第四十五話 氷の戦場

 シャルルが出る第二試合まで残り五分を切った。

 既に、闘技場の舞台には今から戦う事になる二人が出揃っていた。

 会場の熱気は既に第一試合を経て最高潮。次に行われる第二試合も成績では一年生でもトップ層に位置している二人――シャルルとティアラの戦いという事もあってか、全員が試合の時を今か今かと待ち続けている。


「それで? 随分と熱心に稽古付けてたみたいだけど、彼女の調子はどうなの?」

「……さぁな。俺はシャルルがより強くなるためのきっかけを与えただけ。あとはどうなるかは俺にもわかんねぇよ」

「無責任だなぁ。そこは教師として『俺の教え子は負けん!』とか、熱く語れよなぁ」

「まぁ、負けないだろ。少なくとも、今のグレンには負けるかもしれないが、アイツもまだ強くなれる可能性を秘めてる」


 淡々とした口調でそう言うリオンに、フローリアは首を捻った。


「その言い方だと、まるで…………」

「…………無駄口はもうお終いだ。今は、次の試合に注目してれば良いだろ」

「あ、あぁ……」


 フローリアは抱いた一抹の疑問を飲み込み、今から始まろうとしている試合へと目線を移した。両者は互いに互いを見つめ合い、牽制し合っている。

 その様子を見て、リオンは顔を


☆☆☆


 ティアラ・フルイゼル――。

 氷魔法を扱う名家・フルイゼル家の次女にして、天才達と肩を並べる実力者の一人。シャルルもそれは知っていた。同じ氷魔法を使う者として、一種の敵対心があった。


(対峙してわかった。この人は私なんか眼中にない)


 それは自分が下にいる事の証左。

 レウゼンの入試では知識を問われる筆記が三割、魔法の実力を見る実技が七割という構成で毎年行われている。

 そのテストでティアラは入試成績で三位。シャルルはそれに次いでの四位と言う成績で入学した。つまり、ティアラは下の順位のシャルルなど微塵も脅威と感じていないのだろう。


(見ているのは、より上……)


 入試成績ツートップのグレンとディエルしか彼女の目には映っていないのか。

 否、彼女は更に上。より高みで戦っている上級生達を見つめている。それはきっと、彼女の家柄が関係しているのだろう。


「…………久しぶりね、ティアラさん」

「えぇ……お久しぶりですわね、ローグベルトさん」


 縦ロールで纏められた空色の髪を手で梳きながら、ティアラは髪と同色の瞳を細めた。豊かな胸の下で腕を組みながら、どこか妖艶な表情で微笑んでいる。


「お互い、頑張りましょうね? 同属性同士、どちらが優秀かここで決めておきましょ?」

「えぇ、望むところよ。私だって貴方に負けるつもりはこれっぽっちも無い」


 ティアラとシャルルは不敵に笑みを交わす。笑顔の裏に隠れてる本当の気持ちはわからないが、間違いなく言えるのはここに立っている二人はどちらも自分が勝つという確信を持って、ここに立っている事だけはわかる。


「それでは……二人とも。準備はいいね?」

「はい。問題ありません」

「私もないです」


 確認を取ってきた審判に目を向けることもなく、目の前に立つティアラを見つめながら、シャルルはゆっくりと腰に掛けてある細剣レイピアへと手を延ばす。

 対する、ティアラも既に腰に提げてある直剣ロングソードへと手を掛け、抜剣の用意を整えてある。


「それでは――――始めッ!」


 その言葉を皮切りに、二人は抜剣し、衝突した。

 魔法戦の鉄則である『魔法での牽制』をかなぐり捨てた肉弾戦へと打って出た。


「まさか、考えてることが同じとはね!」

「偶然ですね? 案外相性が抜群なのかも」

「ホントに相性バッチリね!」


 細剣と直剣の鍔迫り合い。

 魔法の応酬ではなく、突如として始まった剣戟に観客達も呆気に取られてしまっている。静まり返った演習場内に響き渡る鉄のぶつかり合う音、飛び散る鉄の摩耗による火花。

 鮮烈な立ち上がりを飾った第一試合とは違い、地味でとても鮮やかとは言えない静かな立ち上がりを見せる第二試合の幕開け。

 だが、そこには二人の譲れない熱が籠っている。その熱に観客達は息を呑んだ。


(剣の鍔迫り合いでは私が不利。力の押し合いに持っていくのは論外!)


