第四十話 特訓翌日

「えーと……シャルル? だ、大丈夫?」

「…………なにが?」

「え、いや……顔が死んでるよ?」


 翌朝。寮から教室へ向かう道中で、アイリスは心配そうにシャルルの顔を覗き込んだ。

 いつもピンっ! と、伸ばされた背筋は丸まり、凛々しい目元は隈が酷く、顔色も悪く、頬も少し痩けているようにも見える。


「大丈夫よ……。えぇ、身体は大丈夫。疲労も、健康面も問題ない」


 嘘ではない。身体の調子はすこぶる良いのだ。

 昨日はあの後日が落ち始める午後六時ほどまでぶっ通しで《発動遅延ディレイ》習得のための特訓をしていた。


 魔力の暴発によって負った傷はリオンの回復魔法により跡を残す事なく消えている。ついでに回復魔法に体力の回復効果があったのか、その時点で動ける体力は身体にはあった。

 だが、問題なのは精神だ。

 あの地獄の特訓明けという事もあり、魔力を消耗し続けたシャルルの精神は磨耗していた。


「……酷い顔してるね」

「…………あんたは――」


 目の前から声が掛けられ、その方を向けばそこには青髪の少女――リエルがいた。


「……知ってるわよ。そんな事くらい…………」


 シャルルは反論すらしないまま先を歩き始めた。

 疲労困憊でリエルに敵意を向けることすらも億劫になっているのだ。


「シャルル……なにがあったの?」

「さ、さぁ? でもかなり疲れてるみたいなんだよねぇ。ほら、あれ見てよ」

「ん?」


 アイリスが苦笑いしながら指差す先には、フラフラと身体をよろつかせながら歩き壁にぶつかるシャルルの姿があった。


「あ……ごめんなさい」


 壁に対して頭を下げて、再びどこか覚束ない足で歩き始める。

 そして、また何かにぶつかっては頭を下げるの繰り返しを行っている。


「…………何してるの? 遂に気でも狂った?」

「う、うーん……昨日も遅くまで何かしてたみたいだし本当に疲れすぎてるのかも……?」

「それにしたってアレは酷すぎ」

「だよねぇ……。あの調子で今日の授業持つのか心配になるなぁ……」


☆☆☆


「――てな訳で、より高位の魔法になると術式が複雑化するって言うのは重ね合わせが多いからって話なんだ」


 授業が始まってから早一時間。

 今日は珍しく実技的な授業ではなく、座学を主軸に置かれていた。

 リオン曰く、


『他の先生から実技だけじゃなく、ちゃんと座学の時間も取れって文句言われちゃってさ』


 との事らしい。

 実際問題、最近の授業は実技が多かった事もあってか、全員それなりに疲労が蓄積していたので良い機会だったと言うこともあり、リオンは魔法構築論についての授業をしていた。


「リオン先生! 無理をして高位の魔法を使うのと、簡単に早く使える魔法だったらどっちの方が良いですか? 対人なら速さを重視すると思うんですけど」


 そう質問をしたのはアイリスだった。

 リオンはその質問に一度頷いてから、答えた。


「結論から言うと、無理をして難しい魔法を使うより、手早く使える魔法を使った方が良いかな」

「それなら難しい魔法を覚える意味はないと?」

「いや、覚えた方が良い。ただ、簡単な魔法の術式構築をできるようにしてから、難しい魔法を徐々に覚えていけば良い」


 リオンの言いたい事は至極単純だ。

 基礎を固めろ。この一言に尽きる。


「特に皆が気にする事なく使ってる初級魔法。あれの構築を自然と行えるだけで中級魔法、上級魔法の術式を比較的楽に早く構築できるようになる」

「へ? そうなんですか?」

「そうだよ。初級の魔法は術式を一節で組み上げるからあまり意識しないだろうけど、中級や上級は初級魔法の術式に他の術式を組み合わせて作られてるんだ」

「…………言われてみれば確かに?」

「だから、初級は簡単だからって油断しがちだけど、結構重要なんだ」


 リオンの説明にアイリス以外の生徒たちも各々メモを取ったり、頷いたりと反応を返している。特に、リエルは謎の拍手をしている。


「それは超級魔法でも同じですか?」

「超級かぁ……」


 質問したのローリィ・フィーゲルという女生徒だ。ミディアムボブの黒髪と丸い黒縁メガネを掛けたザ・優等生という風貌で、羽ペンを手に持ち机に広げられたノートにはびっしりと授業の内容が記録されている。

