第三十五話 お久しぶりです

 コンコン――……。

 静かだった室内に扉を叩く乾いた音が響き渡る。

 その音に気がついた部屋の主は足元に転がるものを無視して、その扉の方へと歩を進めていく。

 部屋の主――フローリアは扉の取手に手を掛けて、ゆっくりと扉を開いた。


「あ、ようやく出てきた……か?」


 扉の先にいたリオンは不満たらたらという表情で、フローリアへと視線を向けた。そして、彼女の姿を見た瞬間、リオンはその惨状を見て硬直した。

 いつも整えられていた夕日に照らされる麦穂のような黄金の長髪は振り乱され、いつも纏っていた整えられた騎士としての清廉さを示す純白の制服は煤まみれ。おまけに透き通るような白い肌には所々痣が散見された。


 あまりにも異質な雰囲気にリオンは息を呑んだ。

 顔を引き攣らせているリオンに、フローリアは怒りと憎しみが入り混じった視線を向けている。

 一体なにが起こったのか。

 それはリオンにもすぐにわかった。


 部屋の中央。

 簀巻きにされて地面に転がっている人影。

 前までの見る影もない荒れに荒れた校長室。


「まさか……アレが?」

「…………へぇ、いつも鈍い君にしては随分と勘が良いじゃないか。まさかも何ものせいだよ」

「…………なんで?」

「なんで? わざわざ聞くなよぉ。あの娘の性格を考えれば、こうなるだろう事は予想できただろォ?」


 フローリアは満面の笑みを浮かべてみせる。

 だが、その笑顔は口の端が引き攣り、額には薄っすらと……いや、かなりはっきりと青筋が浮かんでいる。


「むー! んむぅ!!!」


 その原因を作り出したのは間違いなく床で簀巻きにされ、口を猿轡によって封じられた一人の少女だろう。

 爽やかな青空を想起させる淡青のショートボブの少女。彼女のそばに転がる無骨な大剣と脱ぎ捨てられている純黒のジャケットとプリーツスカート。


「…………一応、服は着てるんだよな?」

「ん、ん!」


 リオンの問い掛けに少女は大きく首を振って答えてみせる。


「…………あの下にはきちんと学校支給の制服を着させたよ。それだけで一苦労だったけどね」

「あ、そう……」


 フローリアの補足にリオンは頭を抱えた。

 いや、問題児だというのはリオンも重々承知していた。だが、流石に任務ならば多少は落ち着くだろうという希望的観測をしていたのは誤魔化しようのない事実だ。


「……で、なんでリエルは簀巻きにされてるの?」

「まだ編入の手続きが済んでないってのに、隊長に逢いに行くからとか言って逃げ出そうとしやがったから、とりあえず拘束しておいた」


 リオンは天を仰いだ。

 まさか自分の部下がそこまで手を煩わせたとは思ってもいなかった。

 学生として護衛ができるという利点を考慮してリエルを呼んだにも関わらず、それが裏目に出てしまったのかもしれない。

 こんなことならリエルを呼ばない方が良かったのでは無いかとすら思える。


(……いや、まぁ腕は確かだからな。頭がちょっとアレなだけで…………)


 リオン自身、リエルを信頼していない訳ではない。

 リエルは確かに有能な部下なのだ。戦闘の実力に関しては零番隊所属という事もありかなり高い。

 その点に関しては、フローリアも認めているだろう。


「一先ず……リエルの拘束を解いてやってくれ…………」

「わかった。……けど、彼女に関してはちゃんと自分でどうにかしてね」

「…………わかった」


 リオンは辟易とした様子で頷いた。

 フローリアはそれを見ると、ゆっくりとリエルの元へと近付いていき縛っていた縄を解き始める。余程キツく縛られていたらしく一重、二重、三重……七重にも及ぶ縄が解かれた。

 そして、最後にリエルの口に巻き付けられていた猿轡が地面にハラリと落ちた。


「隊長! お久しぶりですッ!」


 その瞬間、リエルは目にも止まらぬ速さでリオンへと飛び付いた。

 背中に腕を回し、頬を擦り付けながら、リエルは恍惚とした表情をしている。


「あ、あぁ……久しぶりだな、リエル……」

「えぇ! なんと最後に会ったのは三ヶ月も前! 隊長はなかなか私と会ってくれないので、いよいよ私のことをお忘れになられたのかと不安になっていました! ですが、覚えていてくださって嬉しいです! 加えて、まさか共同任務を提案してくれるとは! 感動の極みです!」