 細剣と直剣。

 相手を刺し貫く事を得意とする細剣と、その重量を持って相手を圧し切る事を得意とする直剣。

 まともに打ち合えば、先に摩耗し、砕けるのは間違いなく細剣だ。何も考えず、力の応酬に応じるには余りにも頼りない武具である事は間違いない。

 ならば、この剣舞。何を以て応じるのか。


「ダァッ!!!」

「――っ!?」


 シャルルから放たれた刺突が、ティアラの左頬を裂いた。

 瞬間、振り下ろされる直剣の一撃に細剣の刃を沿わせ、攻撃を受け流しながら、転身。再び、刺突を繰り出した。

 目にも止まらぬ刺突の応酬。

 着実に、ティアラの体力を削りながら、力に対して速さという武器を最大限に生かす。


(このまま、手数の多さで押し切る!)


 ティアラは次第に防戦一方になっていく。

 攻撃に移れないもどかしさで判断を誤れば、魔法を使う事なく決着にまで持っていける。ここで、無理に攻撃を通そうとするならば、この戦いはシャルルの勝利で終わる。


 直剣はその重さ故に破壊力は充分。だが、破壊力に偏った重量は時に足枷となる。

 速さという武器を最大限に活かすならば、この剣舞は絶好の機会。距離を離そうにも、ここから魔法に切り替えれば素直に剣の技量で負けたことを認める事になる。

 試合での敗北か。剣舞での敗北か。

 それを冷静に取捨選択が出来ないほど、ティアラは愚かではなかった。


「――《氷槍ティア・レイズ》!」

「…………ッ!!」


 無数の氷の棘が地面を突き破るように乱立して、シャルルとティアラの間合いを埋め尽くした。

 シャルルは寸での所で地面を蹴り、後ろへと下がりながら、魔法が届く効果範囲の外まで退避した。そして、シャルルはニヤリと微笑んだ。


「使ったわね、魔法。まさか、剣での勝負を捨てるとは思わなかったわ」

「……正直、剣の腕で負けるとは思っていませんでした。侮っていたのでしょうね、貴方のことを。ただ、少しだけ評価を改めます。貴方は超えて当然の敵と考えていた。ですが、今からは貴方"も"超えるべき敵の一人」

「まさか、そこまで評価を上げてくれるなんてね。さっきまで眼中にないと言わんばかりの態度からは考えられない」

「……謝罪しておきます。シャルル・ローグベルト……貴方は、強い」


 最大級の賛辞を送りながら、ティアラは直剣を構えた。シャルルもそれに応えるように、息を整えて構えを取る。


「――《氷天戟ティア・フュルズ》!」

「――《氷架波ティア・ラーティス》!」


 凍てつく戟と砕氷の波が衝突した。

 爆散する互いの魔法。周囲に広がる冷気がその場に霧を生み出し、互いの姿を覆い隠す。


「「――――ハァッ!」」


 しかし、そんなものは些事だ。

 シャルルとティアラの戦い方はどこか似たものがある。魔法を使ったあと、必ず詰めてくると二人は直感的に理解していた。

 故に、霧氷の中に身を置きながら、二人は再び剣戟を開始することができた。

 そんな事を知る由もない観客達は、白い霧の中で炸裂する赤い火花を見て、思わず拳を握り込んだ。


「ホントに、考える事は同じね!」

「そうですね! 良い友達になれそうです!」


 会場を覆う氷を蹴り上げながら、シャルルは刺突を繰り出し続ける。ティアラもそれを凌ぎながら、シャルルに追随し始めた。

 足場が不安定な氷の上でありながら、二人はどちらも譲らない激闘を繰り広げている。


「――《氷塊ティア・イース》!」


 氷の礫がティアラ目掛けて放たれた。

 ティアラはそれを袈裟斬りで叩き落とし、両断された氷塊の断面を蹴りながら、シャルルへと接近する。


 振り上げられた斬撃は僅かにシャルルの左肩を捉え、服に血を滲ませる。

 下目掛けて放たれた刺突はティアラの左腕の上部、皮膚一枚を裂いた。

 二人の攻撃は互いをすり抜け、シャルルとティアラの上下は逆転した。


「ハアァァァァッ!!!」

「……ッ、アァァァァ!!!」


 シャルルは自身の体を下へ下へと引っ張る重力に逆らいながら、体を捻って細剣を振るった。

 同様に、体を捻った勢いで振り下ろしていたティアラの直剣と刃同士が衝突した。ただでさえ、体勢が悪い中で上から掛かる力はシャルルの体を地面へと弾き飛ばした。


「――ガハッ!?」


 氷が砕ける音を聞きながら、シャルルは背中から地面に打ち付けられた衝撃で口から血を吐き出した。だが、意識はまだ飛んでいない。意識があれば、まだ戦える。


(…………うご、かない? 息が、吸えない……!?)


