第15話

 そうなると大変です。母が息絶える直前、這っていこうとした上半身が廊下に出ておりましたので、ドア前の床には血もそのままになっていました。


 私が慌てて少女の後を追うと、すでに危惧したものは見られてしまっていて、少女がその前で、はたと足を止めていました。


 私は無遠慮に後ろから近づきましたが、おそらく少女は、目の前のものが何であるか、あらんかぎりの記憶と知識とを照らし合わせる作業に忙しかったのでしょう。


 背後から、少女のおでこを押さえて私の胸に頭蓋を捕まえ、間髪入れずに喉を真横に裂きました。私は右利きですが、押さえることに重点を置いたのか、意識せず左手でナイフを使っていました。


 もうその時には、血で部屋が汚れることを気に留める理性もありませんでした。その子は私の腕の中で死んだはずですが、何の音もしませんでした。少女はごとりと床に落ちました。


 そのアパートの一室では、もう三人が死んでいたことになります。すると、体液の臭いが充満してきました。うっと咽るような臭いです。この家の玄関をくぐらなくとも、外にまで漏れているんじゃないかというくらい、強い臭いになっていました。


 だから、私は玄関で待つことにしたのです。一歩踏み込めば必ず分かってしまうような事件の臭いが、やがて来る四人目を構えさせる前に、決着したかったのです。


 外開きの玄関のドアの内側、一、二歩ほど足を踏み入れたところで待っていました。この家で起きたことが、少なくとも、大勢に見つからなければいいと思ったのです。


 驚くほど冷徹で、残酷な気持ちの切り替えがなされていました。つまり、残すところ、家の鍵を持つ母の再婚相手だけが、この惨状を見つけうる生きた人間でした。


 最後の一人は、トントンと玄関のドアの向こう側に近付いてきて、鍵をジャリジャリやっていました。少女が鍵を開けたままにしていたせいで、外から鍵を回したら逆に閉まってしまって、手間取ったようです。


 カシャンと開いて、すぐに飛び込んでくる人を待っていた私は、タイミングを計りかね、入ってきた男に飛びつくのが多少遅れたように思います。


 布を裂いた紐で、きつく、右手に新しいナイフを逆手で、結わえていました。左手は順手で、うまく紐を結ぶことができなかったので、ぎゅっと握ってなんとかしました。それで、この男のどこかにナイフが刺さりますようにと、向かっていったのです。


 私は蹴られ、殴られることは覚悟していました。しかし、彼は棒立ちで大人しく何度か刺され、その後方でドアがカチリと閉まりました。私はそれ以上、刺しませんでした。


 立位の四人目の瞳が、私を捉えていました。異国を思わせる顔立ちには過分な贅肉がなく、顎を上げて、目玉は下を見るように、私に向かっていました。


 太い首のノドぼとけが、上下に何度か動くところ、細身の体には薄手のシャツ一枚を着て、私がナイフをぶつけにぶつけた部分から、色が染み出て、カーキ色のズボンや、その下の履物や玄関のタイルまでもに伝っていました。


 私たちは目線を交錯させていましたが、彼の方が膝から崩れ落ちました。そして頭を垂れ、深く祈るような恰好になりました。背中が上下してまだ息がありましたが、心臓が動く度に血液が押し出されるのか、ものの数回それが続くと、男の手からは意識が抜け、くたりとなりました。

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