 ローリィの質問にリオンは困ったように笑った。


「超級も……一応、初級を完璧にしてればある程度は使える…………かも?」

「? かも、とは?」

「うーん……なんて言えば良いのかなぁ……。超級も初級の術式に他術式を組み合わせてるものもあるんだけど、そもそも初級の術式自体使わない……とか、弄って原型残ってないものが大半なんだよねぇ」


 中級、上級までは初級魔法の術式を基にして別効果を付け足すという形で派生していったという歴史がある。

 だが、超級以上は一応初級の術式だと思わしき形跡が残っているものもあるのだが、その大半は今回のリオンの話には当てはまらないものの方が多い。


 その理由として現在考えられているのは、初級からの派生系という縛りを取っ払い、より強力に、より凶悪にと進化していったという説だ。

 とは言え、結局なんでなのかは解明されていないのが現状。

 よって、今は超級以上の魔法はその属性を真に極めた者のみが使える特異的な魔法という認識が強い。


「まぁ……だから、超級以上にはさっきまでの話は適用されないって考えた方が良いかな」

「なるほど。ありがとうございます」

「あ、あと『固有魔法』も適用されないからね? 一応念の為に言っておくと」

「はい。わかってます」


 リオンは補足を交え、時折生徒の質問に答えながらも授業を恙無く進行していった。


「さて……それじゃあ術式についてある程度分かって…………って」


 そんな時だった。

 リオンはその光景を見て苦笑いを浮かべた。

 シャルルが机に突っ伏して寝ていたのだ。いつから寝ていたのかは分からないが、とても穏やかな表情で眠ってしまっている。


「シャルル? 起きようか?」

「んむぅ……?」


 リオンはシャルルの側に近寄り、その肩を数度揺らした。

 シャルルはゆっくりと顔を上げた。頬にはよだれの後がついており、寝惚け眼でリオンをじーっと見つめた後、ゆっくりと顔を横に振りはじめた。


「…………はっ!?」


 そこで自分の状況が分かったらしい。シャルルは顔を茹で蛸のように真っ赤に染め上げていき、徐々に目が潤み始めていく。


「せ、先生……! こ、これは……違くて! そ、その……! 寝ようと思ってたわけじゃ……!」


 手をあわあわと忙しなく動かしながらシャルルはなんとか弁解しようと言葉を紡ごうとしている。

 だが、寝起きと恥ずかしさによる焦りが重なってか、言葉は全く纏っておらずチグハグになってしまっていた。


「分かってるから。眠気は生理現象だしそれを責めることはしないよ。ただ、出来るなら授業中に寝るのは勘弁して欲しいかなぁ……」

「す、すみません……」


 シャルルは申し訳なさのあまり体を縮こませてしまった。


(いや、本当に気にしなくて良いんだけどな。俺もよく会議中とか寝てた……ってか、今も会議中は寝てるし)


 リオンは零番隊でたびたび行っていた会議を思い起こした。

 零番隊にたびたび課される事のある全体任務。それについての概要説明、目的、作戦などを話し合うことを目的としてセリアを交えての会議があった。


 リオンはその会議中はいつも寝ていて、大体セリアとシュナウゼンに苦言を呈されていた。

 リオンが悪質だったのは、それを悪いと猛省する事もなくヘラヘラと次の会議の時にはまた寝ていたことだ。

 それと比べれば、シャルルは反省してるあたり全然可愛らしい。


「本当に……すみません」

「気にしなくて良いって……!」


 シャルルが寝てしまったのは昨日の特訓が原因の根底にあるのは明白だ。

 それが翌日の授業に支障を来たすなら内容をもう少し易しくなければならないだろう。

 そこは特訓の強度を間違えたリオンの責任もある。


(もう少し特訓の内容を考えるべきだったな……)


 リオンはそう反省し、その日からの特訓は少しだけ楽なものへと変わっていったのだった。

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