第3話

 しかし、父が床に寝付くようになってからは、何とか静かな場所を求めて、先ほどお話した二階建ての家に住むようになりました。


 父は読み書きや算術ができましたので、床に臥せるまでは洋服屋や食事処で働くなどして、賃金をもらっていました。その頃は、住む場所は簡単な建物でも食べ物には困らず、屋台で鶏の串を買ってもらったり、飴を食べたりしました。


 それができなくなってからは、私は街頭で荷物持ちをしたり、近くの川から水を汲んできたりして、なんとか、不十分ながらも、暮らしを立てるようになりました。


 母は私の記憶にありませんでした。父によれば、父と母が結婚して間もなく私が生まれ、それから何年かして、母の方は恋人を作って、家を出て行ったそうです。


 私が思い出しうる一番はじめの記憶は、どこか屋外で、立ったままパンを食べていたら、ぽとりと手から転げ落ちてしまって、慌てて拾い上げたのですけれども、不幸にも水分の多い、黒い泥の中に落ちてしまい、父が笑って、諦めるよう言ったことです。


 私はそのパンを、もちろん最後まで食べきるつもりでおりましたので、ゆっくり楽しめるよう少しずつ齧って味わっていたのです。それに、残りの部分を見ては、こんなに食べたのに、まだ残りがこれだけあると喜ぶことも忘れませんでした。それが、一気になくしてしまったのですから、とてもつらかったのです。


 それがおそらく七歳か、それくらいの時期ですので、母が私から離れたのは、もっと前ということになります。父はそれを、「ずっと前のこと」と形容していました。


 パンを失ったことは覚えていても、母を失った記憶はありませんでした。もしも可愛がってくれていたなら、多少なりとも私の思い出になっているはずと考えましたので、どこかに行ってしまった母のことは、やはりその程度の関わりだったのだろうと、そう判断することに抵抗ありませんでした。


 父母なくさまよう、私より年少の子も町には多くおりましたので、自分が特別に不幸だとは思いませんでした。私には父がおり、それで十分だったのです。


 ただ、食事だけは本当に困りました。小銭を握って買えるものを探しました。あるパン屋には、勝気な上がり眉できびきびとした声を出し、客を集める女性がおりまして、夜の閉店間際に寄ると、今日はもう店を閉めるからと、もしパンが余っていれば、少しの小銭で分けてくれたのです。


 彼女は私を見て、多少なりとも心に憐憫を持っていたに違いないのです。私があるだけの小銭を渡すと、彼女はいつもそれをざっと見て、いくらかを返してくれました。


 数や字の知識に恵まれない私でも、その小銭で譲ってもらえるパンが破格であることが分かっていました。私が差し出した、ないよりはある方がまし、というような使い古しのコイン全てを合わせても、他の店では水の一杯も買えないからです。


 しかし彼女の声音の作り方は非常に巧妙で、私は恥を感じませんでした。それどころか、きちんとお金を払って買い物をした気がしました。


 私は柔らかいパンを好み、父は好き嫌いなく、固いパンも嚙み切って食べていました。噛み潰すように顎が動くさまに、父の逞しさを感じました。

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