはこの子に無理強いはさせません。もしどうしてもというなら恋歌の一つでも送ってはいかが?」
「わかったよ。まずは文を送るところから始めるかな」
東宮様は仕方ないという感じで言う。そういえば、白梅の宮様からの贈り物は白絹の反物が二つだったらしい。姉さんがこっそり教えてくれた。
「……風香姫。すまない。今まで放ったらかしにして。他の妃達の手前、こちらには来にくかったんだ」
「いえ。私は気にしていません」
はっきり言うと東宮様はほっとしたように笑った。その笑顔にどきりとなったのだった。
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