第4話
私が白梅の宮に夜這い未遂をされてから一ヶ月が過ぎた。
既に十月になっていて秋真っ盛りだ。私は後宮の登華殿(とうかでん)にてため息をつく。
そう、私は現在、東宮妃として入内していた。居所になっているのが登華殿で世間では登華殿女御と呼ばれているようだ。何故か、心配だからと香屋子姉さんも女房として付いてきていた。姉さんは女房名を堀河といい、周囲からは堀河局とか呼ばれている。心中で私は会社のお局様じゃあるまいしと思ってしまったが。
まあ、そんなこんなで後宮での窮屈な生活が幕を開けていたのだった。
私が入内の儀式を経て後宮に入ったのは今から半月前だ。宮中で女御宣下を受けて儀式を済ませた。そうして現在に至る。
けど唯一の楽しみであった歌は出来ず仕舞いになっていた。東宮様の訪れもなくてお飾りの妃なのはいうまでもない。隣には堀河こと姉さんがいる。話しかけてみた。
「……堀河。もう、東宮様の妃になって半月が経つわね」
「……そうでございますね。東宮様、一向にいらしてくださいませんわねえ」
「いつになったらいらっしゃるのかしら」
「女御様。いっそ東宮様にお歌を送ってみませんか?」
「え。お歌を?!」
私が驚いて問い返すと姉さんはにんまりと笑いながら頷いた。
「そうですよ。代筆はわたくしがしますから」
「……堀河が代筆をしてくれるのは心強いけど。でもいらしてくださるかはわからないわ」
「何を弱気な事を。そんなだから他の女人方からも蔑ろにされるんですよ。女御様。時には引くのではなく押すというのも必要です」
はあと言うと姉さんはてきぱきと他の女房達に文を書く支度をするように命じた。私にも文机の近くに行くように促すのだった。
その後、姉さんにお歌--和歌を詠むように言われた。けどなかなか思い浮かばない。仕方なく百人一首の和歌を必死で思い出した。
<秋が来て指数ふるも日は過ぎて
君の訪い なくと思へば
もう私がこちらに来てからどれくらいになるでしょう。首を長くしてお待ちしている次第です>
とりあえず、姉さんからは及第点をもらった。けどいつも以上に頭を使ったから疲れてしまう。姉さんと衛門はこれで訪れがあったらめっけ物ですとほくほく顔だ。でも正直、自信がない。私は脇息に寄りかかったのだった。
夜になり私は誰もいないのをいい事に小声で歌っていた。歌詞は別れを意味する英語の曲だ。昔からあるもので英語でメロディーを紡ぐ。
こちらでは異国の言葉だ。それでも無性に歌いたくなった。かつて私の友人や母が好きだった歌である。どちらかといえば、儚くなった方に対しての手向けのために歌われた曲だが。故郷が懐かしくてそしてもう戻れないのだという気持ちがあった。
お母さん、桃香ちゃん。それにお父さん。沙由里ちゃん。会いたいよ。私はこれからどうすればいいのかな。不安と寂しさ。そんな心のままでさらに歌う。
「……何とも哀しげな曲ですね」
不意に低い声が言葉を紡いだ。驚いてぴたりと歌うのをやめた。私はいつかのように立ち上がる。御簾をくぐってこちらを見ている人影があった。背が高くて烏帽子を被っていて。秋らしい薄紫色の直衣に二藍色の指貫が奥ゆかしい感じだ。顔立ちを見たら、目も覚めるような美男が佇んでいた。
きりっとした涼やかな目元、すっきりと通った鼻筋、薄い唇。顎の線もすっきりとしていて気品溢れる感じだ。イケメンというのも失礼なくらいの正統派の美形なお兄さんだが。
「……あの。どちら様ですか?」
「ふうむ。私を知らないとは。今日、歌を送ってきてくれたのはあなたでしょう。登華殿」
登華殿と私を呼ぶお兄さんにさらに驚く。歌を送ってくれたと言っているところを見ると。もしや、東宮様だろうか?
「まさかとは思いますが。東宮様でいらっしゃいますか?」
「……そうだと言ったらあなたはどうなさるつもりですか」
「どうするも何も。けどお返事がなかったのに。いきなりお越しになるとは。驚いてしまいましたわ」
そう言うと東宮様はくすりと笑った。笑うと一気に雰囲気が柔和になる。
「まあ、驚くのも無理はありませんね。私もあなたが風流ごとは苦手だと聞いていました。それでも筆跡は流麗なもの。もしや、代筆かと疑ってしまい、こちらに来る気になってしまいました」
「はあ。疑ったから来る気になったのですか。動機が不純ですね」
つい、本音を言ってしまった。が、東宮様はさらにくすくすと笑った。しまいにはお腹を抱えて蹲(うずく)まってしまう。
「くくっ。さすがにかの香屋子姫の妹君ですね。私にはっきり物申す女人はこれで二人目だ」
「え。姉をご存知なのですか?」
「……知っていますよ。香屋子姫は私の大伯母上のお孫さんですから。あなたもそうでしょう。風音の君」
私は世間での二つ名を呼ばれて目を見開いた。東宮様は姉さんや私とは遠縁の親戚だった。改めて見ると大伯母だというお祖母様--女五宮様にどことなく似ている。少しどきりとしたのだった。
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