第16話
私は、彼の右手から家の鍵をとろうとしました。左手の、紐で巻いて固定したナイフが邪魔になり、するりと落として、代わりに鍵をとりました。そのままその家の玄関をくぐって出て、鍵を閉めました。
そうしておけば、きっと誰にも見つからないと思いました。それに、自分の家に帰ろうと思ったのです。顔、服、靴裏にまでついた血のことは念頭になく、それどころか右手に結わえたままのナイフのことも放心し、左手には鍵も握ったままで、歩いていました。
そして誰かが通報したらしく、捕まったのです。
取り調べでは、たくさんの事を聞かれました。はじめから全て説明することも、それはもう繰り返し求められました。
でも私は、捕まった時にはなぜだか、よじ登って家に入ったことは朧気に覚えていても、他の重大なことはすっかり記憶から抜けていました。不思議ですが、本当にそうでした。
それでも、これだけは思い出したことがあります。それは、セリフでした。
「単独犯です。羨ましい家族だったので、殺しました。外で見かけたので、そのままついていきました」
これは、私がはじめの頃から繰り返した供述でした。父と練習した内容、そっくりそのままでした。
ナイフや腰の装備の写真を示され、これはどこで手に入れたのか、ベランダの柵からどうやって入ったのか、どの足をかけて、どの手でどこを触ったのか、詳しく聞かれました。
先ほど言いましたように、私はよく物事を思い出せませんでした。同じことを聞かれているうちに頭痛がしてきて、それがだんだん酷くなってきて、吐くこともありました。どんなに胃がひっくり返っても、すっきりするどころか脳髄までもを吐き出しそうでした。
四人を手にかけたことも、私には判然としませんでした。一人は覚えがあるような、五人をやったような、やらなかったような、どちらともつかず、何とも分からなかったのです。
警察にたくさんの写真を見せられましたが、特に私が壊したものが写っていると直視に耐えがたく、見て確認するように強いられると、酷い悪寒で体が震えました。泣いて、泣いて、分からないと言いました。
どの日の供述ではこうだった、ああだったといくら言われても、その時の私には、天井と床がどっちなのかが分かる程度で、他の知能は麻痺していたのでした。
裁判はそのうちに始まったのです。私は未成年でしたが、死刑か終身刑だと言われました。自分のしたことが思い出せなくても、それを脳裏に浮かべることすら生理が拒否しても、子どもは大した刑にはならないという知識の記憶は生きていましたので、相当に混乱しました。
コップの水をどう飲むかを、手や唇が知っているように、自分は子どもだから、これ以上は容赦してもらえるものだと思っていたのです。
少年法はこの国にないと看守に笑われた時は、誰かが手を回して、私にだけは適用しないようになっていると疑心するほどでした。父が言ったことが、間違っていたためしなどなかったのです。
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