第3話
私が姉さんから匂い袋をもらってから三日が過ぎた。
その間も入内の支度は着々と進んでいたが。衛門に三日前に来た男君の話をしたら非常に驚いた表情をされた。どうしたのかと聞いたらこう言っていたのだ。
『姫様。その方は大姫様を昔から恋い慕っておられる方です。確か、世間では白梅の宮と呼ばれていますわ』
白梅の宮と聞いて私はどきりとする。宮という事は皇家の方だと気がついた。姉さん、すごい高貴なお方に片想いされているんだなと驚きもした。衛門の話によると白梅の宮は六年も前から香屋子姉さんの所に時折来ては想いの丈をぶつけにくるらしい。そのせいで姉さんは迷惑がっているという。
だから、姉さんは二日前の朝、不機嫌そうにしながら文句を言いに来たわけだ。
これでやっと納得できた。が、顔を見られてしまった事も当然ながらばれていた。衛門と母にはこっ酷く叱られたのだった。
私は夕刻になって夕餉を早めに食べた。その後、支度をして御帳台に入って寝る。単衣袴姿で横になっていたらふと芳しい香りが鼻腔にまで届いた。私は三日前の事があるからすぐに起き上がる。胸元をかき合わせてそっと御帳台から出た。
キョロキョロと辺りを見回して近くの妻戸に近寄る。そのまま、そっと開けて簀子縁に出た。向かって左側の方向に慎重に忍び足で進む。裸足なので殊更音を立てないようにする。
芳しい香りは遠のいていく。左側の方向には香屋子姉さんの対屋がある。とりあえず、香屋子姉さんか衛門に頼み込んで匿ってもらおう。そう思いつつ、私は歩を進めていくのだった。
だいぶ、長い間、歩いたかもしれない。私は明かりが灯る部屋の近くにたどり着いた。釣り灯籠が赤々とついていて中の明かりも洩れて見えている。私は手前にあった引き戸をホトホトと叩く。するとパタパタと足音が聞こえて引き戸が開けられた。
「……こんな夜更けにどなたです」
不満そうにしながら出てきたのは衛門より年上っぽい女房だった。私は彼女を知っている。確か、少納言といったか。
「……ごめんなさい。私は衛門さんの後輩です。日向(ひむか)と申します。その。ちょっと寝所に殿方がいらしていて。困っているので匿っていただけませんか?」
「まあ。寝所に殿方が?」
「ええ。私とどなたかを間違っておられるようで。数日前にもこういう事があったのですが。困っているんです」
苦し紛れに言うと少納言は困ったような表情になる。まずい事を言っただろうか。が、少納言は仕方ないわねと言いながら部屋に招き入れてくれた。引き戸を閉めてから奥に塗籠があるからと教えてくれる。私は言われた通りに塗籠の戸を開けると中に入った。とりあえず、ここは少納言を信じるしかないだろう。こういうことなら衛門のお局の場所をちゃんと聞いておくのだった。そう思いつつも身を潜めた。
少し経ってからドンドンと引き戸が強く叩かれる音に私は驚く。そのまま、ガラッと大きく開ける音がこちらにまで届いた。
「……すまぬが。こちらに単衣袴姿の女人が来なかったか?」
「まあ。単衣袴姿の女人ですって。わたくしにはわかりませんわ」
「そうか。少納言殿。君を信用して聞きたい。その女人は年の頃は十七か八くらいだ。たぶん、こちらに来ているだろうと思ったのだが」
私はげっと言いそうになった。このままでは声の主--男性に見つかってしまう。
「……あの。宮様。わたくしはその女人を見ておりませんわ」
「嘘をつくな。香の薫りが君とは違うものが混じっている。ここにいるのはわかっているんだ」
「宮様。もしや、十七か八くらいのお方というのは一介の女房ではないのですか?」
「……女房だとは思うが。はっきりとはわからない」
「そうですの。そのお方は二の姫様ではありませんわよね」
少納言が言うと男性は息を呑んだらしい。ひゅっと喉が鳴るのが聞こえた。
「……二の姫だって。まさか、今東宮様への入内話が出ているという……」
「ええ。おかしいと思っておりましたの。宮様は大姫様を好きでいらしたはず。だというのに何故、二の姫様に夜這いのような真似をなさるのです」
「それは……」
「はっきりとお答えにならないのでありましたら。お帰りくださいませ。宮様、二の姫様に何かありましたら殿や北の方様にわたくし、言い訳が立ちませんわ」
「……そうだな。すまぬ。私はこれで帰る。香屋子姫や二の姫には後日にお詫びをしよう。失礼した」
男性はそう言うと衣擦れの音もさやかに少納言の部屋を出ていく。私はその場にへたり込んだのだった。
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