「そ、そうかぁ……」


 リエルはハイテンションで饒舌に話を始める。

 そんなリエルにリオンはたじたじになりながら、相槌を繰り返す。


「やはり私は信頼されているという事ですよね!? 他の隊員と比べても特別って事ですよね!? だって、基本的に任務は一人で熟す隊長が私に協力を求めたんですもん! そう言うことですよね!? ねっ!!?」

「う、うん……。信頼してるよ……。皆と同じくらいには…………」

「ですよねですよね! やっぱりそうだと思いました! 私は一番信頼されてて、一番大切にされてるって!」


 リエルは目を輝かせながら、リオンへと詰め寄る。

 普段のリエルはここまでテンションが高くもなければ、早口でも饒舌でもない。リオンと居る時だけ有り得ないくらいテンションが上がるのだ。

 その理由も純粋な好意と尊敬から来るのは分かっているのだが、ここまで明け透けにされるとリオンも反応に困ってしまう。


「いや、まぁ……良いや…………。一先ず、任務の話を……」

「隊長ッ! 私、隊長からの呼び出しを受けて急いで帰ってきたんです! それに盗賊団の《狼虎》を一人で殲滅してきたんです! 褒めてください!」

「う、うん……えらいえらい。とりあえず、話を……」

「言葉だけじゃなく、行動でもお願いします! 具体的には頭を撫でたり! 頭を撫でたり!! 頭を撫でたりッ!!!」


 リエルのマシンガントークに遮られて、リオンはなかなか話を切り出せずにいた。

 そんな二人の様子を尻目に見ながら、フローリアは明らかに不機嫌になり始めていく。


「……あのさぁ、早く本題の話をさせてあげなよ。いつまでも構ってちゃんアピールしてるのはウザイだけだよ? それじゃあ駄犬に成り下がっちゃうよ?」

「…………なに? 嫉妬してるの?」

「嫉妬ぉ? なんで私が嫉妬するんだよ……。良いから一度離れて――」


 フローリアが二人を引き剥がそうと手を伸ばす。

 だが、その手をリエルが弾き飛ばした。


「――やだ」

「はぁ? ヤダじゃないっての! これじゃあ話が全く進まないだろ! リオンからも何か言ってやれよ!」


 フローリアは鋭い目付きでリオンを睨んだ。

 リオンはフローリアの鋭利な眼光に肩をギクリと震わせながら、そっとリエルの肩に手を添えた。


「…………と、とりあえず離れよう。このまま時間を使うのは無駄だから……」


 リオンからもリエルの肩を軽く押して、自分から引き剥がした。

 それにショックを受けたのか、リエルはみるみる内に萎れていくのが目に見えてわかる。


「す、すみません隊長……! 久しぶりの再会で高揚してしまって…………。……で、でも、悪気があった訳じゃないんです! だから……き、嫌わないでください……」


 リエルは泣きそうになりながら、顔を俯かせる。


「嫌わないって。俺も久々に会えて嬉しかったし。だから泣くなよ」

「は、はい……」

「それじゃあ、一先ず話を進めようか」


 泣きそうになっているリエルを慰めているリオンを見ながら、フローリアがそう切り出した。


「とりあえず、リエルが何処まで知ってるのか聞きたい。まず、今回の任務が護衛だというのは知ってるね?」

「うん……手紙に書いてあった……」

「それじゃあ対象の名前は?」

「シャルル・ローグベルトでしょ? 理由は不明だけど敵に狙われてるって言うのも知ってる」


 フローリアの質問にリエルは涙声で答えていく。

 基本的な情報はリオンが彼女を呼び寄せた際の手紙に記載している。無論、敵が《魔導結社ユニオン》だということも予め伝えている。

 そして、なぜ今回リエルが呼ばれたのか。その理由についても手紙に書いてあった為、ある程度は把握していた。


「つまり、私の仕事は学生としてシャルル・ローグベルトの近くで護衛してれば良いってことですよね。合ってますか、隊長?」

「ああ。流石に教師として潜入してる俺が、学生寮に忍び込んだりするのはマズいからな」

「なるほどね。そこまでは分かってるのか。じゃあ……野外演習の事件については?」

「それに関してもある程度は。隊長が《魔導結社ユニオン》だった教師を殺したと聞いた」


 そこまで分かっているのなら、事前説明も必要ないだろう。

 フローリアはそう判断した。


「よし。それじゃあ、これまでの経緯は分かってるものとして、今後の話をしようか」


 フローリアはソファへと腰を下ろして、対面の椅子に座るように二人へ促す。

 リオンとリエルは素直にそれに応じて、荒れた室内で無事だった椅子へと腰を下ろす。


「……分かってると思うが。今から一ヶ月後に《六魔大祭》が執り行われる。《魔導結社ユニオン》は間違いなくこのタイミングで何か仕掛けてくる」


 フローリアはそう言って話を切り出した。

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