第2話
ずっと、酷く混乱していました。ここでこの川の水を飲んではじめて、これまでは曇ったガラスの向こうのように虚ろだった記憶や感情なんかが、細大もらさず思い起こせるようになりました。
私は迂闊で、服の裾が車輪に巻き込まれるみたいにグイグイと引っ張られ、腹を裂かれ、目玉を奪われ、ここに来ました。
私の運命は、死に方は、私が十八歳の時に決まりました。これについては、自分が不幸であるとか、決定が不当であるとか、そのような不満の類を感じることはありませんでした。
私が事件を起こしたのが十八歳と二カ月で、その半年後、十八歳七カ月で死刑宣告を受けました。十八歳の間に事件を起こし、十八歳の間に人生の終わり方が決まりました。
でも私は、全てがその一年の間に起こったとは思わないのです。といいますのも、事が起こるずっと前から、種は蒔かれていて、その年にちょうど芽吹いただけなのです。
死刑宣告と同時に、十九歳二カ月で処される事も言い渡しがありました。それは私が人の命を奪って、ちょうど一年目に当たる日です。
自分が命を奪った人と同じ日に死ぬだなんて、あの人たちにも、遺族にも、なんだか申し訳が立たないような気はしていました。私の終わりの日は結局その日にはなりませんでしたが、どのようになったとしても、誰の納得からも程遠いでしょう。
とにかく、取り返しがつかない罪を犯しました。私が壊した尊いものの前では、何をしても、ひとかけらの罪ですら償うことができません。私は自分のことに精一杯で、ここにやってきてはじめて、明瞭になった意識で過ちを認めることができるようになりました。
事件を起こした年、私は父と二人暮らしをしていました。父は、時折は元気すぎるほど元気にしていましたが、床に伏せる時間も長く、その両極の状態を行き来していました。
そういうわけで、人気のある場所に出掛けて荷物持ちをし、小銭を稼いで一つのパンを買うことが、私の日常でした。
大きな袋を下げて店から出てくる、それもゆっくりと歩く人に近付くと、顔をしかめてよそを向く人もおりますが、声をかけてみると意外にも、成功することもありました。
もちろん他にも数人、荷物を持たせてくれるのを待っている人たちがおりましたが、方々に少し距離をとって立っていて、店の出入り口を気にしていました。夕方なんかは良い時間で、バラバラと人が出てきました。
その人たちを捉まえて、支払いを荷物運びの前にするか、後にするかを、あまり粘らず、簡単に交渉しました。優しい人であれば前払いで小銭をくれましたし、運び終えた後に、追加でいくらかもらえることもありました。
私たち父子の家は、ずっと昔に建てられて、いつの頃からか放置されたらしい二階建ての建物でした。階段が半分ほど落ちている箇所があり、二階にわざわざ上がろうとする人はあまりいませんでした。
一階にしても、ふさぐにしては大きすぎる窓枠から風雨が入るためか、一晩の宿にする人は時々いても、定住する人はいませんでした。
騒がしさは父の病状に毒でした。音が非常にうるさく聞こえるらしく、私は自分の足音でさえも邪魔にならないように、階段を上がる前には履物を脱いで、二階の住まいにいる時には、裸足でおりました。そんなあまり人の出入りがない、私たち父子にうってつけの家には、私が十歳の頃に越してきました。
その前には、水道や電気のある、立派な家屋に住んだことも、反対に、柱に屋根を乗せただけの簡素な家を建てて寝泊まりしたこともあります。十歳頃までは、父に連れられて方々を移動したのです。
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