 背中が赤熱する鉄のような熱を持ち、肺がまともに酸素を取り込んでくれない。もぞもぞと体を動かそうと苦心するが、地面との衝突の際に生じた衝撃が脳を揺らしたのか体に力が入らない。


 ――身体機能に異常を来している。


 確定的な情報にシャルルは焦っていた。意識があっても動けないなら、敗北の判定を取られてしまう。

 幸いな事に闘技場は霧氷に覆われていて、視認性が悪いこともあってか、まだ審判からの判定の声は聞こえて来ない。


「……落ち、着け。すぅ、はぁ…………。――《天癒杯フィア・テュオレ》……」


 痛みや怪我ならば、回復魔法ですぐに動ける。シャルルは自覚こそしていないが、氷魔法より回復魔法の方を得意としている。

 応急処置程度ならば、そこまでの時間を掛ける事もなくまた戦闘に参加できる。


「まだ、倒れてないんですね! 流石に、倒れてて欲しかったですけど!」

「…………っ!? くっそ、もう……降りて!?」


 回復し始めてから、まだ三秒も経っていない。

 まだ背中には痛みが残っている。呼吸も安定しているとは言い難い。体も動かそうとすれば悲鳴を上げる。

 だが、ここで動けなくては負ける。

 リオンは自分が勝つと言ってくれた。彼の信頼を裏切るわけにはいかない。

 痛みは戦えない理由にはなり得ない。魔法騎士になりたいのなら、痛みを御して無理を通さなくてはならない場面も出てくる。


「終わらせます! ――《氷天戟ティア・フュルズ》!」


 頭上から落ちてくる自身の得意魔法である氷戟ほこ

 それを一瞥して、シャルルは即座に魔法を組み上げていく。熱の籠った脳の処理速度を信じて、無理な魔法の行使を実現させた。


「――《氷纏流牙ティア・エル・ゼルリス》!」


 その使い方はグレンが見せてくれた。

 素早い動きをするディエル相手に、その全てを無に帰すほどの火力を地面に流し込み、爆炎と共に自身を巻き込んでの大爆発。


 それを、氷の付与魔法でも実現するとしたら、それはどんな形になるだろうか。

 相手の動きを止める氷土を生み出すのか。凡ゆる全てを刺し貫く氷の針山を生み出すのか。どれもこれも攻撃に特化したもので、この状況を打開するには向かない。


「勝った!」


 ティアラは氷の戟が確かにシャルルの頭上に直撃したのを確認して、勝利を確信していた。

 だが、すぐに歓喜の表情が凍りついた。

 シャルルを覆うようにして、形成された氷山。外敵の全てを凍てつかせる氷の卵とも形容すべきものに、自身の体を埋め込んだ姿が。


 そして、その中にいるシャルルは静かに剣を構えた。

 シャルルを覆っていた殻は割れ、中からシャルルが勢いよく飛び出した。


「――《氷檻壁ティア・リーグス》!」


 シャルルの進行を遮るように、目の前を氷壁が現れた。逃げ場のない空中でティアラの取った苦肉の策。

 氷の付与魔法では氷が刃に纏わりつき、到底切れない盾。だが、その防壁を切る術をシャルルは既に手にしていた。


 魔力が一瞬、術式の目前で止まる。

 溢れ出る力の奔流を抑えつけながら、目の前の壁を切り裂いた。

 そして、勢いのままに溢れ返す魔力を切先に乗せて、


「…………今は、私の負け。ですが、次は――」


 会場を支配していた霧氷は、シャルルの放った刺突の勢いに押し出され、霧散した。

 ようやく晴れた舞台の上には、細剣を鞘に収めたシャルルと大氷塊に包まれたティアラの姿がそこにはあった。


 《剪定戦》一日目 第二試合・東演習場の部。

 シャルル・ローグベルト VS ティアラ・フルイゼル

 勝者 シャルル・ローグベルト――。

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